tag:blogger.com,1999:blog-16924668536782841772024-02-20T19:35:04.084+09:00毎日なにかを思いだす ~小野耕世の次元ドリフト~小野耕世の自伝です小野耕世の自伝ですUnknownnoreply@blogger.comBlogger81125tag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-53249479657792938572014-12-26T12:00:00.000+09:002014-12-26T12:00:03.216+09:00第80回 舞台でピストルをくるくる回す 私の入学当時、国際基督教大学の学生の三分の一は女性だった。<br />
<br />
女性は服装も華やかだから、三分の一でも学生の半分以上が女性のような印象を与える。私が入学した1959年は、日本で最初の少年向け週刊誌『少年サンデー』と『少年マガジン』が創刊された年として記憶されていよう。<br />
<br />
私は三鷹駅から大学行きのバスに乗るとき、駅の売店で『サンデー』を買うのを習慣としていた(『マガジン』ではなく『サンデー』なのは、『サンデー』には手塚治虫の連載マンガがあったからだ)。<br />
<br />
ある朝、『サンデー』を手にバスに乗ると、隣に英語のクラスで一緒の一年生の女性が座った。私が『サンデー』をひざに乗せていると、彼女はそっと手を伸ばし、雑誌を裏返しにした。つまり、私が子ども向きのマンガ週刊誌を読んでいることを、恥ずかしく思ったのである(大学生がマンガを読む――ということがマスコミの話題になるのは、何年も後のことだ。このとき雑誌を裏返しにした女性は、やはりこの大学の同期で、後にNHKのワシントン支局長などを務めることになる平野次郎と結婚した)。<br />
<br />
<br />
<br />
大学時代、女性たちにはずいぶんお世話になった。しばしばノートを借りたのである。<br />
<br />
女子寮に住んでいる上級生にノートを借りたこともある。彼女が女子寮の玄関までパジャマ姿で出てきたのには、私のほうがびっくりしたが、そんなおおらかな女性がいるのが、この大学のいいところだったのではないか。<br />
<br />
昨年、同期の卒業50周年の同窓会に顔を出したら、「小野さんたら、私からノートを借りて試験を受けたら、成績が私より上だったのよ。悔しいったらありゃしないわ」と、大学で一期下の翻訳家と結婚している女性になじられてしまった。<br />
<br />
「でも小野さんは、社会学のテストで最低点のDだったこともあるわ。人種差別についての問題が出たとき、『しかし、もし宇宙人が地球にやって来たとしたら、人種問題は意味をなすのだろうか』と書いて、先生を怒らしちゃったのよね」と彼女は言う。私は覚えていない。女性はエピソーディック・メモリー(具体的な出来事などの記憶)が、男性よりずっと優れているというが、本当にそのとおりだと思う。<br />
<br />
<br />
<br />
このように記していくと、いかにも私の大学時代は楽しそうだと思われるかもしれないが、とんでもない。大学でも体力テストはあるし、体育の時間は地獄だった(それでも大学一年の冬、スキー合宿に参加したのは楽しかった)。<br />
<br />
人前に出るのが嫌いで、恥ずかしがりなところは変わらなくて、英語でスピーチをする授業が嫌でたまらなかった。アメリカの学校でよくなされているような、なにかを持ってきて、それについてちょっとしたお話をする授業があったのだが、アメリカの西部劇映画が1960年代には人気があり、私はガンマンの芸をしてやろうと考えた。弟がプラスチック製のオモチャのピストルを買ってきて、革でガンベルトを作り、革のケースに拳銃を入れて遊んでいるのを見たからだ。私もプラスチックの拳銃を買ってきて、弟に借りたガンベルトを腰につけ、その革のケースに銃を指でくるくる回しながら収める――という練習をした。おかげで右手の人さし指の皮がむけて痛かったが、当時人気のあった西部劇『ヴェラクルス』のなかで、バート・ランカスターが最後の決闘で、それを見事にやっていたのである。<br />
<br />
大学のクラスで私はそれをやって見せた。するとスピーチ担当の女性の先生は、「それを大学の講堂で行うスピーチ・ショーでやってみたら」と言う。何人かの選抜者とともに、講堂に出場することになった。私は、くるくると銃を回しながら、ちゃんと腰のケースに収めてみせた。そのことはいまでも同窓会で「あのピストルさばきは見事だったな」と、語り草になっている。<br />
<br />
しかし実情は、私が恥ずかしがり屋だと見抜いていた先生が、私をはげますつもりで大講堂のショーに出したのだと、あとで知った。<br />
<br />
<br />
<br />
まあ、それは良かったのだが、なにより困ったのは、国際基督教大学では、しょっちゅうダンス・パーティーがあるのである。一年生のとき、新入生にはダンスの講習があったのに、恥ずかしくて参加しなかったし、学園祭のときも含め、大学時代に一度もダンスをしなかった(教会の礼拝にも出たことはない)。<br />
<br />
「この大学でダンスが出来ないのは死を意味するぞ」と、私に言っていた小山修三は、ダンスでジルバの曲が始まると、逆立ちまでして踊ってみせるので、私はただ彼を尊敬するばかりだった――そんな私が、1990年代末に、ふとしたことからダンスを学び、正式な舞踏会に毎年正装して参加するようになったのだからおかしなものだ。音楽に合わせて踊ることの楽しさを、いまでは私は知っている……。<br />
<br />
<br />
<br />
洋書の丸善がかつて発行していた雑誌『學鐙』で、ウィリアム・ゴールディングというイギリスの作家についての短い紹介文を私が読んだのは1960年のことだった。まだ日本で一冊も翻訳が出ていなかった(後にノーベル文学賞をとる)この作家を、卒業論文に取り上げようと思ったのは、これがきっかけであった……。 <未完><br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiJ3xDl0i6Qg2yXciREBhf7zuPKo9h68P-47hsheBIN-RupRNIe-8UQ6u3cRsEi1nY7Exm-6im9HC7R2ajbeVfam6jnxDGqxt57ntzHc1bkMKHMMA_-S28yplDmsZv5eNWYWJr_7quNJ2Rf/s1600/%23080.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiJ3xDl0i6Qg2yXciREBhf7zuPKo9h68P-47hsheBIN-RupRNIe-8UQ6u3cRsEi1nY7Exm-6im9HC7R2ajbeVfam6jnxDGqxt57ntzHc1bkMKHMMA_-S28yplDmsZv5eNWYWJr_7quNJ2Rf/s1600/%23080.jpg" height="400" width="393" /></a></div>
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<hr style="border-top: 2px dotted #ff9d9d; width: 100%;" />
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<span style="color: #444444;">*「毎日なにかを思いだす~小野耕世の次元ドリフト~」は</span><br />
<span style="color: #444444;"> 今回をもっていったんお休みとなります。ご愛読ありがとうございました! </span>Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-53752000708044588072014-12-19T12:21:00.000+09:002014-12-19T12:21:29.501+09:00第79回 美術部で先生のスカートを描く 中年の(日本人の)女性の先生が教える発音の授業は、基礎英語の授業のなかで、いちばん厳しかった。テキストはジョージ・オーウェルの『動物農場』で、ペンギン文庫版を買うのだが、私は高校時代に古本屋で50円で買ったアメリカのペーパーバック版を持っていたので、それを持っていった。<br />
<br />
小説の第一章から、何行かずつ順番で読んでいき、厳しく発音をチェックされる。そのとき手鏡で自分の口を見て、舌の動きなどを確認するのである。横一列に並んだ生徒たちが、次々と鏡を見ながら英文を読んでいく――子どもの歌にあるスズメの学校みたいだ。ひな鳥たちが、口を開けてピーチク鳴いているみたい……。<br />
<br />
私はこの授業が苦手で、いまだに英語の発音はうまくない。でも、別の若い先生が教える会話のクラスは楽しかった。大学の非常勤講師であるその日本人女性は、まだ20代の前半だったろう。愛らしい丸顔のこの先生が私はすっかり好きになってしまった。<br />
<br />
<br />
<br />
大学にはいくつかのクラブがあるが、私はごく自然に美術部に入った。美術部はD館(学生会館)3階の見晴らしのいい角の部屋で、そこから、吉祥寺や三鷹からこの大学の入口まで走っているバスの停留所が見える。大きなガラス張りの部室の外にイスを持ち出し、バス停のあるロータリーをスケッチするのは気持ちが良かった。<br />
<br />
基礎英語のクラスでも一緒で、美術部でも一緒の新入生に、小山修三という男がいた。彼は香川県観音寺市の酒屋の息子で、私のように自宅から通うのではなく、大学の近くの下宿から、主にサンダル履きで通っていた。「革靴を履くと、足が痛くてな」と言う彼に、子どもの頃から靴を履いている私は、びっくりしてしまった。<br />
<br />
これは一種のカルチャー・ショックである。だが、何事にも物怖じせずに、自由に喋る彼のアートに対する考えやふるまいに、私はすぐ魅せられてしまった。<br />
<br />
大学卒業後はカリフォルニア大学バークリー校に留学、考古学を学び帰国すると、国立民族学博物館に勤務すると縄文時代についての権威となり、梅棹忠夫館長の片腕、さらには吹田市立博物館の館長となった小山は、私の大学時代の一番の親友といっていい。<br />
<br />
私たちが入学したとき、大学の美術部は停滞気味だったが、入学後最初の展覧会のため、私はSFマンガのような絵を描いた――地球からの宇宙船が異星に到着すると、そこでは異星人がロックンロールを踊っているという絵である。小山は私より絵(とりわけ人物画)がうまく、英語の発音もずっと良かった。<br />
<br />
<br />
<br />
さて、若い女性の英語の先生の話だが、ある日私は、先生がはいていたスカートの柄がとてもきれいだったので、ノートにスケッチした。そして、次の美術部の作品展示のとき、「ミス・カネマツの素敵なスカート」(先生の名は兼松弘子だった)という題の絵を出した。描いているうちに先生のスカートの柄は、私の空想と共に、より華麗に自由にひろがっていく……。<br />
<br />
「小野さん、見たわよ!」と先生は、私を見ると、けらけら笑いながら言った。<br />
<br />
またあるとき、授業の途中で先生が突然笑い出してしまったことがある。私は一列に並んだ生徒のなかで、窓際の一番端に座っていた。冬の寒い日で、窓ガラスが蒸気で曇っている。私がそのガラスに、指でマンガを描いていることに気がついたのである……。<br />
<br />
<br />
<br />
大学の本館2階中央にホールがあった。私はその壁面を使って、思い切って絵の個展をしたことがある。英語の時間に、学生たちが隣の女性にラブレターをこっそり渡したり、紙ヒコーキを飛ばしたり……などの学園風景をたくさん描き、美術部の部室にあった額に入れて並べたのだった。<br />
<br />
「ほんとに小野さんが描いてるとおりね」と、兼松先生は、また笑った(私が卒業するとき、そうした絵はすべて兼松先生に差し上げた。先生からはすてきなスケッチブックをいただいたことを覚えている)。<br />
<br />
美術部の部室に、私と小山はウィスキーなどを持ち込んで、こっそり飲んだりした。酒が好きというよりも、大学生らしい無邪気な反抗心があったからで、大人の真似をしてみたにすぎない。だが、ウィスキーの空き瓶が見つかって、ある日、部室に行くと「キャンパス内ではアルコール厳禁」という意味の英語の貼り紙がされていたこともある。D館の責任者である先生が怒ったのだった。<br />
<br />
ところで、この美術部の二年先輩の女性は、『マッカーサーの二千日』などの著書で知られる袖井林二郎先生の奥さまの孝子さんである。昨年だったか、袖井先生の出版記念会に顔を出したら、「小野さん、あなた美術部の部室に、アメリカの雑誌『PLAYBOY』のヌードのピンナップ写真を貼っていたでしょ。D館の管理の先生が、かんかんになって怒って、大変だったんだから」と私に言われた。<br />
<br />
そんなことをしたのだろうか? よく覚えていない。しかし私が英語版の『PLAYBOY』をよく買っていたのは確かだし、映画『OK牧場の決斗』(私は「ICUの決斗」という絵を描いて展示したこともある)や『荒野の七人』のポスターなどを映画館や映画会社の宣伝部などから手に入れて、部室にやたらに貼っていた私だから、女性のヌード・ピンナップを貼っていたとしても不思議はないなと思った。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg3dIi_DrKWt80awd-KWWPOMDxlNLNvrD_qcYpIzze4O-iv8-e4oDN8M4q9caO0j0wo5G5WYgLck1C8BWxWgUQzrTDBl2zGwR3-cUZLVFF9quTM5PgeJqQU6ymcuQTOkAd5U9YqMsvBmuuP/s1600/%23079.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg3dIi_DrKWt80awd-KWWPOMDxlNLNvrD_qcYpIzze4O-iv8-e4oDN8M4q9caO0j0wo5G5WYgLck1C8BWxWgUQzrTDBl2zGwR3-cUZLVFF9quTM5PgeJqQU6ymcuQTOkAd5U9YqMsvBmuuP/s1600/%23079.jpg" height="378" width="400" /></a></div>
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<hr style="border-top: 2px dotted #ff9d9d; width: 100%;" />
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<span style="color: #444444;">*第80回は<b>12/26(金)</b>更新予定です。 </span>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-8738568054604281602014-12-12T12:00:00.000+09:002014-12-12T12:00:02.241+09:00第78回 バットマンを描いて国際基督教大学に入る 新宿高校3年の社会科の時間に、なにか調査をしてレポート発表をするという課題があった。ひとりではなく、誰かと組んでテーマを決めて取材するのである。<br />
<br />
どうして彼女と組むことになったのかよく覚えていないのだが、私は吉永玲子さんという同級生と一緒に、女性問題について発表することになり、彼女と話し合った。そして、ふたりで労働省だったか、婦人少年局へ出向き、そこの女性の責任者にお会いし、いろいろお話をうかがった。私たちがあまりに熱心だったので「なにか論文でも書かれるのですか」と、その女性の局長に言われたほどである。私たちは、ごくまじめな高校生なのだった。<br />
<br />
クラスの前で発表をしたとき、例によって私は早口で、長く喋りすぎて汗をかき、恥ずかしくてたまらなかった。吉永さんのほうがずっと落ち着いていた。彼女とは高校卒業以来、会ったことはない。<br />
<br />
ずっと後の1970年代のことだが、報知新聞社が報知映画賞を設けたとき、映画評論家でもあった私は審査員のひとりとなった。そして、ある年の報知映画賞の主演女優賞に、吉永小百合さんが選ばれた。授賞式の日、小百合さんにお会いした。「私は都立新宿高校で、あなたのお姉さまと一緒で、社会科のレポートをふたりで作ったことがあります」と私が話しかけると、「姉はいま、東京都の仕事で高い評価を得ているんです」と誇らしそうに彼女は言った。つまり玲子さんは、私と一緒にレポートを作ったときの方向に、その後進まれたことになる。<br />
<br />
<br />
<br />
都立新宿高校は卒業したが、東京大学文科の入試に失敗した私は1年浪人し、四ツ谷の予備校に通った。あまり楽しい1年ではなかったが、四ツ谷の古本屋をよくのぞき、新宿の安い映画館によく通った。<br />
<br />
また東大を受けるのか――と迷っていたとき、「大学の四年間全体が東大の教養学部みたいな大学があるよ」と教えてくれたのは、新宿高校の友達である牧師の息子だった。<br />
<br />
興味をそそられた私は、入学試験の書類を貰いに三鷹からバスに乗って、友人がすすめる国際基督教大学(ICU)に出かけた。まず、武蔵野の自然のなかにあるキャンパスの広大さに驚いた。図書館の建物も立派だ。なによりもD館と呼ばれる学生会館のトイレが広くてきれいなことに感心。すばらしい、私はこの大学にぜひ入ろうと思った。<br />
<br />
<br />
<br />
私が応募した人文科学科の入学試験では、文章と質問が印刷された問題用紙と答案用紙とが配られた。自然科学の論文や英語のエッセイなどもあった。難しくはなかった。答案用紙に答えを書くと時間が余った私は、問題用紙の余白に、私はエンピツでスーパーマンやバットマンの姿を描いた。特にバットマンをいろいろと……。<br />
<br />
筆記試験に通り、面接のときはアメリカ人らしい先生たちが並び、いろいろ質問された。「私は児童文学に興味があり、ロバート・マイクル・バランタインの『さんご島』(The Coral Island)などが好きです」といった話を英語でした。<br />
<br />
バランタインはスコットランドの作家で、少年向きの『毛皮集めの少年たち』(The Young Fur Traders)というカナダの開拓時代を描いた作品が有名。講談社の世界名作全集には、当時『さんご島』の抄訳が『さんご島の三少年』のタイトルではいっていた。そうした本を、私は小学生時代に夢中で読んでいたものだ。<br />
<br />
<br />
<br />
無事に入学し、新入生たちへのオリエンテーションの場が設けられた。なにしろ新1年生は130人、全学生合わせて600人足らずの大学だから、初めから家族的な雰囲気がある。上級生の案内で新入生がいくつかのグループに分かれ、自己紹介をし合う。小さなキャンディやチョコレートなどが皿に盛られてテーブルに置いてある。チョコレート好きの私が、ついチョコレートの包みばかり取ると、隣の女の子が私の手を押さえてたしなめた。<br />
<br />
「入学試験のとき、時間が余ったので、問題用紙にバットマンなどマンガを描いてました」と話すと、「あら、あなただったのね」と言ったのは、新入生の世話をしていた四年生の女性である。彼女は試験場のアルバイトをしていて、問題用紙を回収する役目をしていたのだった。「よく覚えているわ」と、彼女は笑った。<br />
<br />
こうした雰囲気のなかで、私の大学生活は始まったのである。<br />
<br />
<br />
<br />
普通、大学には中学や高校のようなクラス分けはない。だが、全体が教養学部である国際基督教大学では、当時1年生の全員にフレッシュマン・イングリッシュ(Freshman English)という必須科目があり、発音・作文・会話などの英語の授業を受けなくてはならなかった。<br />
<br />
それがクラスAからHまで8クラスあり、ひとクラスが18人程度。その構成は1年間変わらないから、英語の基礎クラスでは、まるで中学や高校のように、同じクラスの者がすぐに仲良く打ち解けてしまうのである。<br />
<br />
18人が、細長い教室に横一列に並んで座り、発音その他を教える先生がひとり、みなの前で黒板を使って話をする。<br />
<br />
「みなさん、来週から鏡を持ってきてください」と発音の先生(日本人)が言う。小間物屋で売っている小さな手鏡が必要だという。女性がバッグに入れているようなその鏡は、当時30円で売っていた。それを持って発音のクラスに出る。自分の口の動きを自分の目で見るためだ。<br />
<br />
まるで幼稚園じゃないか――と私は思った。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEirG8b2w4tpRGDzMEUbhIyEuZ9oeFhs7K8ADs_nqjqMwtTjC-BJryqsHxt_yKejEp-ZgNPzWolRv-jySOlFKbmd6WGXXsgdYflKcsIX2NWOEdJvQEDe9Q0dhIyajOMtZHeQfWvD9MR-v8J9/s1600/%23078.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEirG8b2w4tpRGDzMEUbhIyEuZ9oeFhs7K8ADs_nqjqMwtTjC-BJryqsHxt_yKejEp-ZgNPzWolRv-jySOlFKbmd6WGXXsgdYflKcsIX2NWOEdJvQEDe9Q0dhIyajOMtZHeQfWvD9MR-v8J9/s1600/%23078.jpg" height="346" width="400" /></a></div>
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<br />
<hr style="border-top: 2px dotted #ff9d9d; width: 100%;" />
