2013年11月1日

第25回 マンガ家・萩尾望都のお父さまと私の父

 「おれがジャワで連合軍の捕虜になったとき、イギリスの将校がおれの絵を見て、『あなたは横山大観みたいな天才だ』って言いやがるのさ。『とんでもない』と、おれはすっかりあわててしまったよ」

 私の父、画家の小野佐世男は、太平洋戦争では、陸軍報道班員の軍属としてインドネシアに従軍、1942年3月から、1945年8月の日本の敗戦で連合軍の捕虜になるまでジャカルタにいた。そして捕虜になると、ジャカルタの北、タンジュンプリオク港で他の日本兵とともに、オランダの船の荷おろしなどをさせられるはずだった。

 父はそのとき、つい一か月ほど前にジャカルタのジャワ新聞社で出版されたばかりの『小野佐世男 ジャワ従軍画譜』〔*1〕の一冊と、兵隊が米を煮炊きする飯ごうを持っていた。

 イギリスの将校は、まず飯ごうのふたに描かれている絵に目をつけた。そこには油絵具でブロンド髪の女性の顔が描かれていた。ブロンド髪の女性とは、日本が戦っていた欧米の女性を意味する。日本軍の兵士が、そんな絵を飯ごうに描いているということが、敵だったイギリス人には信じられなかったのではないか。モダンな女性を描くことで有名だった父にとって、その女性がどこの国の人なのかは問題ではなかった。小野佐世男は生涯をかけて、女性の美しさを描き続けてきたのだから……。


 西洋女性の顔を飯ごうのふたに描いても、日本陸軍からなにも言われなかったのは、父の人柄もあったろう。彼は軍規に反して、ジャワにいるあいだ、ほとんど軍服を着ていなかった父は、周囲の人たちをあきれさせたが、「人気画家の小野佐世男だから、しかたがない」と、軍も見て見ぬふりをしてくれていたようだ。

 父が手にしていた『ジャワ従軍画譜』には、1942年3月1日にジャワ島に上陸してから4年のあいだに描いたスケッチ画が113ページにわたって、文章とともに収録されていた。カラーのページも多く、折込み口絵もある、ぜいたくな本である。1945年7月に刊行されると、小野佐世男のファンであった多くの日本の兵士たちはもちろん、インドネシアの人たちにも買われた。文章が日本語とインドネシア語で記されていたからである。

 このような豪華な画集は、当時の日本では出版不可能だったろう。印刷用紙の不足は深刻で画集の刊行どころではなかった。なによりも日本は、アメリカ軍による空襲下にあったのだから……。

 ジャカルタには、まだオランダ軍が残していった印刷所もあり、アート紙など上質の印刷用紙も残っていたのである。

 この画文集には、民族衣装であるバティックを織るインドネシアの娘や、川で水浴びをする女性、自転車に乗る女性などが、描かれていた。女性たちが、みなさっそうと、女性であることを誇っているように見えるのは、いかにも小野佐世男らしかった。

 このスケッチ集を見たイギリスの将校は、教養のある男だったようで「あなたは横山大観のような画家だ」と言ったのである。日本画の大家の名を、彼は知っていたのだ。

 それから彼らの父に対するあつかいは一変した。小野佐世男は一室を与えられ、そこで自由に絵を描くことになる。というよりも、イギリス人たちは、彼に絵を描いてほしくてアトリエを用意したのだった。もちろん、食べものや飲みものは、ふんだんに提供された。

 「あそこが、小野佐世男さんの部屋だよ」と教えられて、のぞいてみた日本兵の捕虜がひとりいた。あいにくそのとき小野は部屋にいなかったが、テーブルには絵筆や絵の具がそろい、パレットなどがあった。

 この兵士は、たまたま小野佐世男が1946年5月に帰国する船でもいっしょだった。小野が、その復員船のなかでも絵を描くための船室を与えられていたのは、みな彼に絵を描いてほしかったからだ。

 タンジュンプリオク港で、連合軍が小野に与えた部屋を見たその日本兵は、今度は帰国船のなかの小野の部屋の前を通った。

 小野佐世男は、そこで絵を描いているところだった。日本兵は画家と目があうと、ちょっと会釈をした。小野佐世男も会釈を返した。

「そのとき、父と話をしなかったのですか」

と、後に私はその元兵士にお会いしたときにたずねた。

「いや、とても恐れ多くて、ことばなどかわせなかったのですよ」

と、その人は答えた。もし声をかけていれば、父は気軽に会話をしたはずだと私は思った。

 その兵士は帰国すると、待っていたいいなづけの女性と結婚し、やがて娘が生まれた。そのお嬢さんは、成長するとマンガ家となり、戦争で南方に従軍した父親のことを、美しく彩色された絵入りの物語として描いた。

 父親はバイオリンの名手で、戦地にもバイオリンを持っていき、折にふれてバイオリンを演奏していた。

 マンガ家となったお嬢さんが父を描いた作品のタイトルを『月夜のバイオリン』〔*2〕という。


「小野さん、マンガ家の萩尾望都さんの父親の萩尾浩(ひろし)さんは、あなたのお父さんをご存知だったそうですよ」

と私に教えてくださったのは、1970年代からずっと萩尾さんを担当していた小学館の編集者・山本順也氏である。そう知った私が、九州の萩尾浩氏をお訪ねしたのは1989年のことだった。萩尾夫妻は私を柳川くだりに誘ってくださり、船の上でいろいろお話をうかがい、うなぎをごちそうになった。その萩尾浩さんは三年前に亡くなられたことを、山本氏からうかがった。もう一度、浩さんを訪ね、改めて詳しく父のことをうかがっておくべきだったと悔やまれる。

 萩尾浩さんが戦争体験をつづった自伝『南方記――戦地で弾いたバイオリン』〔*3〕の最後に、私の父のことが出てくる。




*1―『小野佐世男 ジャワ従軍画譜』は、2012年、龍渓書舎より小野耕世などによる解説つきの復刻版が出ている。http://www.ryuukei.co.jp/sinkan/jawa.pdf
*2―萩尾望都『銀の船と青い海』(河出書房新社、2010年)所収。
*3―萩尾浩『南方記――戦地で弾いたバイオリン』(文芸社、2002年)。



*第26回は11/8(金)更新予定です。 


■展覧会・講演情報■

【展覧会】
小野佐世男展 ~モダンガール・南方美人・自転車娘~

[会期] 2013年10月31日(木)~2014年2月11日(火・祝)
[場所] 京都国際マンガミュージアム 2階 ギャラリー4、ギャラリー6
※無料(ミュージアムへの入場料が別途必要です)



【関連イベント】
小野耕世講演会「小野佐世男が帰ってきた!」

小野佐世男展の関連イベントとして、小野耕世氏による講演会が行われます。
[日時] 2013年11月3日(日) 午後2時~4時
[場所] 京都国際マンガミュージアム 3階 研究室1
[出演] 小野耕世
[定員] 50名(先着順/事前申し込み不要)
※無料(ミュージアムへの入場料が別途必要です)