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<span style="color: #444444;">*第79回は<b>12/19(金)</b>更新予定です。 </span>Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-34713598829918454642014-12-05T12:00:00.000+09:002014-12-05T12:00:03.655+09:00第77回 宇宙時代の幕あけに……私の新宿高校時代に、アメリカのSFが新書版で2冊出た。<br />
<br />
アイザック・アジモフの『遊星フロリナの悲劇』(後に早川書房から『宇宙気流』のタイトルで新訳が出る)と、A.C.クラークの『火星の砂』で、すぐに買った。<br />
<br />
その時、同級生のひとりが、どうしても貸してくれと言って『火星の砂』を持っていったが、失くされてしまった。後に早川書房から出た新版はもちろん持っているが、日本で最初の訳である室町書房版には愛着があったのに……。<br />
<br />
そんなふうに、私が本が好きなのはすぐに知られて、学期ごとのクラス委員では、私はいつも図書委員に選ばれた。<br />
<br />
図書委員は、図書室に本を借りにくる学生に応対するほか、暇な時は本を読んでいてもいい。なにしろ本に囲まれているのだから、こんな楽しいことはない。それに図書委員は、普通の生徒よりも一度に多くの本を借りることができるのだ……。<br />
<br />
そうしたら、ある学期初めに「おれ、立候補する」と手をあげて、図書委員になった級友がいた。彼は演劇部と美術部に入っていて、美術部で一緒の面白い男だった。図書委員の仕事が楽なことを知っていたのである。私は自分で立候補したことなど、何事によらず一度もない……。<br />
<br />
図書室で借りて読んだ本で、今でも覚えているのは加茂儀一著『榎本武揚』という伝記(後に中央文庫に入った)で、函館の五稜郭で戦った榎本は、獄中にあっても妻に石鹸の作り方を手紙に書いて教えたということなどを知り、感心した。<br />
<br />
映画も良く見た。<br />
<br />
高校で団体で見に行った映画に、ジョン・ヒューストン監督の『白鯨』(1956)があった。国語の先生は「エイハブ船長の役がグレゴリー・ペックでは少し弱いと思いますが」と言っていたが、レイ・ブラッドベリが脚本を書いたこの映画が私は好きだった(現在では、グレゴリー・ペックの演技は見直され、高く評価されているようだ)。<br />
<br />
上野の美術館で「ルーブル美術館展」が催された時も、学校から団体で見に行き、私はどの学生よりも長く見ていたと思う。そして、その帰りに丸の内ピカデリー劇場で、ジェイムズ・ディーン主演の『エデンの東』を見た。そのプログラムは今でも持っている。<br />
<br />
『高校三年』というイタリアの青春映画が新宿の映画館で封切られた時は「いやあ、新宿高校の生徒さんで連日いっぱいですよ」と、劇場支配人が語ったほど人気があった。私は同時上映の『やぶにらみの暴君』というフランスの長編アニメに夢中だった(ポール・グリモー監督のこの傑作は、後に『王と鳥』として1970年代に監督自身によってリメイクされ、ジブリ美術館配給により日本公開された)。最初に公開された時の『やぶにらみの暴君』の日本版ポスターを、私は持っている。<br />
<br />
『ゴジラ』以来、東宝の特撮映画は必ず見ていた。ディズニー・プロが作った劇映画『海底二万哩』(1954)も良かった。<br />
<br />
<br />
<br />
日本宇宙旅行協会の会員であった私は、会長の原田三夫氏が機関誌の『宇宙旅行』のなかで、遠くの星の光がスペクトル分析で赤色にずれる「red shift」のことを<赤色変化>と記しているのを見つけ、「あれは<赤方偏移>と訳すのが正しいのではないでしょうか」と、生意気にも手紙を出したことがある。「最近は赤方偏移と呼ぶことが多いようですね」と、非常に乱れた文字で返事が来た。原田先生は当時、手を骨折されて、ペンがうまく握れないのだった。それは中学時代の私の右腕の怪我と同じなので、失礼な手紙を差し上げてしまったことを後悔したものだ。なにしろ私は、中学時代の1952年以来、誠文堂新光社刊の『天文年鑑』を毎年買っていたから、天文学の最新情報に詳しかったのである。<br />
<br />
そんな私だから、1957年の年賀状には、版画で月に接近しつつあるロケットを描いた。それを新宿高校の英語の先生に出すと、返事が来た。「ベビームーン、ベビームーン、いつ頃月に行けるやら」と、私をからかうような、詩のような書き文字がそれにはあった。月旅行なんて不可能だよ、と言われているような気がしたものだ。<br />
<br />
この年の10月、ソヴィエトが世界最初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功。世界中が騒然とし、アメリカはソヴィエトに先を越されたと慌てた。<br />
<br />
高校の先生よりSF少年の自分のほうが先を見ていたんだぞと、私は内心思った。<br />
<br />
この時、東宝は『地球防衛軍』を正月映画として撮影中だった。公開時に作られたポスターのひとつには、真ん中に大きく球形の人工衛星がデザインされていた。このポスターは、基本のポスターとは別なので、あまり知られていない。<br />
<br />
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhmkWbcx8MsU9uucVY9iBsgqm8xmIEEcapcRLolnBWSRsw-dfLuwfov1SpbwctndHrHvxPp164nkaPO3EvsFU5Z1syrMnHTyO2DEt796qMV07AlLOAVdcJpOPKL2f2YNo2EnujHkZYjNk_f/s1600/%23077.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhmkWbcx8MsU9uucVY9iBsgqm8xmIEEcapcRLolnBWSRsw-dfLuwfov1SpbwctndHrHvxPp164nkaPO3EvsFU5Z1syrMnHTyO2DEt796qMV07AlLOAVdcJpOPKL2f2YNo2EnujHkZYjNk_f/s1600/%23077.jpg" height="400" width="326" /></a></div>
<br />
<br />
高校時代に買いたくてたまらなかった本がある。<br />
<br />
アメリカの週刊グラフ雑誌『ライフ』(LIFE)に「われらの住む世界」(The World We Live In)というカラー連載の読み物があった。地球誕生からの歴史が、想像をそそる、大きくて美しい科学的に正確な絵によってつづられていた。<br />
<br />
地球や月、太陽系の生まれる天体画は、チェズリー・ボーンステルというアメリカの天体画家(この画家を、1980年に私はカリフォルニアで訪ねることになる)が描いていて、息をのむ美しさだった。この連載を、私は中学時代から見ていたが、高校の頃に単行本となった。私はその大判ハードカバーの本を、新宿の紀伊国屋書店の洋書売り場で見つけ、手に取り、ほれぼれと見ていたが、5千円の本は当時の高校生には買えなかった。<br />
<br />
何年か前、藤子不二雄Ⓐ(安孫子素雄)さんの連載マンガ『愛…しりそめし頃に…』を読んでいたら、この本の場面が引用されていた。<br />
<br />
「そうか、安孫子さんはマンガを描く参考に、あの5千円の洋書を買っていたのだな」と思った。実は、マンガ家のやなせたかし氏の仕事場にもその本があった。私が買えなくて涙をのんだ話をしたら、「そりゃ、当時の高校生じゃ買えなかったよなあ」と同情してくださったが、私に本をあげようとは言わなかった……。<br />
<br />
<hr style="border-top: 2px dotted #ff9d9d; width: 100%;" />
<br />
<span style="color: #444444;">*第78回は<b>12/12(金)</b>更新予定です。 </span>Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-80806440488761819922014-11-28T12:00:00.000+09:002014-11-28T12:00:01.580+09:00第76回 火星の地主になる 私が映画というものを、映画館ではなく試写会で初めて見たのは、新宿高校時代だった。<br />
<br />
それは『禁断の惑星』(1956)というアメリカのSF映画で、なぜ高校生の私に試写状が来たのかというと、私はすでに日本宇宙旅行協会の会員になっていたからだ。<br />
<br />
原田三夫という科学啓蒙家は、『子供の天文学』という本でよく知られており、小学生時代に私はその本はもちろん、野尻抱影による『月の世界』『星の世界』(これには小松崎茂がカラーの口絵を描いていた)なども読んでいた。<br />
<br />
それで原田三夫氏が日本宇宙旅行協会という団体を作ったとき、私は会員になった。『宇宙旅行』という機関誌が送られてくるようになる。SF映画『禁断の惑星』を配給するMGM日本支社は、この協会の会員を招待する試写会を催したのだった。<br />
<br />
会場は銀座のヤマハホールで、私は夕方に学生服姿で出かけた。成城学園では紺の背広が制服だったが、都立高校に入学してからは黒い詰襟の学生服に、白線が二本入った新宿高校の制帽をかぶって通学するようになっていた。<br />
<br />
ヤマハホールに入るのも初めてなので緊張した。後に自分が映画評論家になり、日常的にこのホールに出入りするようになるとは、その頃はもちろん想像していないし、学生服姿の者はほかに見当たらないような気がして、恥ずかしかった。<br />
<br />
上映前に話術の名人として知られる徳川夢声が舞台に立ち、「私もこの映画を見るのにわくわくしています。徳川惑星ですな」と話をして笑わせた。空が緑色の惑星に、ロビイという名のロボットが登場するこの映画はすばらしく、いまでも私がこれまでに見たSF映画のベスト5に入る。惑星の住人が滅びたあとに、彼らの残留思念が残っていて、地球からの探検隊を襲う――という知的な着想がすばらしく、これを超える本格的なSF映画は『2001年宇宙の旅』(1968)まで待たなくてはならなかった。<br />
<br />
新宿高校のクラスでも、私がこの種の映画や本が好きなことは自然に知られていた。銭田(ぜにた)という同級生はサッカー部に入っており、私がサッカー好きなのを知って親しくなった。<br />
<br />
今では珍しくないが、なにしろ彼は自分でサッカー・ボールを持っているのである。「サッカー・ボールを貸そうか」と、夏休み前に彼は私に言った。私の家の近くに妹が通っていた公立の代田小学校があり、広い校庭があって、休みのときは誰でも入れそうなので、私は夏休みにそこでサッカー・ボールを蹴って、ドリブルの練習ができるのではと思ったことを、彼に話したからだった。<br />
<br />
私は、彼からボールを借りた。<br />
<br />
しかし、いろいろな事情から、結局私は小学校でサッカーの練習をする機会が無いままに、夏が終わってしまった。せっかくボールを借りたのに、と申し訳なかった私は、ボールにちょっとだけ庭の泥を付け、「役に立ったよ。ありがとう」と、秋の新学期にボールを返した。<br />
<br />
その銭田が、ある日、映画『禁断の惑星』の日本公開時のポスターを持ってきて、私にくれたので、びっくりした。<br />
<br />
「家の近くの映画館でこの映画を公開していたから、頼んでポスターを貰ってきたのさ」と、彼はニコニコして言う。<br />
<br />
嬉しかった。ブロンド髪の美女(アン・フランシスが演じた)を抱き上げて、惑星アルティア4に立っているロボットをデザインしたこのポスターを、私は今でも持っている。<br />
<br />
銭田君の親切がきっかけで、ポスターの魅力に目覚めた私は、例えば小田急線の世田谷代田駅に貼ってあったジェームズ・ディーン主演の映画『ジャイアンツ』のポスターをこっそりはがして持ち帰り、しわになっていたのでアイロンをかけて伸ばすようなこともあった。<br />
<br />
<br />
<br />
私の高校時代に、渋谷駅の東急ビルの屋上に、五島プラネタリウムが完成した。ドイツのカール・ツァイス社製の投影機は、それ自体がどこかロボット恐竜のように見え、私はその「星の会」の会員になった。<br />
<br />
月会費150円で、毎月特別の上映会があった。その会では、野尻抱影先生が着流し姿で登場し、投影機を自由自在にぐるぐる動かし、キリスト誕生時の星空や、通常の投影では見せない太古の星空を再現されたこともある。あこがれの野尻先生の姿を目にしたのは、このときだけだ。<br />
<br />
その野尻先生が、原田三夫氏の日本宇宙旅行協会が火星の土地を売り出したときに「不真面目だ」と反対されたとあとで知った。原田氏としては一種の冗談のつもりだったようで、もちろん私も火星の土地を購入した。<br />
<br />
すると火星の地主である証明書が送られてきた。火星を大きくカラーで描いた絵が印刷してあり、私の名前と火星の土地の所有区画名が書き込んであった。<br />
<br />
そして火星の地主たちが、望遠鏡で火星を眺め、自分の所有地を覗こうという会が、日本宇宙旅行協会で主催された。会場はヤマハホールの屋上である。<br />
<br />
またしても私は出かけた。設置された望遠鏡の前に会員たちは行列し、順番に覗いた。ぼんやりなにかが見えたが、火星だかなんだか私にはわからなかった。配られた殻付きのピーナッツ(落花生=火星)を私も食べたが、ほんとうに学生服姿の高校生は私ひとりで恥ずかしかった。<br />
<br />
大事にしまっておいたはずの火星の土地の権利書を、いつのまにか無くしてしまったのが、今でも残念でならない。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEikJqaXsgE9lz1dinyMMXBx6XX2wKemGxUypGm40a6Gnpsfsj1ZWUHqUyqhY2FyN8yow_9dTLusLy5h3XUZRFYkzaxw8Yj7YtXPWZc8uqqcFR9uonNZlTyXYLWqdepwL8gIn1bP_OqGduVV/s1600/%23076.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="458" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEikJqaXsgE9lz1dinyMMXBx6XX2wKemGxUypGm40a6Gnpsfsj1ZWUHqUyqhY2FyN8yow_9dTLusLy5h3XUZRFYkzaxw8Yj7YtXPWZc8uqqcFR9uonNZlTyXYLWqdepwL8gIn1bP_OqGduVV/s640/%23076.jpg" width="640" /></a></div>
<br />
<br />
<hr style="border-top: 2px dotted #ff9d9d; width: 100%;" />
<br />
<span style="color: #444444;">*第77回は<b>12/5(金)</b>更新予定です。 </span>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-57977898679979278002014-11-21T12:00:00.000+09:002014-11-21T12:00:04.009+09:00第75回 プールで溺れかける 数学が苦手だった私は、都立新宿高校への編入試験のため数学を特に勉強し、そのおかげで入学できたらしいのだが、得意だった英語がおろそかになっていた。<br />
<br />
受験校である新宿高校では、英語はふたつのクラスに分けられていた。英語の成績の良い者はクラスA、悪い生徒はクラスBなのだが、私はクラスBにされてしまったので慌てた。途中入学者は全般に他の生徒より成績が良いのが普通なのに、Bクラスにされたのはちょっと屈辱的だった。だが英語の先生は、すぐ私の英語力に気がつき、程なくクラスAに移されたのでほっとした。実際に私は、高校時代を通じていちばん好きな授業は英語の時間だった。<br />
<br />
休みの日には下北沢のほか、神田神保町の古書店街にまで足を伸ばし、『スーパーマン』などのコミックブックの古本を買うのは中学時代と変わらなかったが、それに加えてSFのペーパーバック本も買うようになった。<br />
<br />
マンガと違って英語の小説を読むのはまだ難しかったが、なにしろポケット版のアメリカのSFは表紙が幻想的で美しく、読めなくても買いたくなる。平均一冊50円だったから安い。でも、なるべく読みやすいフレドリック・ブラウンなどの短編集を主として買うようになり、容易(たやす)くはないけれど、読み通そうと心がけた……。<br />
<br />
<br />
<br />
英語の時間は楽しいが、相変わらず体育の時間は不安だった。<br />
<br />
まず鉄棒で、逆上がりができないといけない。幸いにも、これは一回でできてほっとする。続いて、もっと難しい蹴上がりがある。無理かもと思ったが、これもすぐにできたので、気が楽になったものだ。<br />
<br />
そして、高校二年目の夏、最大の試練がやってきた。水泳である。<br />
<br />
成城学園には50メートルのプールと25メートルのプールがあり、小学生の頃、プールでバタ足の練習などをしたが、泳げるようにはならなかった。夏には鎌倉の海に家族で出かけたりしているが、水に浮くことはできても、泳げたとは言えない。<br />
<br />
新宿高校には25メートルのプールがあり、夏の体育の時間、クラスの生徒はプールに集合させられた。水泳部に入っている同級生もいて、胸の厚い良い体をしている。「腹を打ってもいいよ」と言われて、おそるおそるこぶしで殴っても、びくともしないのに感心した。腹筋が鍛えられているのである。<br />
<br />
「なんでもいいから、25メートル泳げ」と、体育の先生は言う。生徒たちは順番にプールに飛び込んで泳いでいく。上級生のひとりが飛び込むと、いかにも悠々と潜ったまま平泳ぎでスイスイ泳いで浮上するので、私は感心して見惚れた。ああいうふうに手足を動かせば進むのか……。<br />
<br />
私の番が来た。<br />
<br />
夢中で飛び込む。さっきの上級生のまねをしたつもりで手足を動かしてみるが、うまく進まない。苦しくなってもがいていると、水音がした。同級生が飛び込んで、溺れかけた私を助けてくれたのである。<br />
<br />
「泳げないのに飛び込むやつがあるか」と、水を吐きながらプールの縁に上がった私に、同級生は言った「驚いたぜ」<br />
<br />
先生も呆れたかもしれない。こういう場合「ぼくは泳げません」と先生に言うことが、私には恥ずかしくてできないのである。でもとにかく、泳ごうと試みたので、私はこれでいいことになった。泳げないのだから、仕方がない。<br />
<br />
私は溺れかけた苦しさよりも、とっさに私を助けようと飛び込んでくれた級友に感動した。彼は新宿高校時代の私の親友のひとりになる。友だちとはありがたいなとつくづく思った。<br />
<br />
高校を出てから最初の同窓会くらいしか会っていないが、彼には今でも感謝の気持ちがある。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgjxsfHWa-q516LeOD7j16qX7gd_roBA-2mMax6HhBBsoPqYMSjtIaJJszjY7bHaS1ZfyLKed5kXHFdYqQQ85qgGkI-3C08LCgKK34b2PsyhdRaDME3H13bvmnOHDHcFVJGVG3wJOQxOoah/s1600/%23075.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="386" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgjxsfHWa-q516LeOD7j16qX7gd_roBA-2mMax6HhBBsoPqYMSjtIaJJszjY7bHaS1ZfyLKed5kXHFdYqQQ85qgGkI-3C08LCgKK34b2PsyhdRaDME3H13bvmnOHDHcFVJGVG3wJOQxOoah/s640/%23075.jpg" width="640" /></a></div>
<br />
<br />
三年になると、体育の時間にテニスとサッカー(ほかにもあったかも)などから、好きなスポーツを選べるようになった。テニスのように一対一で競技する、つまり個人が目立つプレイは恥ずかしくて、もちろんサッカーを選んだ。<br />
<br />
中学時代と同様、私のボールへの寄りが良いことは仲間も気づいて、いつもサイド・バックでボールを相手から奪った。体育の時間の競技は、学期ごとに変えなくてはいけないのだが、生徒を割り振りするチーフ格の生徒に頼んで、私は結局、三学期間サッカー競技にまわしてもらった。<br />
<br />
校内のクラス対抗のサッカー試合に一度だけ私は出してもらったことがあるが、今でも私はサッカーばかりにこだわらないで、テニスなどもしてみるべきだったと後悔している。<br />
<br />
仲良くなった同級生に、私と同じく本が好きで、一緒に文学についてよく話した男がいるが、彼も体育などまったく向かない体格のくせに、ちゃんとテニスの競技を選び、「ラケットの握り方とか難しいけど、やってみるといろいろおもしろいよ」と、私に語った。自分には彼のような勇気がないな――と、私は彼を尊敬したものだ。<br />
<br />
恥ずかしがりだと言えば聞こえはいいが、要するに私は自意識過剰で、自分を解放できないでいたのである。<br />
<br />
<hr style="border-top: 2px dotted #ff9d9d; width: 100%;" />
<br />
<span style="color: #444444;">*第76回は<b>11/28(金)</b>更新予定です。 </span>Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-79979736142230893502014-11-14T12:00:00.000+09:002014-11-14T12:14:20.320+09:00第74回 新宿御苑への秘密通路 「では、小野君と藤林(ふじばやし)君、ちょっと自己紹介を……」<br />
<br />
都立新宿高校に1955年9月の第二学期から途中入学したとき、私が入れられたクラスには、もうひとり藤林君という同じ編入生がいた。教室のいちばん後ろの席に私たちはいたのだが、私はとても恥ずかしくて、立ちあがって同級生たちにあいさつすることができなかった。そんな私を見て、藤林君もあいさつをしないでいた。<br />
<br />
顔を見合わせてもじもじしているふたりに、担任の先生は「では、まあいずれあとにでも……」と言って、無理にあいさつさせようとはしなかった。今思い返しても、どうしてあのときあいさつができなかったのか、自分ながら信じられない思いで恥ずかしくなる。しかし、そうした恥ずかしがり屋の自信の無さから来る私のおどおどした性格は、今でも実は続いているな――と、しばしば感じる。<br />
<br />
私の父は子どもの頃とても恥ずかしがり屋だったと、昔を知る父の姉に聞いたことがある。マンガ家となり人気を博し、1930年代にはマンガ家として初めて東京の日劇の舞台で絵を描きながらのトークショーを行った。戦後は話術で人々を笑わせ、マンガ家仲間の忘年会では両手に丸いお盆を手に素っ裸で舞台に出て、音楽に合わせて前を巧みに隠しながらの裸踊りは有名になった。<br />
<br />
座は爆笑の渦だったが、同席した雑誌『オール讀物』の女性編集者が「見ていてとても恥ずかしかったわ」と、後に私に語ったことがある。「伝統芸を絶やしてはいけない」と、父の死後、別のマンガ家がこの裸踊りを引き継いだが、とても小野佐世男の踊りのユーモアと明るさ、きわどいけれど上品な踊りとは比べものにならないと、本人も知っていた。そのマンガ家も、すでに故人である。<br />
<br />
そんな人を楽しませることの達人であった父について、「小野ちゃんは、とても照れ屋だったよ」と、親友だったマンガ家の横山隆一氏はエッセイのなかで記しているし、私にも話していたものだ。<br />
<br />
父の恥ずかしがり屋の性格も、私は受け継いでいると思っているが、そんな自分が、いまでは時として、三百人もの学生を相手に大学の大教室で講義をすることもあるのだから、不思議でならない。<br />
<br />
<br />
<br />
都立新宿高校は当時、日比谷高校や戸山高校などの都立校と並んで、いわゆる受験校として有名だったが、その雰囲気は驚くほど自由で、良い意味でちょっと荒っぽいところがあり、私はすぐに気にいった。<br />
<br />
例えば校舎はぼろぼろで、階段などガタガタ音をたてた。毎朝8時半に校庭に全生徒を集めて行われる朝礼の場で、「新しい校舎に建て直してほしいのだが、なかなかこの校舎が壊れないんだ」と、教頭先生が、もっと生徒が乱暴に歩いたりして壊してくれないと困る――と、暗に期待しているような話をするほどで、私は驚き笑ってしまった。<br />
<br />
おんぼろぶりは校舎だけではない。<br />
<br />
都立新宿高校は、新宿御苑と境界を接していた。その境界のコンクリートの塀は、校庭にずっと伸びて続いている。<br />
<br />
だがその塀に壊れた部分があり、人がかがんで通れる穴になっていた。このことは新宿高校生だけの秘密として、先輩から受け継がれてきており、昼休みなどに生徒は破れ穴を抜けて御苑に忍び込み、木立ちを抜けて広い芝生の上で弁当を食べることもできたのである。<br />
<br />
もちろん学校では、そんなことは禁じており、朝礼でも先生は、しばしば破れ穴から御苑に入ってはいけないと注意するのだが、私の在学中もその後も何年かはその穴はふさがれることはなかったのだから、先生たちも御苑への出入りを大目に見ているようだった。<br />
<br />
あまりおおっぴらにやってはまずいことは生徒たちも当然知っていて、目立たないように行き来していた。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjGczWTSgx_nyPvIv27Dg4r9zMUr9gswrNkOKOnhMvS3AAHh5ev36ZfTesac0-HXtwrXu8ns8O0cMFp4XgPeLwZRrwrVOaLMj8xXj_fb9wP9W32YyETTHzfvZ_Ed2_BwbQ6UkhGQ6-im96A/s1600/%23074.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="488" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjGczWTSgx_nyPvIv27Dg4r9zMUr9gswrNkOKOnhMvS3AAHh5ev36ZfTesac0-HXtwrXu8ns8O0cMFp4XgPeLwZRrwrVOaLMj8xXj_fb9wP9W32YyETTHzfvZ_Ed2_BwbQ6UkhGQ6-im96A/s640/%23074.jpg" width="640" /></a></div>
<br />
<br />
都立新宿高校は、代田の私の家から小田急線ですぐだから好都合だった。当時の月謝は五百円だったので、母はあまりの安さにびっくりしたものだ。私立の成城学園はずっと高かったに違いない。<br />
<br />
父の死後、母は、父が建ててほとんど使うことの無かったアトリエで、子どもたちに絵を教える絵画教室を開いた。<br />
<br />
母は戦前の女子美術大学の卒業で油絵を描いた。父とは、結婚後も絵を描いてもいいという約束で結婚したのだが、とてもその時間は無かったのである。<br />
<br />
画塾を開くといっても、子どもたちが集まってくれるかどうかわからなくて、母は不安だった。しかし、少数の知り合いの子どもたちの絵が上達し、小学校で絵の成績が良くなっていくので、次第にクチコミで評判になり、生徒たちが増えていった。<br />
<br />
初めは日曜日だけ教えていたが、土曜日にも開き、幼稚園児や小学生のほか、中学生も来るようになる。その後、近くのキリスト教系の幼稚園(妹が通っていた)から子どもたちに絵を教えてくれるように頼まれ、母は毎週通うようになった。<br />
<br />
家の庭も広く、草花も季節ごとにきれいに咲いたから、子どもたちも付き添いの母親たちにとっても楽しかったのだと思う。<br />
<br />
母はこの仕事を60歳で亡くなるまで続け、一家を支えていくことになる。<br />
<br />
新宿高校での私の日々も順調だったと言うべきなのだが、恐怖の時が来た。<br />
<br />
体育の時間である。<br />
<br />
<hr style="border-top: 2px dotted #ff9d9d; width: 100%;" />
<br />
<span style="color: #444444;">*第75回は<b>11/21(金)</b>更新予定です。 </span>Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-53733422117249691762014-11-07T12:00:00.000+09:002014-11-07T12:00:00.844+09:00第73回 『物体X』のとりこになる 1954年が私にとって重要なのは、11月に映画『ゴジラ』が公開されたこともあるが、なによりも私の父・画家の小野佐世男が2月1日、48歳の若さで急逝したからだ。<br />
<br />
それはアメリカの映画女優マリリン・モンローが、新婚の夫でメジャー・リーグのスラッガーであるジョー・ディマジオと来日する日だった。父は週刊サンデー毎日の依頼で、帝国ホテルに宿泊するモンローを取材することになっていた。<br />
<br />
しかし羽田空港で大歓迎陣にむかえられたモンローのホテル到着が遅れたので、父は有楽町の日劇ミュージック・ホールに知人を訪ねようと階段を登る途中、心筋梗塞で倒れたのだった。このことは、例えば吉行淳之介の短編『踊り子』のなかで触れられているように有名で、小野佐世男を語るとき、しばしばこのことが引きあいに出される。2012~2013年にかけて川崎市岡本太郎美術館で催された「小野佐世男 モガ・オン・パレード」展の最後の部分に「モンローに会えなかった」ことが示されていたが、同館の名誉館長である村田慶之輔氏は、この展覧会の図録の巻頭に「モンローが会えなかった男」と題する文章を寄せた。<br />
<br />
なるほど、視点をかえれば、マリリン・モンローは「女性を描いては並ぶ者なし」と言われた日本の画家に、自分の絵を描いてもらう機会を逸したことになる。これは意表をついたすばらしい文章だった……。<br />
<br />
<br />
<br />
その頃、『ゴジラ』のほかに私をとらえてしまった映画は、1950年代初期のアメリカの一連のSF映画である。<br />
<br />
まず小学校6年のとき、母に連れられてジョージ・パル製作の『月世界征服』(1950)を見て、宇宙空間のロケットの飛行を科学的に正確に描いた場面に息をのんだ。<br />
<br />
この映画のなかに、月に到着した宇宙飛行士のひとりが、あたかも地球から見る月のように遠く見える地球にむかって片手を上げる場面がある。その手の上の位置に丸い地球が輝いている。「地球を支える巨人アトラスだ」と、宇宙服姿のそのアストロノーツは言うのだった。<br />
<br />
この映画を、父は映画配給会社の試写で見てきたのだろう。35ミリフィルムのこの場面の2コマ分を切ったものを、父はたまたま、映画会社から貰ってきていた。<br />
<br />
「小野先生、あのフィルムのコマは、可燃性フィルムなので危険です。取り扱いにお気をつけください」と、翌日あわてて電話をかけてきたのは、その切り取ったフィルムの断片を父にあげた映画会社の人だった。<br />
<br />
当時の映画フィルムは、まだ可燃性のニトロ・セルロースで出来ていた。それは小学校で使うセルロイドの下敷きも同じだった。セルロイドの下敷きを細かくハサミで切り、アルミニウム製の鉛筆キャップに入れ、口を閉じ、マッチの火を近づける――という遊びを小学生の私は弟と一緒に、家の庭で何度もやったものだ。熱せられたアルミのキャップは、それこそロケットのように飛んだ……。<br />
<br />
中学生になると、続けざまに私は、ジョージ・パル製作のSF映画『地球最後の日』(1951)と『宇宙戦争』(1953)を、夢中になって見た。『月世界征服』のフィルムのコマは、私が大切に持っていたはずなのだが、いつのまにか紛失してしまって、今はない……。<br />
<br />
<br />
<br />
そのほか、ハワード・ホークス製作による『遊星よりの物体X』(1951)にも魅せられた。この映画のポスターは、当時の成城学園前駅の壁に貼られており、アメーバ状のものが氷原に広がっているようなイメージに興味をそそられた。<br />
<br />
「Xというのは、数学では未知数を表すために使われる。『物体X』という映画があるだろう? あれも未知の存在を意味しているんだよ」<br />
<br />
中学校の理科の先生が話したのをいまだに覚えているのは、この傑作SF映画と結びついているからだ。<br />
<br />
「日本が戦争中に開発した兵器で優れていたものに、零式戦闘機などのほかに酸素魚雷がある」などという話をしていたこの先生はスキーが好きで、その先生にうながされて私は冬のスキー合宿に参加した。今も銀座にある好日山荘というスキー用具店に先生に連れていかれて、スキー用具を買った。当時のスキー板は一枚板の単板だった。合宿には体育の先生や上級生たちも一緒で、そこで学んだのはスキー技術だけではなかった。<br />
<br />
スキー旅行にバター半ポンドとチーズ・クラッカーひと箱を持っていくべきだ――ということを私は知った。スキーで滑ったあと、仲間でこたつを囲みながら、チーズ・クラッカーでバターをすくいながら食べるほど美味しいものはないのである。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhVR4OZPohNrMBmrZu5gpdsE_1uTTK0YS9l_hYL3HVbBBQbr564ESsUR8u5hqrGtYRO391e7C2rcD4NXjRLfb7jp1NLMoRLYBqs2fIACfDTCqzhtaG-jNLOt5EQS7v-joy3xizeiKTsF0_U/s1600/%23073.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhVR4OZPohNrMBmrZu5gpdsE_1uTTK0YS9l_hYL3HVbBBQbr564ESsUR8u5hqrGtYRO391e7C2rcD4NXjRLfb7jp1NLMoRLYBqs2fIACfDTCqzhtaG-jNLOt5EQS7v-joy3xizeiKTsF0_U/s1600/%23073.jpg" height="296" width="640" /></a></div>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
中学卒業後、成城学園の高校に進む気はなかった。父が亡くなり、学費の安い都立高校に進もうと考えた。勉強をして都立新宿高校に入学したかったが、あせって気持ちが乱れ、受験に失敗し、滑り止めに受けた学芸大学附属高校に入学した。<br />
<br />
母と一緒に東京学芸大学附属高校に入試の結果を見に行った帰り、映画館でジョージ・パル製作の新しい映画『宇宙征服』(1955)を見たことを覚えている。<br />
<br />
だがこの高校は初めから仮の場所と思っていた私は、一学期だけそこにいて、目的の都立新宿高校の編入試験を受け合格した。正規の入学試験よりはるかに難しい途中入学の補欠編入試験に受かったのだから不思議なものだ。<br />
<br />
東京学芸大附属高での短い滞在も楽しかったといえよう。ここでも体育の時間に野球があり、「おまえ、キャッチボールからやり直せ」とクラスメートに言われたものだが、あるときどう間違ったのか打球が飛び、「なにしろ小野が二塁打を打ったんだからな」と、あとでひとしきり話題になったものだ。<br />
<br />
<br />
<br />
成城学園中学校の卒業式には、私は卒業生代表として答辞を読んだ。<br />
<br />
<hr style="border-top: 2px dotted #ff9d9d; width: 100%;" />
<br />
<span style="color: #444444;">*第74回は<b>11/14(金)</b>更新予定です。 </span><br />
<br />
<br />
<span style="color: #444444;">■イベント情報■ </span><br />
<br />
<div style="text-align: center;">
<span style="color: #444444;"><b>【ガイマン賞トークイベント】<br /><a href="http://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/archives/t_event53.html" target="_blank"><span style="font-size: large;"><span style="color: #6fa8dc;">小野耕世、大いに語る!ガイマン賞2014ナビ</span></span></a></b></span></div>
<div style="text-align: center;">
<br /></div>
<div style="text-align: center;">
<span style="color: #444444;">半世紀近く海外マンガ=ガイマンの翻訳と紹介に</span></div>
<div style="text-align: center;">
<span style="color: #444444;">たずさわってこられた"ガイマンの父"小野耕世氏。<br />その小野氏と共に、今年のノミネート作品を概観しつつ、</span></div>
<div style="text-align: center;">
<span style="color: #444444;">ガイマンの現在、過去、未来について熱く語らいます。 </span> </div>
<div style="text-align: center;">
<span style="color: #444444;"><</span>ガイマン賞についての詳しい情報は <a href="http://www.gaiman.jp/" target="_blank">コチラ</a> から></div>
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<br /></div>
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjOJm87Lr5WEMe7EFmYeyBG5_aMIkKwcyd3cICMc48jWcTyfwGuL-8PF84S7EJlk-hJBpUJK4uSK_cDcOsfDAmqBb7Fq1IsVf_s8QE11XwEY3id3jHVeMPdb-Vild0ZKDD2AoCGDZPn1hxp/s1600/141024_01.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjOJm87Lr5WEMe7EFmYeyBG5_aMIkKwcyd3cICMc48jWcTyfwGuL-8PF84S7EJlk-hJBpUJK4uSK_cDcOsfDAmqBb7Fq1IsVf_s8QE11XwEY3id3jHVeMPdb-Vild0ZKDD2AoCGDZPn1hxp/s1600/141024_01.jpg" height="400" width="281" /></a></div>
<br />
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</div>
【日時】 <b>2014年11月8日(土)16:00‐17:30</b><br />
【場所】 <a href="http://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/visiting.html" target="_blank">米沢嘉博記念図書館</a> 2階閲覧室<br />
【出演】 <特別ゲスト>小野耕世(翻訳家)<br />
原正人(BD翻訳者)、椎名ゆかり(米コミックス翻訳者)<br />
【料金】 無料 ※会員登録料金(1日会員300円~)が別途必要です。<br />
*会場が混み合う場合、入場をお断りすることがあります。ご了承ください。<br />
<a href="http://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/archives/t_event53.html">http://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/archives/t_event53.html</a><br />
<br />
<br />
<出演者プロフィール><br />
○小野耕世 (おのこうせい)<br />
1939年東京生まれ。国士舘大学21世紀アジア学部客員教授。海外コミックの翻訳・紹介の第一人者として、2006年に第10回手塚治虫文化特別賞を受賞。著書に『アメリカン・コミックス大全』、主な訳書に『マウス』『パレスチナ』『皺』などがある。最新の翻訳作品は小学館集英社プロダクション刊『リトル・ニモ 1905-1914』。<br />
<br />
○原正人 (はらまさと)<br />
BD翻訳者。訳書にバスティアン・ヴィヴェス『ポリーナ』(小学館集英社プロダクション)、マリー・ポムピュイ、ファビアン・ヴェルマン&ケラスコエット『かわいい闇』(河出書房新社)など。『はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』(玄光社)監修。<br />
<br />
○椎名ゆかり (しいなゆかり)<br />
米コミックス翻訳者。訳書にフェリーぺ・スミス『ピポチュー』 (講談社)、アリソン・ベクダル『ファン・ホームある家族の悲喜劇』、チャールズ・バーンズ『ブラック・ホー ル』、ファビオ・ムーン、ガブリエル・バー『デイトリッパー』(すべて小学館集英社プロダクション)他。<br />
<br />
<br />
<span style="color: red;"> </span>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-7237399963800338052014-10-24T12:00:00.000+09:002014-10-24T12:00:01.832+09:00第72話 最初のゴジラ映画 「あっ」<br />
<br />
サッカーのゲームではよくあることだが、私は足を奪われて倒れてしまい、右手をグラウンドに突いてしまった。激痛が走った。<br />
<br />
それでも立ちあがってゲームを続け、少し痛いけどすぐ直ると思って家に帰った。ところがそれから二か月近く経っても、痛みがとれない。右手の調子がおかしい。<br />
<br />
母も心配して、渋谷にある接骨院(いわゆる骨つぎ)に連れていかれた。その医院の先生は、じっと私の右手を見て、台の上に乗せた。そして、私の手をさすりながら、一瞬、手刀で私の腕を打った。<br />
<br />
目まいがして、吐き気がした。このとき先生は、私の右手の骨を折ったのだ。いや、サッカーのゲームで手を突いたとき、私は右手首の骨を折ってしまったのだが、そうとは思わず放っておいたので、折れた骨が間違った位置で、またくっつき始めていたのである。<br />
<br />
それを見てとった〈骨つぎ〉の先生は、手刀で私の腕の骨を折り直し、正しい位置に付くようにしたのだ。右腕に薬を塗られ副木をあてられ、首から包帯で吊られた姿で学校に行くと、級友たちは驚いた。<br />
<br />
私は恥ずかしくてならなかった。柔道かなにかの練習で投げられて骨折したのならともかく、サッカーで骨折なんて、どこかみっともないではないか。なぜ骨折したのか、人に説明するのが私は嫌だったが、しかたがない。<br />
<br />
それから二か月くらい、私は渋谷の接骨院に通うことになった。その先生は年配の人だったが、もともと柔道をやっていた人なので、話もおもしろくて私はとても好きになったものだ。<br />
<br />
これが中学二年のときのことだった。サッカーで私が倒れたときは、たいしたことはないと判断していた体育の先生は、責任を感じたようで、しきりにすまながって、その学期の私の体育の成績を5にしてくれたのには笑うほかなかった。<br />
<br />
ともかく右手が使えないので、エンピツなどがうまく握れず、学校でノートをとるのに苦労した。それで社会科の先生なども、少し私に同情したふしもあるが、やがて骨もちゃんとくっついた。私のサッカー好きは変わらなかったから、またサッカーを続けたが、あんな怪我をするなんて、私の手の突き方の下手なことが口惜しまれ、恥ずかしかった。<br />
<br />
でも相変わらず基本的にはスポーツはダメで、野球は嫌いだった。しかし、そんな私の引っ込み思案な性格を見抜いていた担任の(モールス信号の)英語の先生は、あるときクラス対抗の野球の試合のとき「小野、おまえ監督やれ」と命じた。<br />
<br />
私もびっくりしたが、クラスの仲間たちはもっと驚いたろう。でも、やるほかない。といっても級友たちは私のことは良く知っているので、形だけ私を立てて、勝手にゲームを進めていった。それでかまわない。試合は初めこちらのチームが勝っていて、勝利を9分9厘手中にしたと思ったとき、こちらのピッチャーが乱れて、結局19対4の大敗を喫した。思いあがったり油断をしてはいけないと思い知らされた。私は飾りだけの監督だったけれど、無視されながらも仲良くゲームをしてくれたクラスメートたちに感謝していた。<br />
<br />
<br />
<br />
私の本好きは、さらに進んでいた。<br />
<br />
成城学園前駅の北口には吉田書店が、南口には成城堂書店というふたつの本屋があり、学校の帰りには毎日のように寄って立ち読みをした。<br />
<br />
サンデー毎日という週刊誌には、大佛次郎による新しい『鞍馬天狗』の物語『青面夜叉』が連載中で、毎号それを読み、毎日新聞社から単行本になると必ず買った。吉川英治の『新書太閤記』全11巻も、毎日50ページずつ立ち読みして、読了した。<br />
<br />
また、1954年11月、やはり私が中学三年のときに東宝映画『ゴジラ』が公開された。この最初のゴジラ映画は、今年のアメリカの新作『GODZILLA ゴジラ』の公開に先立って東宝により再公開されたが、いま見直してもすばらしい作品である。<br />
<br />
一方、アメリカの新しい『GODZILLA ゴジラ』はどうだったか。<br />
<br />
かなり話題になった映画だが、私はあまり感心しなかった。なにを言いたいのか良くわからない映画である。まず、ゴジラの登場がとても遅い。渡辺謙が演じる日本の科学者の役割もはっきりしない。彼はほとんどなにもしていない。映画のなかを(アメリカ側に尊敬されながらも)、ただうろうろしているだけのようにしか見えない。彼がアメリカ軍の司令官に、核兵器を使わないでくれと頼んでも、相手にされない。司令官は、使おうとする新しい核兵器にくらべれば「1950年代のビキニで実験された水爆などファイアクラッカーみたいなものだ」と言う。<br />
<br />
そうだとすれば途方もない兵器で、映画の最後で爆発したのなら、ゴジラが戦っていたアメリカの沿岸部に、なんの影響もなかったとは考えられない。しかし映画では、核爆発はアメリカ人の若い兵士の目から、幻の閃光のように描かれているだけだ。それに、この映画では日本はアメリカの占領下にあるような印象を受ける…。<br />
<br />
1954年に最初の『ゴジラ』が公開されたとき、私は中学のクラスの新聞に、ゴジラが日本の国会議事堂を襲おうとして、やめて逃げるというマンガを描いた。当時の国会で議員たちの争いがあって、ゴジラは議員たちの暴力に恐れをなして退散するという(中学生らしい)くだらないマンガだった……。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjw00OAmuF2B5D6HPFzzmElsJMFodKutMjZFoVg_AjvWj_pDgWe8JTZPY3IH_moaOOdLEYhLC3TO_QhsqgSDDAX-HSDPlrLa61bSuo47HS_kPb2pI3cO1_JcvJ_3W8D-thuXDkzQy9EiC9w/s1600/%23072.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjw00OAmuF2B5D6HPFzzmElsJMFodKutMjZFoVg_AjvWj_pDgWe8JTZPY3IH_moaOOdLEYhLC3TO_QhsqgSDDAX-HSDPlrLa61bSuo47HS_kPb2pI3cO1_JcvJ_3W8D-thuXDkzQy9EiC9w/s1600/%23072.jpg" height="329" width="640" /></a></div>
<br />
<br />
<hr style="border-top: 2px dotted #ff9d9d; width: 100%;" />
<br />
<span style="color: #444444;">*来週はお休みです。第73回は<b>11/7(金)</b>更新予定です。 </span><br />
<br />
<br />
<span style="color: #444444;">■イベント情報■ </span><br />
<br />
<div style="text-align: center;">
<a href="http://bookandbeer.com/blog/event/20141025_bt/" target="_blank"><b><span style="color: #e06666;">藤原カムイ×小野耕世「ウィンザー・マッケイ没後80年</span></b></a><br />
<a href="http://bookandbeer.com/blog/event/20141025_bt/" target="_blank"><b><span style="color: #e06666;">時代を超えて新しい『リトル・ニモ』の魅力を語る」 </span></b></a><br />
<span style="color: #444444;"><a href="http://bookandbeer.com/blog/event/20141025_bt/" target="_blank"><b><span style="color: #e06666;">『リトル・ニモ 1905-1914』(小学館集英社プロダクション)刊行記念 </span></b></a></span><br />
<br />
<span style="color: #444444;">小野耕世氏が翻訳を手がけた『リトル・ニモ1905-1914』の刊行を記念して</span><br />
<span style="color: #444444;">下北沢の書店B&Bにてトークイベントを行います!</span><br />
<span style="color: #444444;">『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』(スクウェア・エニックス)、</span><br />
<span style="color: #444444;">『アンラッキーヤングメン』(角川書店) などの作品で知られ、</span><br />
<span style="color: #444444;">屈指のニモファンでもある漫画家の藤原カムイ氏とともに、</span><br />
<span style="color: #444444;">小野耕世氏が、ニモの魅力を語りつくします。 </span></div>
<div style="text-align: center;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjY2RGk3OHOlToWWlO0do8JTJoawpsRgjGop10wvQOQK7SHYSf1j67xO8A1zw3Ptz-yA51J7ryDT5Re-pHgpQ1SZbA6HWZrTHQY61MuVBTx_Ol1FGu0gf_U9dyIVyKen2H46UgXRIStW7vg/s1600/%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A2%E8%A1%A8%E7%B4%99.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjY2RGk3OHOlToWWlO0do8JTJoawpsRgjGop10wvQOQK7SHYSf1j67xO8A1zw3Ptz-yA51J7ryDT5Re-pHgpQ1SZbA6HWZrTHQY61MuVBTx_Ol1FGu0gf_U9dyIVyKen2H46UgXRIStW7vg/s1600/%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A2%E8%A1%A8%E7%B4%99.jpg" height="320" width="241" /></a></div>
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<br /></div>
<div style="text-align: center;">
<span style="color: #444444;">【日時】</span><br />
<span style="color: #444444;">10月25日(土)15:00~17:00 (14:30開場)<br /><br />【出演】</span><br />
<span style="color: #444444;">藤原カムイ(漫画家)、小野耕世(翻訳家)<br /><br />【場所】</span><br />
<span style="color: #444444;">本屋B&B<br />世田谷区北沢2-12-4 第2マツヤビル2F<br /><br />【入場料】</span><br />
<span style="color: #444444;">1500yen + 1 drink order</span><br />
<span style="color: #444444;"><br /></span>
<span style="color: #444444;"></span><br />
<span style="color: #444444;">チケットの詳細・ご予約は <span style="color: red;"><a href="http://bookandbeer.com/blog/event/20141025_bt/" target="_blank">コチラ</a></span> から<br /><b><span style="color: red;"> </span></b></span><br />
<br /><span style="color: red;"> </span></div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-50480766158613652222014-10-17T12:00:00.000+09:002014-10-17T14:08:48.848+09:00第71話 サッカーに夢中になる 小学校を卒業すると、そのまま成城学園中学校に進んだ。<br />
<br />
中学校の校舎は成城学園の正門に近かったから、最寄駅は小田急線の成城学園前である。クラスには小学校の同級生もいたし、新しい生徒もいた。小学校と違って、今度は普通の学校と同じく、学期ごとに成績がつく。<br />
<br />
それはいいのだが、困ったことに、またしても私はクラス委員に選ばれてしまうのだった。副委員長はしっかりした女子。だから、わかっているある先生は「きみは、女性のクラス委員がいるから大丈夫なんだね」と私に言ったものだ。そのとおりなのだった。<br />
<br />
中学校にはおもしろい先生がいた。まだ戦地から復員(帰国)したばかりの先生もいて、日本史の先生は軍隊から支給されたブーツ(軍靴)を履いて毎日出勤していた。ほかに靴を持っていないようだった。<br />
<br />
また、社会科の向井先生は、授業のなかで中国での戦争体験をいつも話し、生徒たちは夢中になって聞いたものだ。彼は成城学園前駅から学校までのあいだの家に下宿していたので、私たちは駅を出て学校に歩いていく途中、先生の住む家の前で「向井くん、遊びましょ」と、声をかけるのだった。それを、先生が反応するまで続けるのである。<br />
<br />
すると向井先生は、二階の窓を開け、コーヒーカップを手に顔を出し「きみたちねえ、朝から先生を呼ぶのはやめてくれないかね」などと言うのだが、私たちはほとんど毎朝、この行事をくり返すのだった。<br />
<br />
また、美術の先生は美しい日本画を描かれる人だったが、私の絵をよく見てくださった。そして、新東宝が『戦艦大和』という映画を公開すると、興奮して大和について私たちに熱っぽく語るのだった。<br />
<br />
英語の先生は、私のクラスの最初の担任だったが、海軍にいたので江田島の海軍兵学校の思い出をいろいろ話されたし、どういうルートでか、旧海軍から払いさげられた小型の無線発信器を生徒全員に一個ずつ十円で買わせ、モールス信号の練習をさせたのである。<br />
<br />
その先生の時間に、私たちはみな机の上にその発信器を置き、指でト・ツー・ト・ツーとモールス信号を打つ練習をした。そのベークライト製の器具は、とっくに失くしてしまったが、最後にはバネがさびて利かなくなっていた。英語の先生は、海軍仕込みのモールス信号を、生徒たちに学ばせるのに情熱を持っていたのである。<br />
<br />
また、体育の先生のひとりは、広大な成城学園の敷地の一画にある馬場の小屋に住んでいた。つまり、馬に乗る人であった。「アメリカは、ジャズを日本に入れ、日本人を堕落させようとしている」などという話を、この先生は時にしていた。<br />
<br />
そして体育の時間は、私にとって相変わらず苦手だったのに加えて、中学生になってから年に一回、体力テストというものが加わったのである。それには、ボール投げの距離を測るテストがあった。<br />
<br />
普通の中学生は、まあ30メートルとかそれ以上、野球のボールを投げることができる。しかし私は、せいぜい19メートルほどしか投げられない。投球の腕の振り方をちゃんと学んでいないので、いわゆる〈女投げ〉になってしまう。いや、女子でも私より遠くへ投げられる中学生もいたのではないか。<br />
<br />
このボール投げテストのたびに、係員の先生や、私のことをよく知らないほかの生徒たちが首をかしげるのが、私には屈辱的だった。私のような男子生徒がいるなんて信じられないにちがいない……。<br />
<br />
<br />
<br />
ただ、中学に入ってから好きになった体育の時間の競技があった。サッカーである。<br />
<br />
いまでこそサッカーは日本で非常にポピュラーだが、当時はそうではなかった。サッカーは団体競技だが、野球のように個人がバッターボックスに立ったりしない。私はサイドバックのポジションが好きになった。相手からのボールを、うしろから間隔をぬって走り、奪うことが私にはできた。それも個人技としては目立たないのがいい。<br />
<br />
スポーツが苦手な私も、サッカーのサイドバックでは、うまく動けた。クラス対抗の試合でも、私はすばやく出ていって、ボールを止めたり奪ったりした。「すごい。来るボールをみな、きみが取ってるじゃないか」と、私に言うクラスメートもいた。<br />
<br />
「きみは〈寄り〉がいいな」と、中学のサッカー部に入っている同級生が言った。ボールに向かっていくタイミング、寄り方がいいという意味だ。私は彼に、サッカー部の部員募集のポスターを描いてくれと頼まれて描いたこともある。<br />
<br />
サッカーは、キックオフの時間には、たとえ雨だろうとどうだろうと、定時に両チームが整列しゲームを始めなくてはならないということも、体育の先生が教えてくれて、それも私は気にいった。雨のなかをサッカーで走りまわり、泥んこになって教室に戻ったこともある。サッカーに関する限り、私は体育の時間が好きになった。ボールの来る方向に合わせて、自分のからだを動かすという知的な興奮を私は味わうことになった。オフサイドなど、サッカーのルールや用語は、すぐに覚えた。<br />
<br />
だが、調子に乗っているとろくなことはない。私はサッカーで怪我をしてしまうのだった。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjdMuQE-OEPRU5KvSdE8Zf5Fp3CfvOEVUhbRIhrV6rPuf7cfUrN5i1YjDRjsMVSoYf7d9ngEL3T7GFpD4mPNrwfHv8K7D9UyHcnqqpu_RQ0FCMJCRkrCXMT1LjJBpW5m96muV9HRJJLe34l/s1600/%23071.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjdMuQE-OEPRU5KvSdE8Zf5Fp3CfvOEVUhbRIhrV6rPuf7cfUrN5i1YjDRjsMVSoYf7d9ngEL3T7GFpD4mPNrwfHv8K7D9UyHcnqqpu_RQ0FCMJCRkrCXMT1LjJBpW5m96muV9HRJJLe34l/s1600/%23071.jpg" height="288" width="640" /></a></div>
<br />
<br />
<hr style="border-top: 2px dotted #ff9d9d; width: 100%;" />
<br />
<span style="color: #444444;">*第72回は<b>10/24(金)</b>更新予定です。 </span><br />
<br />
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<span style="color: #444444;">■新刊情報■ </span><br />
<br />
<div style="text-align: center;">
<span style="color: #444444;">今なお世界中の読者とクリエイターに衝撃を与え続ける</span></div>
<div style="text-align: center;">
<span style="color: #444444;">初期新聞漫画の傑作が、小野耕世氏の翻訳でついに登場!</span></div>
<div style="text-align: center;">
<br /></div>
<div style="text-align: center;">
<i><span style="color: #0b5394;">「ウィンザー・マッケイは、『リトル・ニモ』のなかで、ありとあらゆる</span></i></div>
<div style="text-align: center;">
<i><span style="color: #0b5394;">コミック・ストリップの技法上の実験を、早くもやってしまったのだ。</span></i></div>
<div style="text-align: center;">
<i><span style="color: #0b5394;">(中略)彼は、コミック・ストリップを発見した、というより</span></i></div>
<div style="text-align: center;">
<span style="color: #444444;"><i><span style="color: #0b5394;">ほとんど発明したといってもいいだろう」<span style="font-size: x-small;">(訳者解説より)</span></span></i> </span></div>
<div style="text-align: center;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjY2RGk3OHOlToWWlO0do8JTJoawpsRgjGop10wvQOQK7SHYSf1j67xO8A1zw3Ptz-yA51J7ryDT5Re-pHgpQ1SZbA6HWZrTHQY61MuVBTx_Ol1FGu0gf_U9dyIVyKen2H46UgXRIStW7vg/s1600/%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A2%E8%A1%A8%E7%B4%99.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjY2RGk3OHOlToWWlO0do8JTJoawpsRgjGop10wvQOQK7SHYSf1j67xO8A1zw3Ptz-yA51J7ryDT5Re-pHgpQ1SZbA6HWZrTHQY61MuVBTx_Ol1FGu0gf_U9dyIVyKen2H46UgXRIStW7vg/s1600/%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A2%E8%A1%A8%E7%B4%99.jpg" height="320" width="241" /> </a></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<br /></div>
<div style="text-align: center;">
<span style="font-size: large;"><b><span style="color: #444444;">『<a href="http://books.shopro.co.jp/?contents=9784796875042" target="_blank">リトル・ニモ 1905-1914</a>』</span></b></span></div>
<div style="text-align: center;">
<span style="color: #444444;"><br />ウィンザー・マッケイ[著]/小野耕世[訳]<br /><br />大型本(347×265㎜)・上製・448頁(予定)・本文4C<br /><br />定価:6,000円+税<br />ISBN 978-4-7968-7504-2<br />小学館集英社プロダクション<br /><b><span style="color: red;"> </span></b></span><br />
<span style="color: #444444;"><b><span style="color: red;">好評発売中!!</span></b></span><span style="color: red;"> </span></div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-87887460888164091952014-10-10T12:00:00.000+09:002014-10-10T12:00:01.752+09:00第70話 天守閣のような旅館 もっと早く書いておくべきだったかもしれないが、成城学園小学校には成績表がなかった。だれも自分の学校での成績など知らずに六年間を過ごすのである。<br />
<br />
だがもちろん、だれがどのくらい「勉強ができる」のかは、自然にわかってくるものだ。私はとにかく本を読むのが好きで、だから文章を書くのが好きだった。国語の教科書の章ごとに、学習者の子どもたちへの問題などが出ている。それに私は、さっさと答えを書いて先生に渡した。その教科書の課題を終えてしまうと、先生は次の学期の教科書にとりかからせてくれた。<br />
<br />
夏休みの宿題というものはあったけれど、私は最初の三日間ほどで終えてしまい、あとは好きな本を読んでいた。よく夏休みの宿題が終わらないという人の話を聞くと、不思議な気がした。自然観察ではカイコを押入れで飼った。家の近くに桑の木があり、毎日桑の葉をとってきてカイコに与える。カイコが桑の葉を食べる音がほんとうに聞こえるのだから、その食欲はすごい。〈蚕食〉ということばの意味を実感した。また、カイコを手のひらに乗せると、その冷たい感触が気持ちよかった。<br />
<br />
小学校のとき夢中になった本は、エーリヒ・ケストナーの作品のほかに、新潮社の日本少国民文庫で出ていた吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』、『シートンの動物記』、ジュール・ヴェルヌの『海底二万哩』、そのほか馬場先生がクラスで読み聞かせしてくれた竹山道雄『ビルマの竪琴』と、藤原てい『流れる星は生きている』が忘れ難い。<br />
<br />
<br />
<br />
そして小学六年のとき、岩波少年文庫が創刊された。最初の1冊はロバート・ルイス・スティーヴンスンの『宝島』で、ケストナーの『ふたりのロッテ』も出て、私はこの文庫を夢中になって読んだものだ。<br />
<br />
しかし、子ども時代に最も熱中したのは、やはり手塚治虫のマンガだった。いまでもこの頃の手塚マンガをくり返して読んで飽きることはない。私が、ケストナーの『飛ぶ教室』の主人公マルティン・ターラーにたとえたT君もそうだった。彼は後に医者になってアメリカで学位をとった。何年か前の小学校の同窓会で久々に会った彼と「あの頃、ぼくらは手塚治虫からあらゆることを学んだなあ」と話したものだ。私たちにとって手塚マンガは、子どもの読者をちょっと背伸びさせてくれる知的な楽しみであり、学校の教科書以上の教科書でもあった。<br />
<br />
<br />
<br />
小学校の同級生に黒川という男がいる。彼は俳優の黒川弥太郎の息子だ――と言っても、この俳優を知る者も、いまでは少ないだろう。私が実際に黒川の父親の映画を見たのは、ずっとあとのことだった。大映で渡辺邦男が監督した映画『忠臣蔵』(1958)で演じた大目付の役が忘れ難い。彼は長谷川一夫が演じる大石内蔵助ら四十七士が、討ち入りのあと泉岳寺に向かうのを馬上でむかえるのである。彼は『命を賭ける男』(1958)という時代劇でも長谷川一夫と共演している。また、東映に移ってからの内田吐夢監督の映画『宮本武蔵 般若坂の決斗』(1962)でも見事な好演ぶりだった。目にちからがあり、時代劇にぴったりの役者だった。「黒川弥太郎は『鞍馬天狗 鞍馬の火祭』にも嵐寛寿郎の天狗と対決する剣鬼・櫻町胤保(さくらまちたねやす)を演じてすごかったし、後の第二東映の映画では清水の次郎長を演じて良かったよ」と、私に語ったのは映画好きのマンガ家・バロン吉元である。<br />
<br />
黒川の成城の家に遊びに行ったこともあるが、父親の新しい美人の奥さんが、子どもの私たちに気を遣ってくださったのを覚えている。黒川も目のぱっちりとした美少年だったが、後に僧侶になり、さらにアイスホッケーの試合の審判をするようになったと、頭をそった彼に同窓会で聞いて驚いたものだ。<br />
<br />
<br />
<br />
成城学園小学校六年のとき、卒業旅行があった。伊豆の長岡への一泊旅行で、そのとき泊まったのが大和(やまと)館という旅館だった。手塚マンガや海野十三の本をすべて持っている金持ちの同級生Yの父親が経営する大きな旅館で、広大な庭と空にそびえるような別館があった。その別館の贅をこらした石づくりの階段を、友だちと一緒に下から登ってみたが、いつまでたってもてっぺんに着かない。いったい何階(いや何十階?)建てなのかわからないほどで、疲れきってしまったものだ。<br />
<br />
伊豆・長岡では江川太郎左衛門の生家を見学し、大黒柱というものを初めて見た。ほんとうに太い一本の木が屋敷の中心に高く伸び、家全体を支えているのである。それから太郎左衛門が造った反射炉を見た。黒船に対抗するための大砲の砲弾を作った炉だ。<br />
<br />
<br />
<br />
この旅行に私は二冊の読み物を持っていった。一冊は中央公論社版の『決定版 鞍馬天狗 第12巻 角兵衛獅子』 、もう一冊は旺文社から出た世界名作絵物語シリーズ(つまり、アメリカの教育的コミックブック)の『白鯨』である。いまでも私にとって、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』というと、このコミックスの印象が強く、メルヴィルは私の最も好きなアメリカの作家となっていく。メルヴィルの短編『書記バートルビー』は、H・G・ウェルズの『塀にある扉』と共に、世界名作短編小説のベスト5に入る傑作だと私は信じている。<br />
<br />
そして、『角兵衛獅子』があまりにおもしろかったので、これ以後、私は大佛次郎による『鞍馬天狗』シリーズは、すべて読むようになる。手塚マンガと同様、いまでも折にふれて読み返している。<br />
<br />
Yの父親はその後経営に失敗したようで、大和館はもはや存在しない。あの天守閣のようにどこまでも上に伸びていた大和館別館を登っていったことを、まるで夢のように感じる。あんな広大なパノラマのような旅館を、その後見たことがない。友人のYももはや故人である。<br />
<br />
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjPAsrY5flqX3Ehx9PVd7Lnu2kuBAtW3abPopE2sitceRT0rPyBxxaycAJoQ5_XDb5_NrfaLMa-FEDCC71WBFVM0u2AUa2SQ7fTbXV6uTpaVhbMPkk5MXIypgJfD6RpxM_6g5t6-NzAdj5E/s1600/%23070.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjPAsrY5flqX3Ehx9PVd7Lnu2kuBAtW3abPopE2sitceRT0rPyBxxaycAJoQ5_XDb5_NrfaLMa-FEDCC71WBFVM0u2AUa2SQ7fTbXV6uTpaVhbMPkk5MXIypgJfD6RpxM_6g5t6-NzAdj5E/s1600/%23070.jpg" height="366" width="400" /></a></div>
<br />
<br />
また、小学六年のとき、私はメガネをかけた。教室の最前列にすわっても、黒板のチョークの文字が、はっきり見えなくなってしまったのである。父が、彼の知っている銀座のメガネ店に連れて行ってくれて、メガネを作った。視力は両眼とも0.2だった。原因が本の読みすぎであることは明白だった。いまではメガネをかけている幼児も見かけるが、当時クラスでメガネをかけたのは私ひとりだったから、とても恥ずかしかった。「小野がメガネをかけてきた」と作文に書いたのが、私と対決(というほどでもないが)したことのあるKだったのを思いだす。<br />
<br />
<br />
成城学園小学校の卒業のとき、生徒全員が三省堂のコンサイス英和辞典を受けとった。もちろん生徒の父兄がその費用を出していたのだろうが、これが私が初めて手にした英和辞典で、その後大学生になり、社会人になってからも役に立っていた。この辞書で引いたことばには赤エンピツで印を付けていったが、最後には印のないページがなくなるまで、私は愛用したのである。<br />
<br />
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<span style="color: #444444;">*第71回は<b>10/17(金)</b>更新予定です。 </span><br />
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<i><span style="color: #0b5394;">「ウィンザー・マッケイは、『リトル・ニモ』のなかで、ありとあらゆる</span></i></div>
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<i><span style="color: #0b5394;">コミック・ストリップの技法上の実験を、早くもやってしまったのだ。</span></i></div>
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<i><span style="color: #0b5394;">(中略)彼は、コミック・ストリップを発見した、というより</span></i></div>
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<span style="color: #444444;"><i><span style="color: #0b5394;">ほとんど発明したといってもいいだろう」<span style="font-size: x-small;">(訳者解説より)</span></span></i> </span></div>
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Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-16041218442689749092014-10-03T15:14:00.001+09:002014-10-09T19:50:28.648+09:00第69話 演劇の舞台に立つ 私が野球が苦手であることは、何度も書いたが、もうひとつ苦痛なものがあった。音楽、つまり歌をうたうことだ。<br />
<br />
小学校の音楽の時間が、嫌でたまらない。みんなで一緒に歌をうたうときは、なんとかごまかせるが、ひとりで歌うのは耐えられない。女の先生がピアノを弾いて、ひとりずつ順番に歌わせることがある。歌というよりも「ド・レ・ミー・ドー」と音程を発声させるのだが、私は声がうわずってしまう。人前でなにか話したり歌ったりは、恥ずかしくてからだがこわばる。ひとりで歌わされると声が不自然になり、「キーを高くしましょうか」と、先生がピアノを私の声に合わせてくれるのだが、それでも引きつったような声になり、仲間に笑われてしまう。笑われるのも当然だと思うのだが、どうにもならない。<br />
<br />
それに関連して、演劇があった。<br />
<br />
学園祭などの折に、初等科も演劇に参加する。小学四年のとき、馬場先生はクラスの全員を男女別に背の高い順に並ばせた。そして私を演劇のチームに選んでしまったのである。他のクラスから選ばれた生徒たちといっしょに、馬場先生とは別の演劇の先生の指導のもと、学校劇の練習をすることになった。正規の授業を外されて別の場所に集められ、台本を渡された。<br />
<br />
それは『四辻のピッポ』という学校劇の台本で、内容など忘れてしまったが、数年前、『世界少年少女文学全集』(東京創元社刊)の一冊に「世界学校劇集」という巻を古書店で見つけて買ったら「四辻のピッポ」も含まれていたから、かつては有名な子ども向きの演劇だったのだろう。<br />
<br />
私は練習のとき蝶ネクタイを付けられてしまった。あるときその服装のまま、正規のクラスに遅れて行くと「芝居に出るからって浮かれているんじゃない」と、馬場先生に怒られてしまった。浮かれるどころか、恥ずかしいのにしぶしぶ劇の練習をさせられ、それでもクラスにかけつけたのに、ひどい先生だなと思ったが、なにも言わなかった。先生が私を選んだくせに……。<br />
<br />
とにかくそれで役を演じ終えたのだから、うまくいったのだろう。そのあと、学園祭の芝居というと、私が呼ばれるようになった。<br />
<br />
印象に残っているのは『舞台裏』という劇で、これは馬場先生など成城学園小学校の先生方が脚本を書いた芝居だった。<br />
<br />
困ったのは、今度も主役で、そのなかで歌をうたう場面があることである。木の上に登って「村の鎮守の神さまの今日は嬉しいお祭り日。ドンドンヒャララ、ドンヒャララ……」と歌う村の少年の役だ。練習のときは、まあまあだったが、成城学園正門から入ってすぐにある母の館という大きなホールの建物で行われる本番では、心配したとおり歌うときに声がひどくうわずってしまい、生きた心地がしなかった。<br />
<br />
私の二歳下の弟も成城学園初等科に入学していたが、弟の同級生が作文に書いたこの芝居の感想のなかに、こうあった――「小野くんのお兄さんは、芝居はものすごくうまかったが、歌はものすごく下手だった」<br />
<br />
それ以後、私はかなり長いあいだ、弟にこの芝居のことでからかわれることになる。小学六年のとき、もうひとつの劇に出たが、私の相手役は同級生の美少女(というか可愛い女子)で、彼女はおとなになって演劇の道に進み、『EMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ』(だったと思う)という前衛映画にも出演するようになる……などと思い出すのだが、人前に出るのがなによりも苦手の私が、小学校でいくつもの舞台に出ていたとは、自分でも不思議な気がする。<br />
<br />
<br />
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgwX0btYcjvv9N2xJRDWBmzInTO6IcY7BMHo-oCK5_imSaB-5KiwywDs-5Ocwfd2Z6WgXM1ov4CY6HIylVGw596WnksdeWfLr0MGC5328ktf42jxkV1OcJ7wKsbiO1OQaU4-8mxBXXmG2nV/s1600/%23069.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgwX0btYcjvv9N2xJRDWBmzInTO6IcY7BMHo-oCK5_imSaB-5KiwywDs-5Ocwfd2Z6WgXM1ov4CY6HIylVGw596WnksdeWfLr0MGC5328ktf42jxkV1OcJ7wKsbiO1OQaU4-8mxBXXmG2nV/s1600/%23069.jpg" height="296" width="640" /></a></div>
<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
小学校でさらに困ったのは、学級委員に選ばれてしまうことだった。当時は委員長が男子で副委員長が女子(その逆があってもいいのに)なので、いつも委員長になってしまう。投票だからどうにもならないのだが、嫌でたまらない。私はリーダータイプの正反対だというのに……。<br />
<br />
あるとき、クラスの男の子たちが(女子もそうだったかもしれない)「美術の藤原先生の教え方が気にいらない」と言いだした。絵が好きだった私は、特にその先生に反感はなかったが、皆が騒ぎだす。「きみ、学級委員なんだから、先生にクラスを代表して意見を言ってくれよ」<br />
<br />
先生の教え方のどこがおかしいのか、もう覚えていない。美術の時間に「好きなものを描いていい」と言われ、私が大好きだった当時人気の絵物語の作者・小松崎茂を真似て、ロケットが空を飛んでいる絵を描いたら「ううん、こういう絵はねえ……」と顔をしかめられたけれど、別に先生が嫌いではない。<br />
<br />
でも学級委員という立場上、私が先生に話しに行くほかない。副委員長の女子ほか計三人で職員室に行き「先生の教え方が…」と切り出すと、藤原先生はびっくりした。<br />
<br />
それはそうだろう。「きみがそんな考えをもっているとは思わなかったよ」と、先生は私の顔をまじまじと見て言われた。私はクラスを代表しただけで、私自身の気持ちは違っていたのだが、先生は私の考えだと思い込まれたようだった。しかし私は自分の立場を説明することはしなかった。<br />
<br />
この抗議のあとで、先生の教え方が変わったかどうか覚えていない。ということは、特に抗議するようなことではなかったような気がする。たぶん先生は「時代が変わった」と思われたのではないか。私は自分の複雑な気持ちは、だれにも言わなかった。<br />
<br />
<hr style="border-top: 2px dotted #ff9d9d; width: 100%;" />
<br />
<span style="color: #444444;">*第70回は<b>10/10(金)</b>更新予定です。 </span><br />
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<span style="color: #444444;">今なお世界中の読者とクリエイターに衝撃を与え続ける</span></div>
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<span style="color: #444444;">初期新聞漫画の傑作が、小野耕世氏の翻訳でついに登場!</span></div>
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<i><span style="color: #0b5394;">「ウィンザー・マッケイは、『リトル・ニモ』のなかで、ありとあらゆる</span></i></div>
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<i><span style="color: #0b5394;">コミック・ストリップの技法上の実験を、早くもやってしまったのだ。</span></i></div>
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<i><span style="color: #0b5394;">(中略)彼は、コミック・ストリップを発見した、というより</span></i></div>
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<span style="color: #444444;"><i><span style="color: #0b5394;">ほとんど発明したといってもいいだろう」<span style="font-size: x-small;">(訳者解説より)</span></span></i> </span></div>
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<span style="font-size: large;"><b><span style="color: #444444;">『<a href="http://books.shopro.co.jp/?contents=9784796875042" target="_blank">リトル・ニモ 1905-1914</a>』</span></b></span></div>
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<span style="color: #444444;"><br />ウィンザー・マッケイ[著]/小野耕世[訳]<br /><br />大型本(347×265㎜)・上製・448頁(予定)・本文4C<br /><br />定価:6,000円+税<br />ISBN 978-4-7968-7504-2<br />小学館集英社プロダクション<br /><b><span style="color: red;"> </span></b></span><br />
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</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
職員室のドアは閉まっていたが、追いつめられている私は、そのとびらを押して、Kたちと一緒になかに入った。<br />
<br />
先生たちは、ほとんど帰ってしまったあとで、私たちの担任の馬場先生の姿はない。ただ、ドアを開けた左側で、先生がふたり座って碁を打っていた。ひとりは私たちにH・G・ウェルズの『宇宙戦争』の話をしてくれた理科の先生で、もうひとりは美術の藤原先生である。<br />
<br />
ふたりとも、どやどやと職員室に入り込んできたKの仲間と私をちらっと見たが、なにも言わない。なお、碁を打ち続けている。<br />
<br />
「あやまれ」とKが私に言う。「あやまらない」と私が応じる。そのやりとりが、職員室に響いている。<br />
<br />
そこに入ってきたのは、さきほどから職員室に入っていく私たちを離れて見ていた用務員の武藤さんだった。生徒たちには、ムーちゃんと呼ばれ親しまれている。<br />
<br />
その小柄なムーちゃんが、ひょこひょこと職員室にあがってくると、「いったいどうしたんだね」とやさしく話しかける。<br />
<br />
「こいつ、生意気なんだ」とKが言った。「あやまれって言うのに、あやまらないんだよ」<br />
<br />
「そりゃ、小野くんも男だから、あやまれって言われたって、あやまれないだろう」<br />
<br />
と、武藤さんが言ったので、私は内心びっくりした。この小学校の生徒の数は多くはないとはいえ、ムーちゃんは私の名を知っていたのだ。さらに、「男だから」などと自分のことを言われたのも、生まれて初めてのことだった。<br />
<br />
ムーちゃんとKとのやりとりが続き、「まあ、今日はもうきみたち、けんかはやめて帰りなさい」とムーちゃんがやさしく言い、このまま問答を続けてもしかたないとKもあきらめたのだろう、結局、Kも私も、水が入ったようなかたちで黙って職員室を出て帰った。<br />
<br />
そのあいだ、碁を打っていたふたりの先生は、ちらっちらっと争っている私たちを見てはいたが、なにも言わず、まったく介入しなかった。<br />
<br />
<br />
<br />
その翌朝、最初のクラスの時間に担任の馬場先生が入ってくると、いきなり「前の日の事件について、これから皆の話を聞く」と厳しい声で言われた。それでこの日の午前中は、この事件についての(いまでいう)ホーム・ルームというか、先生が生徒たちに事情聴取をする会となった。<br />
<br />
この事件の最初のきっかけがいったい何だったか、私は覚えていない。私がKになにか本を貸さなかったとか、その逆だったのか、そんなことをKが言った。「でも、本には所有権というものがあるからね」と馬場先生は言った。「いや、小野は生意気なんだ」とまたKが言った。馬場先生は笑った、「あのな、誰かを生意気と言うときは、たいていそう言うほうが生意気なんだよ」<br />
<br />
私やKとその仲間以外の生徒たちにも、先生は意見を求めた。だんだん緊張したクラスの雰囲気がなごやかになってきたのは、その過程で、生徒たちの日常が語られていったからである。例えば、「小野はクラスのTちゃんという女性が好きなんだよ。彼女を駅で待っていたんだぜ」というような話をする者も出てきて、馬場先生も大笑いした。私自身も発言したはずだが、なにを話したかよく覚えていない。<br />
<br />
成城学園の正門のところで、Kが私に倒されたことを目撃者の生徒が言うと、「あのときは油断してたんだ」とKが言った。<br />
<br />
私は言いたいことを言うから、ちょっと生意気と思われるかも――と私も自分のことを思った。私を支持してくれて、『飛ぶ教室』を買ってきてくれたTという男とは、すっかり親友となっていた。私はこの事件を、『飛ぶ教室』の主人公マルティン・ターラーが別の学校のグループと戦った事件と重なる思いで受けとめていた。ただし、正義漢のマルティンは私ではない。頭が良くて体格もいいTこそがマルティンのようだと思って、私は敬意を表していた。<br />
<br />
「今度の件は、まあ7割は小野のほうが正しかったな」と、Tや私の味方の友人たちがあとで私に言った。百パーセント私が正しいと言わないのがおもしろいと思った。「いや、9割は小野が正しいよ」と、しまいには皆で言い合って笑った。<br />
<br />
それにしても、この学校の先生は偉いなと、あとで私はつくづく思った。私たちが職員室に乱入してけんかをしていても、碁を打ちながらひと言もしゃべらなかったふたりの先生たちは、実に見事ではないか。しかし、ふたりの先生は、馬場先生にこのことをすぐに知らせたのだろう。それで翌朝のクラスをあげての討論会になったのだ。<br />
<br />
また、私たちのけんかに割って入った用務員のムーちゃんも偉かったなと、いまでも思う。黙って碁を打っていた先生と、介入してくれた用務員――みなすごい人たちだった。<br />
<br />
私にとって成城学園小学校の時代が重要なのは、この事件が現在の私を創ってくれたかもしれないからだ。<br />
<br />
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhkjYInQCyE6JA-fBVMgQGpdJ6tiweU0VTmSQvIma-PElnYMIz_cOjFMBSW1xakT2gDOR3ZN1l8rPNGCv9YQ92CEZs5J7Wm75sleLjBYgH81Y1M4ueyHx4mMLyWw6QSCUNM4wzGW5fXhFVW/s1600/%23068.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhkjYInQCyE6JA-fBVMgQGpdJ6tiweU0VTmSQvIma-PElnYMIz_cOjFMBSW1xakT2gDOR3ZN1l8rPNGCv9YQ92CEZs5J7Wm75sleLjBYgH81Y1M4ueyHx4mMLyWw6QSCUNM4wzGW5fXhFVW/s1600/%23068.jpg" height="221" width="400" /></a></div>
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<span style="color: #444444;">初期新聞漫画の傑作が、小野耕世氏の翻訳でついに登場!</span></div>
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<i><span style="color: #0b5394;">「ウィンザー・マッケイは、『リトル・ニモ』のなかで、ありとあらゆる</span></i></div>
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<i><span style="color: #0b5394;">コミック・ストリップの技法上の実験を、早くもやってしまったのだ。</span></i></div>
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<i><span style="color: #0b5394;">(中略)彼は、コミック・ストリップを発見した、というより</span></i></div>
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<span style="color: #444444;"><i><span style="color: #0b5394;">ほとんど発明したといってもいいだろう」<span style="font-size: x-small;">(訳者解説より)</span></span></i> </span></div>
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjY2RGk3OHOlToWWlO0do8JTJoawpsRgjGop10wvQOQK7SHYSf1j67xO8A1zw3Ptz-yA51J7ryDT5Re-pHgpQ1SZbA6HWZrTHQY61MuVBTx_Ol1FGu0gf_U9dyIVyKen2H46UgXRIStW7vg/s1600/%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A2%E8%A1%A8%E7%B4%99.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjY2RGk3OHOlToWWlO0do8JTJoawpsRgjGop10wvQOQK7SHYSf1j67xO8A1zw3Ptz-yA51J7ryDT5Re-pHgpQ1SZbA6HWZrTHQY61MuVBTx_Ol1FGu0gf_U9dyIVyKen2H46UgXRIStW7vg/s1600/%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A2%E8%A1%A8%E7%B4%99.jpg" height="320" width="241" /> </a></div>
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<span style="font-size: large;"><b><span style="color: #444444;">『<a href="http://books.shopro.co.jp/?contents=9784796875042" target="_blank">リトル・ニモ 1905-1914</a>』</span></b></span></div>
<div style="text-align: center;">
<span style="color: #444444;"><br />ウィンザー・マッケイ[著]/小野耕世[訳]<br /><br />大型本(347×265㎜)・上製・448頁(予定)・本文4C<br /><br />定価:6,000円+税<br />ISBN 978-4-7968-7504-2<br />小学館集英社プロダクション<br /><b><span style="color: red;"> </span></b></span><br />
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Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-22981924124889372382014-09-19T12:00:00.000+09:002014-10-09T19:49:58.490+09:00第67回 『飛ぶ教室』の時代 小学5年の私に、なにが起きたのか?<br />
<br />
私を生意気だ――と思う男子生徒たちのボスは長身のKで、その仲間は圧倒的に多く、私の側にたってくれているのは、まあ5人程度だった。<br />
<br />
それで、なにが始まるかというと、Kとその仲間たちは、学校が終わって帰る私を待ち伏せするのである。クラスが終われば、学校とは関係のない子どもだけの世界で、別の論理が働いていく。<br />
<br />
Kの子分たちが私を見張っているのがわかる。私はその包囲網をくぐって、学校を出て小田急線の駅まで行かなくてはならない。Kたちが狙うのは私ひとりで、私に味方する人たちにはなにもしない。私に味方する少数派は、Kたちの動向を見ていて、誰がどこに待ち伏せしているか、こっそり教えてくれる。<br />
<br />
それで私は、その裏をかくのだが、それは一種の知的ゲームでもあった。小学校は小田急線の祖師ヶ谷大蔵駅に近いのだが、公式には成城学園駅から通うように言われている。それで私は、小学校のグラウンドを大きくまわって、裏道から、祖師ヶ谷大蔵の駅に向かったりした。<br />
<br />
成城学園のキャンパスは広いので、小川があったり斜面があったりする。そのあいだをいろいろにまわって行く。授業中は関係がなく、毎日学校が終わると、Kたちと私のゲームが始まるのだった。<br />
<br />
女子生徒たちも、私とKたちの関係をなんとなくわかっているのだが、これは男の子たちの問題なので、なにも言わない。もちろん、先生たちはなにも知らない。<br />
<br />
こうして、Kたちの包囲の裏をかいて学校を出て電車の駅まで無事に行き、翌朝また学校に出かけ、授業が終わるとゲームが始まる。<br />
<br />
それを私は、毎日なんとかしのいでいたが、それには私の味方をする少人数の仲間の助けがあった。まるで江戸川乱歩の『少年探偵団』の少年グループのようだなと思ったが、なにしろ基本的には私はひとりなので、いつも作戦がうまくいくわけではないのは当然だろう。<br />
<br />
ある日、放課後、成城学園駅になんとか向かおうとする私は、成城学園の正門のところで、ついにKとその仲間たちに囲まれてしまった。<br />
<br />
開かれている校門の内側で、言い合いになる。そしてKが私に向かってきたとき、たまたまだが私が思わず足払いのようなことをして、長身のKが倒れたのには、私のほうが驚いた。柔道で言う大外狩りのようなことを私がしたのだが、夢中だった。<br />
<br />
Kはちょっと驚いたようだが、すぐ立ちあがってまた私に向かってくる。そのとき、通りがかって校門の外で様子を見ていた男の人が声をかけた。<br />
<br />
「みんなでひとりをいじめちゃダメじゃないか」と、そのおじさんはKに言った。<br />
<br />
「でも、こいつ生意気なんだ」とKが言い返す。<br />
<br />
「だけど、きみみたいに大きい子が、みんなでひとりをいじめちゃいけないよ」<br />
<br />
と、おじさんは諭すように言った。Kはなお言い返していたが、その小柄なおじさんは、私とKたちのあいだに割って入るようにして話し、結局その日はそれ以上のけんかにはならず、私は成城学園の駅まで無事に歩いていくことができた。<br />
<br />
毎日私が彼らの包囲をくぐりぬけていた日々は、このときで終わることになる。Kたちは、腹の虫がおさまらないようだし、翌日はいままでのようにはいかないだろうと私は感じ、実際その通りになった。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiWqD90UtRrnVpjKk3ooneG3ZKreUM4G16S9ifv-gy904HFaXJO6fK2t61FspEkmaqIm4AJ8nZ8VT4oT85u-YmAeBX-G4hUVFlp6xUDavqipPwNvvoLp2NTS6hmgAFaPM8XWs_UgoaXH9x1/s1600/%23067.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiWqD90UtRrnVpjKk3ooneG3ZKreUM4G16S9ifv-gy904HFaXJO6fK2t61FspEkmaqIm4AJ8nZ8VT4oT85u-YmAeBX-G4hUVFlp6xUDavqipPwNvvoLp2NTS6hmgAFaPM8XWs_UgoaXH9x1/s1600/%23067.jpg" height="281" width="400" /></a></div>
<br />
<br />
翌日、授業中はなにごともなかったが、クラスが終わると、教室を出る私を、早くもKたちがとり囲んでしまった。<br />
<br />
放課後は、生徒は早く帰るべきなのだが、私の味方をする生徒や、関係のない別のクラスの男子たちも、何人か私たちを見ている。<br />
<br />
「おい、小野、どうしたんだよ」<br />
<br />
と、声をかける他のクラスの男子がいた。実は小学4年だった前の年の冬、小学校のスキー合宿に、クラスから私ひとりが参加したとき親しくなった男子だった。内気で引っ込み思案の私を心配して、担任の馬場先生が、私をスキー合宿に参加させるように、母を説得したのだった。私は生まれて初めてスキーをしたのだが、それは得がたい経験だった。そのとき知り合った他のクラスの生徒が、私を心配そうに見ていた。<br />
<br />
「いや、なんでもないよ」と私は言った。<br />
<br />
「あやまれ!」とKが言う。<br />
<br />
「あやまらないよ」と私は言った。<br />
<br />
「なぜ、あやまらなくちゃいけないんだ」と、これまで通りにくり返すほかない。私はどうしようもない。殴り合いは始まっていないが、私は追いつめられている。教室から校庭に出て、逃げ場のない私は、自然と職員室のほうに進んでいった。職員室は少し離れた別の建物で、そこにKとその仲間に押されるようなかたちで、じりじりと近づいていく。<br />
<br />
その様子を、いつも生徒たちの世話をしてくれる用務員の人(当時は小づかいさんと言った)がじっと見ている。ついに私たちは、職員室の入口まで来た……。<br />
<br />
<hr style="border-top: 2px dotted #ff9d9d; width: 100%;" />
<br />
<span style="color: #444444;">*第68回は<b>9/26(金)</b>更新予定です。 </span><br />
<br />
<br />
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<span style="color: #444444;">今なお世界中の読者とクリエイターに衝撃を与え続ける</span></div>
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<span style="color: #444444;">初期新聞漫画の傑作が、小野耕世氏の翻訳でついに登場!</span></div>
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<i><span style="color: #0b5394;">「ウィンザー・マッケイは、『リトル・ニモ』のなかで、ありとあらゆる</span></i></div>
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<i><span style="color: #0b5394;">コミック・ストリップの技法上の実験を、早くもやってしまったのだ。</span></i></div>
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<i><span style="color: #0b5394;">(中略)彼は、コミック・ストリップを発見した、というより</span></i></div>
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<span style="color: #444444;"><i><span style="color: #0b5394;">ほとんど発明したといってもいいだろう」<span style="font-size: x-small;">(訳者解説より)</span></span></i> </span></div>
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Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-23818681274980748962014-09-12T12:00:00.000+09:002014-10-09T19:49:46.454+09:00第66回 手塚マンガを隠す 「耕世ちゃん、いま手塚治虫の本、隠したんじゃないの?」<br />
<br />
私の家の窓を開けると、私にそう言ったのは、二軒となりの家に住む令子ちゃんだった。私が小学3年で、彼女は5年だった。<br />
<br />
「ち、ちがうよ。手塚の本なんて持ってないよ」<br />
<br />
私は、あわてて言った。子ども時代の2歳差は大きい。彼女は、ずいぶん年長のお姉さんに見えた。<br />
<br />
「ほんと?」と彼女は、部屋のなかをながめると、不満そうな顔で帰っていった。<br />
<br />
私はほっとして、あわててざぶとんの下に隠した手塚治虫の新刊『月世界紳士』や『ロストワールド』などを取り出した。<br />
<br />
その頃はだいたいどの家にも庭があり、子どもたちのあいだでは、家のあいだの境界はないようなものだった。いつも遊んでいる近所の子どもたちは、勝手に友だちの家に出入りしていた。<br />
<br />
私の家は門や裏木戸から誰でも入れる。私や弟がよくいる部屋は、門に近い四畳半で、窓は開けてあることが多かった。<br />
<br />
子どもたちのあいだで手塚治虫のマンガは人気があり、特に令子ちゃんは、私が母に手塚マンガの新刊を買ってもらうのを待っているのだった。自分の親に買ってもらえばいいのに――とは、いまになって思うことで、それぞれの家に事情があったのだろう。<br />
<br />
私は手塚マンガを、いろいろな場所で買った。『平原太平記』という箱入りの新刊を見つけたのは、ある年の夏、一家で鎌倉の由比ヶ浜に近い江ノ電の線路に面した家を借りて一週間ほど滞在したときのことだった。鎌倉の町を歩きながら目にした本屋にその本があったのだ。まるで宝ものを見つけた気持ちだった。<br />
<br />
そのときの私は、弟と一緒に捕虫網を持っていたはずだ。鎌倉の大仏を見に行くと、セミの鳴き声が激しく、私は大仏のまわりの木でセミを捕ったりした。<br />
<br />
借りていた家は避暑用に作られた建物で、弟と私は列車の寝台車のような二段ベッドの上と下に寝るのが、おもしろくてたまらない。窓の外を江ノ電が通る音も楽しく、昼間にこっそり線路に降りると、まわりの石垣のすきまには小さなカニがいた。弟とよくそれを捕った。<br />
<br />
朝の6時に、父が私を連れて由比ヶ浜から材木座に向かって浜辺を歩いていくと、投網をして魚を捕っている人の姿があった。<br />
<br />
「おい、横山」と父がその小柄な人に声をかけた。「小野ちゃんか」と相手が笑顔になる。彼は、戦時中インドネシアで父と一緒の家に住んでいたマンガ家の横山隆一氏で、鎌倉に住んでいるのだった。私は恥ずかしくて、ろくにあいさつもできなかったが、『フクちゃん』という新聞連載マンガでその頃人気のあったこのマンガ家に、初めて会ったのだった。<br />
<br />
母と小さな妹も含む私たちの一家五人が一週間も生活を共にするということは、ほとんどなかったので、手塚治虫の傑作『平原太平記』とともに、鎌倉ですごした時間は、私にはなつかしい。<br />
<br />
<br />
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEghcKb9B3lZqadTNrbbwRRBUq3DiBvwoit2C63n3vpbTm-RqZ3vZuwF2PamJ7982hIBK6mZ_XLdEFESap_VbIOFRDQcegLJFAyU4jWCNVcnyMt6yYVD_TLQPLI3_aNr4XhtN5TNnr41tJow/s1600/%23066.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEghcKb9B3lZqadTNrbbwRRBUq3DiBvwoit2C63n3vpbTm-RqZ3vZuwF2PamJ7982hIBK6mZ_XLdEFESap_VbIOFRDQcegLJFAyU4jWCNVcnyMt6yYVD_TLQPLI3_aNr4XhtN5TNnr41tJow/s1600/%23066.jpg" height="320" width="278" /></a></div>
<br />
<br />
<br />
近所の子どもたちは、よく私の家に来て、庭で遊んだ。私が自転車に乗ることを覚えたのは小学5年のときだったが、このときも近所の子どもたちが手伝ってくれた。<br />
<br />
庭で練習をする私の自転車を、うしろで仲間が支えてくれた。「手を離しちゃダメだよ」と、私は言っていたが、いつのまにか彼らは手を離していて、私は自転車に乗れるようになるのだった。私の手塚治虫の本をいつも狙っている令子ちゃんも、子どもたちが豊島園の遊園地に遊びに行くときは、お姉さんとして引率者になってくれた。<br />
<br />
もちろん近所の子どもたちとの関係は、小学校のクラスの仲間たちとのかかわりとは、まったく別だった。<br />
<br />
前回書いた背の高い同級生は、ことによったら全校でいちばん長身だったかもしれない。Kという名のその長身の級友の身長は180センチ近かったのではないか。彼も小田急線で通っていたが、定期券ではなく、切符を買っていた。<br />
<br />
「どうして子ども用の定期券を買わないの? ずっと安いのに」と私が聞くと、<br />
<br />
「ダメなんだ。背が高いから小学生の定期を見せて通ろうとしても、駅員が信用しないんだ。あんたは大きいから、おとなの切符を買ってくれ、いつもそんなふうに言われてしまうので、切符を買うんだ」と言う。私は内心、それはおかしいと思った。背の高い小学生からおとな料金を取るのなら、子どもみたいに小柄なおとなは、子ども料金でいいことになる。小田急はおかしいと――そう思ったが、おとな扱いされることに慣れてしまったKは、あきらめているのだった。<br />
<br />
Kは背が高いこともあって、野球などは得意だった。そして、彼の仲間というよりも、彼の子分のようになっていつもKとつるんでいるクラスメートたちがいた。Kは男の子たちのあいだでは、クラスのボスのような存在だった。<br />
<br />
本ばかり読んでいる私は、Kとは反対の性格だったかもしれない。別に私はKが嫌いではなかったが、なんとなくKとその子分たちに睨まれるようになった。「あいつは生意気だ」と私は思われているようだった。<br />
<br />
そういうことは、クラスの男の子たちのあいだでは、なんとなくわかってくるものである。私の仲間というのもいて、例えばそれは私よりあとに、成城学園の初等科に転入してきた生徒たちだった。そのなかで、スポーツ系でない子どもは、Kたちにいじめられることがあり、自然に私は彼らをかばうようになった。<br />
<br />
私の側についてくれる仲間に、ひとり頼もしいTという男がいた。<br />
<br />
本が好きで、いろいろな本を学校に持ってきては、「おもしろいぞ」と言って貸してくれる。彼は東京の郊外、少し遠くから成城学園に通っていて、私と同じく、エーリヒ・ケストナーの本が好きだった。<br />
<br />
ある日、彼が新しいケストナーの本を持ってきた。それは、日本で初めて刊行された高橋健二訳の『飛ぶ教室』(実業之日本社刊)だった。ハードカバーのその本の表紙は、中学生のふたつのグループが雪のなかで対決している絵が描かれている。<br />
<br />
私の家の近くの本屋に、その本はなかった。「じゃ、ぼくがもう一冊買ってきてやるよ」と彼は言った。定価180円という本の値段をいまでも忘れないのは、お金を渡して同じ本を、彼に買ってきてもらったからだった。<br />
<br />
こうして私は、子ども時代の私に最も影響を与えた本のひとつである『飛ぶ教室』を入手することができたのである。私はたちまち、この物語に夢中になった。<br />
<br />
そのとき、小学5年生だった私は、この物語にやや似た状況のなかに自分がいるのだと感じたのだった。<br />
<br />
<hr style="border-top: 2px dotted #ff9d9d; width: 100%;" />
<br />
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<br />
小学校のクラスでいちばん背の高い生徒が、校庭で野球のまねをしているのを、私も仲間たちも見ている。<br />
<br />
「次もボールだよな」と言って、彼はバットを振らない。そして来たボールはみなストライクで三振してしまう――長身の彼はそのしぐさをして私を見る。「小野だよ」みなが笑う。<br />
<br />
つまり私は、野球の試合ではボールが来ない外野の守備につき、バッターとして打順が来ると、投げられてくるボールが怖くてバットを振れないのだ。それでたまにはフォア・ボールになることもあるが、たいてい三振する。そうかと思うと捕手がボールを後逸して「小野、走れ、振り逃げだ」と仲間に言われ、あわてて走ることもあった。私は野球の「振り逃げ」とはなにか知らなかった。塁に出たら出たで、走らなくてはならないので、それもいやだった。<br />
<br />
つまり、団体競技であっても、野球は個人の技術がはっきりわかるので、ごまかしがきかない。そういうスポーツは逃げ場がないので困ってしまう。<br />
<br />
反対に好きな遊びは「缶けり」だった。<br />
<br />
缶詰の空き缶を置いて、鬼がいくつか数えるあいだにみんな逃げて隠れる。鬼が隠れている仲間を見つけていくのだが、隙を見て誰かが出ていって缶をけってしまうと、見つかった者もまた逃げてしまい、鬼が困る。私は、鬼の隙を見て飛び出し、缶をけるのが得意だった。ちょっとスリルもある。クラスでは、缶けりが流行し、休み時間になると、すぐ缶けりをした時期がある。<br />
<br />
私には運動神経がにぶいという自覚があって、そのことをいつも恥ずかしいと思っていた。からだが弱いと母は思っていたようだ。小学校低学年のときは、特に病気というわけではないが、母は私を定期的に医者に通わせた。<br />
<br />
私の家から小田急線の線路を渡って、戦争で空襲を受けなかった北沢の地区に、その医院はあった。坂道に面した立派な建物で、石の階段を登り、木々の繁る庭をぬけて医院の建物がある。<br />
<br />
その塩谷内科医院の塩谷先生は、口ひげを生やしたやさしい先生だった。<br />
<br />
思い出すのは、「これを毎日大さじに一杯ずつ飲みなさい」と先生に渡された肝油のびんのことだ。<br />
<br />
肝油といっても、いま薬局で手に入る透明で洗練されたものではない。やや大きなびんに、どろっとしたうす茶色っぽい液体が入っていて、いかにもタラの油そのままという匂いがした。びんにはなんのラベルも貼っていないし、コルクのせんがしてあるだけ。<br />
<br />
それから毎日、大さじ一杯ずつその肝油を飲むようになった。母は「よく飲んだわね」と言って、なにかお菓子をくれた。私はその生臭い肝油を、別においしいとは思わないが、特にまずいとは感じないで飲んでいた。ずっと後に、市販の肝油を買って飲んだこともあるが、臭味もなにもなくきれいに透明で、「これが肝油か?」と疑問を持ったほどだった。あのなんの加工もしていないような肝油の味を、いまでもなつかしく思いだす。<br />
<br />
そのびんの肝油を飲んだことで、たぶん私のからだは良くなったのだろう。塩谷先生から肝油のびんをもらったのは、その一度だけだった。<br />
<br />
しかし、塩谷医院には、週に一回は通っていた。紫外線を浴びるためだった。<br />
<br />
それは先生ではなく、助手の看護婦さんの仕事だった。私は治療室に入り、「上半身を脱いでね」と言われ、シャツを脱ぐ。看護婦さんは私の前に座り、紫外線放射器を私の胸に向けて、スイッチを入れる。はじめ、ブーンという音がして、なにか特別な匂いがする。それは紫外線の匂いだった。<br />
<br />
看護婦さんは、その照射器を私に30分間向けている。<br />
<br />
そのあいだ、私はとても恥ずかしかった。なにか話さないといけない気がするが、うまく口がきけない。<br />
<br />
その助手の女性は、丸顔で色が白く、とてもきれいなひとだった。誰が見ても美女だと思うだろう。でも親しみやすい顔で、私に気をつかって、いろいろ話してくれる。<br />
<br />
紫外線照射器を彼女が手に持っていてくれる30分間は、照れくさくもあったが、優雅な時間だった。毎週、紫外線照射のため塩谷先生のところに通うのを、私はひそかに楽しみにしていた。<br />
<br />
あるとき道で、彼女に会ったことがある。「耕世ちゃん、歩くの速いのね」と、あとでそのときのことを言われた。私は、子どもの頃から、速く歩くのが好きだった。<br />
<br />
塩谷先生は、内科に関して言えば、わが家の主治医のようだった。子どもが熱を出して寝込むと、先生はいつも往診してくださった。<br />
<br />
なんの病気だったか、私が40度の熱を出したことがある。そのとき、母が私を見て、変な顔をした。後で聞くと、私はなにかうわごとを言ったので、びっくりしたのだという。自分ではまったく覚えがなく、ただ母のびっくりした心配そうな顔だけを記憶している。40度の熱を出したのは、そのときが初めてだが、これほどの高熱だと、子どもの患者は異常な言動をするようになるのだった。<br />
<br />
母が亡くなる1972年まで、私の家は先生が主治医だった。<br />
<br />
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<br />
<br />
<hr style="border-top: 2px dotted #ff9d9d; width: 100%;" />
<br />
<span style="color: #444444;">*第66回は<b>9/12(金)</b>更新予定です。 </span><br />
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<br />
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<br /></div>
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<i><span style="color: #0b5394;">「ウィンザー・マッケイは、『リトル・ニモ』のなかで、ありとあらゆる</span></i></div>
<div style="text-align: center;">
<i><span style="color: #0b5394;">コミック・ストリップの技法上の実験を、早くもやってしまったのだ。</span></i></div>
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<i><span style="color: #0b5394;">(中略)彼は、コミック・ストリップを発見した、というより</span></i></div>
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<span style="color: #444444;"><i><span style="color: #0b5394;">ほとんど発明したといってもいいだろう」<span style="font-size: x-small;">(訳者解説より)</span></span></i> </span></div>
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<div style="text-align: center;">
<span style="color: #444444;"><br />ウィンザー・マッケイ[著]/小野耕世[訳]<br /><br />大型本(347×265㎜)・上製・448頁(予定)・本文4C<br /><br />定価:6,000円+税<br />ISBN 978-4-7968-7504-2<br />小学館集英社プロダクション<br /><b><span style="color: red;"> </span></b></span><br />
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Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-69140965448082202952014-08-22T12:00:00.000+09:002014-10-09T19:49:26.417+09:00第64回 地球一周飛行のマンガとトンボ釣り 「太陽光飛行機で世界一周に挑むベルトラン・ピカールさん(56歳)」<br />
<br />
という記事が、7月25日の毎日新聞朝刊に出ていて、私の目をひいた。<br />
<br />
スイスのローザンヌ出身のピカール氏は医師で冒険家。太陽エネルギーだけで空を飛ぶ、ひとり乗りの飛行機ソーラー・インパルスで、来年3月に世界一周飛行をめざしている――という内容で、この人は1999年にも熱気球による無着陸世界一周飛行に成功しているのだと、私は初めて知った。<br />
<br />
この記事に注目したのは、こんなはなしを小学生時代に読んだことを思い出したからである。それもマンガで……。<br />
<br />
私が成城学園の小学校に通っていた頃、子どもたちに人気のあった駄菓子が、いくつかあった。そのひとつは紅梅キャラメルで、一箱十円だった。それにはいつも、野球選手のカードかなにか入っていたような気がするが、もっと正確に覚えている人がおいでかもしれない。<br />
<br />
紅梅キャラメルの工場というか会社は、小田急線の梅ヶ丘にある、私の家から歩いて行こうと思えば、歩いて行ける。<br />
<br />
それである日、近所の子どもたちといっしょに梅ヶ丘の紅梅キャラメルまで歩いたことがある。キャラメルのなかのカードをためて、それで景品をもらったのだが、それがなんだったか覚えていない。<br />
<br />
もうひとつはカバヤのキャラメルで、これはカードを何枚も集めると、マンガの本をくれるのだった。<br />
<br />
B6判の百ページもないマンガの本だが、ハードカバーだったように思う。いろいろな内容のものがあったが、私が覚えているのは一冊だけだ。<br />
<br />
それは太陽の光をあびて飛ぶ飛行機のはなしだった。いま、実際に太陽電池による自動車競走は行われているが、そのマンガは飛行機のレースのはなしで、地球を一周する競争の物語である。<br />
<br />
飛行機ではなくロケットだったかもしれないが、いや、やはり飛行機だったろう。いっせいにスタート、離陸した飛行機が、地球をまわっていく。<br />
<br />
なにかの仕掛けで、太陽の光をエネルギーとして飛んでいく。<br />
<br />
ただ、地球の片側が昼だと、その裏側は夜となる。昼のあいだは太陽の光を受けているからいいが、夜の側に入ると光がない。貯めておいた昼間のエネルギーで、夜間飛行を続けられるかどうか、各パイロットたちは苦心する――というマンガだった。<br />
<br />
つまり、そうしたSF的な内容だったので、私にはとても印象に残るマンガだったのだ。<br />
<br />
もちろん作者のマンガ家の名前など覚えていない。いや、ちゃんと作者名が記されていたかどうかも怪しいものだ。カバヤ食品では、多くのそれほど有名でないマンガ家たちを集めて、とにかくしゃにむにマンガ単行本を描きおろさせていたのだろう。<br />
<br />
そんなことを思い出すと、やはり日本は、当時からマンガの国だったという気がする。アメリカではチューインガムを買うと、そのなかに小さなマンガの紙きれが入っていて、その油紙のような包み紙に、カラーでギャグマンガが印刷されている――というのはよく知られており、トップス・チューインガムというニューヨークのチューインガム会社は、そのマンガで有名になったほどだが、たくさん買うとマンガの単行本がもらえるなんて、世界中で日本にしかあり得なかっただろう。<br />
<br />
それにしても、マンガ家の空想は、あらゆる分野におよんでいる。「太陽光飛行機で世界一周に挑む」という現実の試みがなされようとしているのだが、たぶん65年くらいも前に、日本の無名のマンガ家は、キャラメルの景品のようなオモチャ・マンガのなかに、すでにそうしたアイデアを描いてしまっていたのである。<br />
<br />
<br />
<br />
こうしたキャラメルを食べながら、私たち小学生は、なにをしていたのかなと思う。<br />
<br />
そう、例えばトンボ釣りをしていたのだ。<br />
<br />
成城学園に転入するまえ、世田谷の代沢小学校に通っていた頃、近くを流れる川があった。そして、成城学園に移ってからも、ときにはそこへトンボ釣りに行った。<br />
<br />
細長い竿のさきに、買ってきたとりもちを塗って、川の岸に子どもたちが並んですわっている。<br />
<br />
トンボが川にタマゴを産みに飛んでくる。<br />
<br />
それをとりもちを塗った竿をのばして振り、つかまえるのである。この男の子の遊びで人気のあったのは、オニヤンマだった。いかにもトンボの王さまという感じで、獰猛な顔をしている。その次に人気のあったのは銀ヤンマで、からだが銀色に見える。<br />
<br />
それらが川の上を群れをなして飛んでくるのを、川の両岸に並んだ男の子たちは、竿を振って捕まえようとするのだった。たぶんキャラメルかなにかを食べながら……。<br />
<br />
春には桜の並木が両岸で美しかった川も、もうずっと前から自動車道路になって、もはや水はない。トンボも来ない。<br />
<br />
オニヤンマたちは、まるで飛行機のようだった。あのいきおいなら地球一周もしたかもしれない。トンボもまた、男の子の空想をそそる見事な昆虫なのだった……。<br />
<br />
<br />
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<br />
<br />
<hr style="border-top: 2px dotted #ff9d9d; width: 100%;" />
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<span style="color: #444444;">*来週はお休みです。第65回は<b>9/5(金)</b>更新予定です。 </span><br />
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<span style="color: #444444;">今なお世界中の読者とクリエイターに衝撃を与え続ける</span></div>
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<span style="color: #444444;">初期新聞漫画の傑作が、小野耕世氏の翻訳でついに登場!</span></div>
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<i><span style="color: #0b5394;">「ウィンザー・マッケイは、『リトル・ニモ』のなかで、ありとあらゆる</span></i></div>
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<i><span style="color: #0b5394;">コミック・ストリップの技法上の実験を、早くもやってしまったのだ。</span></i></div>
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<i><span style="color: #0b5394;">(中略)彼は、コミック・ストリップを発見した、というより</span></i></div>
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<span style="color: #444444;"><i><span style="color: #0b5394;">ほとんど発明したといってもいいだろう」<span style="font-size: x-small;">(訳者解説より)</span></span></i> </span></div>
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<span style="font-size: large;"><b><span style="color: #444444;">『<a href="http://books.shopro.co.jp/?contents=9784796875042" target="_blank">リトル・ニモ 1905-1914</a>』</span></b></span></div>
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<span style="color: #444444;"><br />ウィンザー・マッケイ[著]/小野耕世[訳]<br /><br />大型本(347×265㎜)・上製・448頁(予定)・本文4C<br /><br />定価:6,000円+税<br />ISBN 978-4-7968-7504-2<br />小学館集英社プロダクション<br /><b><span style="color: red;"> </span></b></span><br />
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Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-25034709724196640502014-08-15T12:00:00.000+09:002014-10-09T19:48:46.103+09:00第63回 エーリヒ・ケストナーに夢中 ご存知のように、いまではドイツの作家エーリヒ・ケストナー(1899‐1974)の子ども向きの本の全集が、岩波書店から出ている。全冊高橋健二の訳だったが、世代が変わって新しい訳者によるものも、同じ出版社から岩波少年文庫版には入っている。<br />
<br />
私が小松太郎訳で最初に読んだ『少年探偵団』は、『エーミールと探偵たち』となって全集に入っている。<br />
<br />
そして『少年探偵団』を読んで以来、同じ出版社から出た『エーミールと軽わざ師』などを、私は次つぎと読んでいくことになる。<br />
<br />
成城学園初等科・白樺組の担任である馬場正男先生は、宮沢賢治を研究しておられたが、海外の児童文学ではエーリヒ・ケストナーの作品を高く評価していた。<br />
<br />
小学校の国語の時間では(それとも別に、読書の時間もあったかもしれない)、先生は市販の教科書だけでなく、独自に編集し、謄写版印刷で製版したテキストを、生徒たちに配っていた。<br />
<br />
そのなかに含まれていた、エーリヒ・ケストナーの『絶望第一号』(これは、『絶望No.1』とか『最初の絶望』などと訳されたこともある)という詩を、先生は生徒たちに読ませた。<br />
<br />
男の子とその母親の悲しみを描いたもので、パンを買いに出かけた少年が、そのお金を落としてしまい、母親といっしょに探したが、ついに出てこない。少年と母親は、黙って家のなかに戻っていく――という内容で、私は涙が出た。<br />
<br />
これはケストナーの詩のなかでも有名なものだが、お母さん子であったケストナーは、子ども向けの小説のなかでも、母親と息子の関係を、とりわけ気持ちをこめて描いている。その理由はケストナーの出生にかかわっていたことが晩年に明らかになるのだが、私もお母さん子だったので、ケストナーの母親へ寄せる特別な想いがよくわかるのである。<br />
<br />
私の父は、忙しく仕事をしており、毎夜遅く家に帰ってくる。小学生の私と弟は、そのときすでに眠っている。子どもたちが朝6時すぎに起きて、顔を洗い、あわただしく朝食をとって学校に出かけるとき、父はまだ熟睡している。だから、父と会話をする時間は、極端に少なかった。<br />
<br />
いやおうなしに、お母さん子になってしまうのである。<br />
<br />
そして、その頃から現在まで、私の真の友は本なのだった。<br />
<br />
「あなたは、本さえ与えておけばいいのね」<br />
<br />
と、母は私へよく言ったものだ。<br />
<br />
子どもが本を読むのは悪いことではないから、私が欲しいという本は、母はたいてい買ってくれた。「でも、あんまり本を読みすぎちゃダメよ」と、母は心配した。<br />
<br />
本をよく読む私は、相変わらず運動神経が鈍かった。体育の時間などで野球をする。野球やソフトボールは、私がいちばん苦手なスポーツだったから、野球のときは、いつも外野を守らされた。<br />
<br />
捕球にはグラブが必要で、母は布製(一部が革)のグラブを買ってくれた。しかたなくそれをつけて外野(センター)の位置につくのだが、球が飛んでこないことを、いつも祈っていた。球が飛んできても、いくらグラブをかざしても、うまくとれない。<br />
<br />
いちばん球が飛んでこないであろうポジションが私には与えられるのだが、それでも野球なので、球はときどき飛んでくる。<br />
<br />
だが、たとえ捕球しても、今度はうまく投げられない。<br />
<br />
私の投球がなっていないのは、自分がいちばんよく知っていたので、投げるのがいやだった。でも、みんなのする野球に参加しないわけにはいかない。<br />
<br />
私にとって、野球の時間は苦しかったが、耐えるほかなかった。ボールをとりそこなって、右手の親指を突き指してしまい、治るまでずいぶん時間がかかったこともある。<br />
<br />
<br />
<br />
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgFwHXBEA_VgLW5-6EpMeVIsFYwvxH73lFNCJ0A2UkKmutZ0rV5P_vdzop-9YcvYsybBNXSIg9S4HVoJTbWlxmekelhI9osCg3kF5fu-FC_1a1txkQgZyETTQ-pQmyAh9N9BsLh8LmIrjKg/s1600/%2523063.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgFwHXBEA_VgLW5-6EpMeVIsFYwvxH73lFNCJ0A2UkKmutZ0rV5P_vdzop-9YcvYsybBNXSIg9S4HVoJTbWlxmekelhI9osCg3kF5fu-FC_1a1txkQgZyETTQ-pQmyAh9N9BsLh8LmIrjKg/s1600/%2523063.jpg" height="187" width="400" /></a></div>
<br />
<br />
<br />
私は本の世界にひたっていた。<br />
<br />
ケストナーの本は、ずっと読み続けようと決心していた。どの本も楽しく、失望しないからだ。<br />
<br />
ケストナーは、子ども向けの全集が出ているほどの人気だが、それ以外のおとな向けの本も書いていることも、やがて知るようになる。<br />
<br />
それを読むようになるのは、中学、高校そして大学、つまり私の成長に従って――ということになるのだが、最も早く読んだケストナーのおとな向けの本は、早くから新潮文庫に入っていた小松太郎訳の『ファビアン』である(いまは絶版)。<br />
<br />
ドイツの都市の風俗が乱れ、退廃した時期の人びとの姿を皮肉に描いたもので、中学生の頃にはよくわからなかったその内容は、私の成長とともに何度も読み直して、おもしろさがわかるようになっていく。<br />
<br />
そのほか、諷刺的な短文集『現代の寓話』とか『独裁者の学校』(原題は『独裁者養成所』という意味)といった諷刺戯曲なども翻訳されているが、知っている人は多くないだろう。<br />
<br />
とにかく私は、ケストナーの本が出るたびに、子ども向けだろうが、おとな向けだろうが、すべて買うようになるのだった。<br />
<hr style="border-top: 2px dotted #ff9d9d; width: 100%;" />
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<span style="color: #444444;">*第64回は<b>8/22(金)</b>更新予定です。 </span><br />
<br />
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<span style="color: #444444;">■新刊情報■ </span><br />
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<span style="color: #444444;">今なお世界中の読者とクリエイターに衝撃を与え続ける</span></div>
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<span style="color: #444444;">初期新聞漫画の傑作が、小野耕世氏の翻訳でついに登場!</span></div>
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<i><span style="color: #0b5394;">コミック・ストリップの技法上の実験を、早くもやってしまったのだ。</span></i></div>
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<i><span style="color: #0b5394;">(中略)彼は、コミック・ストリップを発見した、というより</span></i></div>
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<span style="color: #444444;"><i><span style="color: #0b5394;">ほとんど発明したといってもいいだろう」<span style="font-size: x-small;">(訳者解説より)</span></span></i> </span></div>
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjY2RGk3OHOlToWWlO0do8JTJoawpsRgjGop10wvQOQK7SHYSf1j67xO8A1zw3Ptz-yA51J7ryDT5Re-pHgpQ1SZbA6HWZrTHQY61MuVBTx_Ol1FGu0gf_U9dyIVyKen2H46UgXRIStW7vg/s1600/%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A2%E8%A1%A8%E7%B4%99.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjY2RGk3OHOlToWWlO0do8JTJoawpsRgjGop10wvQOQK7SHYSf1j67xO8A1zw3Ptz-yA51J7ryDT5Re-pHgpQ1SZbA6HWZrTHQY61MuVBTx_Ol1FGu0gf_U9dyIVyKen2H46UgXRIStW7vg/s1600/%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A2%E8%A1%A8%E7%B4%99.jpg" height="320" width="241" /> </a></div>
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<span style="font-size: large;"><b><span style="color: #444444;">『<a href="http://books.shopro.co.jp/?contents=9784796875042" target="_blank">リトル・ニモ 1905-1914</a>』</span></b></span></div>
<div style="text-align: center;">
<span style="color: #444444;"><br />ウィンザー・マッケイ[著]/小野耕世[訳]<br /><br />大型本(347×265㎜)・上製・448頁(予定)・本文4C<br /><br />定価:6,000円+税<br />ISBN 978-4-7968-7504-2<br />小学館集英社プロダクション<br /><b><span style="color: red;"> </span></b></span><br />
<span style="color: #444444;"><b><span style="color: red;">好評発売中!!</span></b><span style="color: red;"></span></span><span style="color: red;"> </span></div>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-87941387544322425772014-08-08T12:00:00.003+09:002014-08-08T12:00:52.655+09:00第62回 ふたつの『少年探偵団』 私が成城学園初等科に途中入学したのは、小学3年のときだった。たぶん夏休みが終わっての秋だったのではないか。<br />
<br />
そして、その年の冬、正月に、母は私を連れて、クラス担任の馬場正男先生の家に、あいさつにうかがった。<br />
<br />
寒い日だった。<br />
<br />
馬場先生の家は、小田急線の成城学園前駅のひとつ新宿寄り、祖師ヶ谷大蔵駅から、少し歩いたところにあった。まだまわりに田んぼがあった。<br />
<br />
先生の家にあがっても、私は恥ずかしく、固くなってしまい、ほとんど口がきけなかった。<br />
<br />
「耕世くんは、どんな本を読んでいるかね。おもしろかった本があるかい?」<br />
<br />
「『少年探偵団』です」<br />
<br />
と、私はすぐに答えた。<br />
<br />
「ああ、あれはおもしろいだろう」<br />
<br />
と先生は笑顔になった。<br />
<br />
「ええ、とてもおもしろいです」<br />
<br />
と私。<br />
<br />
このやりとりで、私はすっかり気が楽になった。これで、先生と呼吸が合った……。<br />
<br />
と、ここまで書いてきて、勘ちがいする人がおいでかもしれない。小学生がおもしろがっている『少年探偵団』というからには、それは江戸川乱歩の少年探偵シリーズの、あの有名な一冊にちがいないと。<br />
<br />
もちろん私は、江戸川乱歩の少年探偵三部作『怪人二十面相』『少年探偵団』そして『妖怪博士』を、すでに読んで、熱中していた。これらの三作を、江戸川乱歩がすでに戦前に書いていたことに、あとになって私は驚く。<br />
<br />
その三部作は、戦後になって光文社から再刊されていて、それを私は読んでいたのだが、まるで最新刊のように感じて楽しんでいた。古い作品とはまったく思っていなかったのは、私と同世代の子どもたちも同様だったろう。そのあとに『大金塊』という作品もあるが、これには怪人二十面相は登場しないので、私は別に考えている。<br />
<br />
そして、戦後になって書かれた少年探偵シリーズの最新作は、戦後になって光文社が創刊した『少年』という月刊誌に連載が始まっていた。『青銅の魔人』というのがその新作である。都会の夜中、じゃらじゃらと音をさせながら(なぜかこの怪人は、からだのあちこちに、円形の懐中時計をぶら下げていて、それがぶつかって音をたてるのだ)青銅の魔人、つまり機械人間が徘徊する場面から物語は始まる。<br />
<br />
『少年王者』という絵物語で人気を得ていた山川惣治という画家が、この物語のイラストレーションを描いていて、それは見事なものだった。<br />
<br />
「ぼくの原点はね、山川惣治の絵物語『少年王者』と、あの『青銅の魔人』ですよ」と、後に私に語ったのは、画家の横尾忠則氏である。<br />
<br />
戦後、新しく始まった江戸川乱歩による少年探偵シリーズは、『青銅の魔人』が1年で連載を終えると、翌年にはすぐ次の連載が始まるほど人気を得て、何年も書き続けられていく。<br />
<br />
しかし、山川惣治がイラストレーションを手がけたのは『青銅の魔人』だけで、そのためもあって、私にはこの作品がとりわけ印象深い。このシリーズは、連載が終わると、すぐ光文社から単行本になり、再刊された最初の三部作にも増して人気を得ていたのだった。<br />
<br />
だから、馬場先生も、男の子が必ず読むといってもいい江戸川乱歩の『少年探偵団』のことは当然ご存知だったはずだが、このとき先生と私が話題にしたのは、江戸川乱歩の本ではなかった。<br />
<br />
私たちが話していたのは、エーリヒ・ケストナーの少年小説のことだった。<br />
<br />
この有名な本は、正しくドイツ語の原題を訳せば、『エーミールと探偵たち』となるのだが、私が最初に手にした小松太郎訳のこの本のタイトルは『少年探偵団』となっており、新潮社から出ていた。<br />
<br />
A5判背クロース装のハードカバーのこの本を、私は夢中になって読んだ。表紙には、歩いて行くひとりの紳士のあとを、子どもたちが集団で追いかけている街角の絵が描かれている。<br />
<br />
まさしく、怪しいおとなを追っている少年探偵団の姿なのだ。<br />
<br />
初めてこの本を読んだとき、世のなかにこんなにおもしろい本があったのか――と、私は驚き興奮した。目を開かれるような思いだった。江戸川乱歩の『少年探偵団』も、もちろん私は楽しんだ。江戸川乱歩は、少年たちを子どもあつかいしないで描いていたことで、小学生の心をとらえていたからだ。<br />
<br />
しかし、エーリヒ・ケストナーの『少年探偵団』は、江戸川乱歩のそれとは比較にならない――と言ったらおかしいかもしれないが、はるかに深く私の心をとらえた。<br />
<br />
ケストナーの文章の軽やかさ、伸びやかさ、そして描写される1930年代のドイツの子どもたちとその家庭、都市の描写は、私をまったく新しい世界に連れていってくれたのである。<br />
<br />
そこにはすばらしいユーモアがあったし、それを見事に描いたウォルター・トリヤーという画家の上品なイラストレーションが、またすばらしかった。<br />
<br />
小学三年の正月、担任の馬場先生を訪ねたとき、話題となった『少年探偵団』といえば、この本しかなかった。<br />
<br />
<br />
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh5jtkBbo4KpR4vK4pJnKXatBgQZZKYpluYbuQo5z3WwPt8ParFubi_HNG_FWV_4pmfaWnSWppwpfThXOIz54uZTEgic-CU1Kp3egElKPP61CHKPdgcMl9FonNBqxKbvhtut49QhNVH4W24/s1600/%2523062.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh5jtkBbo4KpR4vK4pJnKXatBgQZZKYpluYbuQo5z3WwPt8ParFubi_HNG_FWV_4pmfaWnSWppwpfThXOIz54uZTEgic-CU1Kp3egElKPP61CHKPdgcMl9FonNBqxKbvhtut49QhNVH4W24/s1600/%2523062.jpg" height="372" width="400" /></a></div>
<br />
<br />
<hr style="border-top: 2px dotted #ff9d9d; width: 100%;" />
<br />
<span style="color: #444444;">*第63回は<b>8/15(金)</b>更新予定です。 </span><br />
<br />
<br />
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<br />
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<span style="color: #444444;">今なお世界中の読者とクリエイターに衝撃を与え続ける</span></div>
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<span style="color: #444444;">初期新聞漫画の傑作が、小野耕世氏の翻訳でついに登場!</span></div>
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<i><span style="color: #0b5394;">「ウィンザー・マッケイは、『リトル・ニモ』のなかで、ありとあらゆる</span></i></div>
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<i><span style="color: #0b5394;">(中略)彼は、コミック・ストリップを発見した、というより</span></i></div>
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<span style="color: #444444;"><i><span style="color: #0b5394;">ほとんど発明したといってもいいだろう」<span style="font-size: x-small;">(訳者解説より)</span></span></i> </span></div>
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Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-77250432649498692482014-08-01T12:00:00.000+09:002014-08-01T16:22:22.775+09:00第61回 まぶたのなかの秘境 子どものときから、そしていまでも続いている私のひとり遊びがある。<br />
<br />
かんたんなことだ。<br />
<br />
ただ目をつぶればいい。<br />
<br />
そうすると、真っ暗で、なにも見えなくなるのではない。反対に、さまざまなものが見えてくる。<br />
<br />
例えば、夜、ふとんのなかに入って、眠るのではなく、目をつぶっていると、まぶたの内側に、なにか見えてくる。なぜだかよくわからないが、そのぼんやりとしたものが、次第にはっきり形をとってくる。<br />
<br />
最近の例では、それはなにかの機械だった。<br />
<br />
四角形や球形を組みあわせたようなもののかたまり――それが大きくなり、より複雑な立体物になっていく。手でさわれるような立体感があり、それが音もなく増殖していく気配。<br />
<br />
おもしろいのは、そのイメージが、きちんと(カメラで言えば)フォーカスが合っているのである。ぼやけているのではなく、くっきりと形がはっきりしている。<br />
<br />
もちろん、まぶたのなかの世界だから、青空のように明るくはないのだが、しっかりと形が見え、目をこらしていると――という表現はおかしいような気がするが、少しずつ細部が見えてくるようなのだ。<br />
<br />
目をつぶっているのに、イメージにピントが合ってくる。そしてこれは、目をつぶったままの状態での瞳のなかの形の変化なので、つまり映画で言えば、ワンカットの映像なのだ。イメージの変化が途切れることはない。<br />
<br />
いわば、まぶたのなかのフィルムの長まわしをしている状態なのだ。<br />
<br />
そこで一瞬、目を開き、すぐまた閉じると、そのイメージが続くのか、それともなくなって、別のイメージが現われるか――それがはっきりしない。つまり、もう一度目をつぶればカットが変わるのかどうか、自分でも答えられない。<br />
<br />
そして、このまぶたのなかで見た映像を、紙の上にエンピツなどで再現しようとしても出来ない。いや、出来るのかもしれないが、そうしようという気が起きない。<br />
<br />
ふしぎだな、と思う。<br />
<br />
これはたぶん、視覚と意識の問題なのだろう。まぶたのなかに、なにかを見ようという意志を持って、意識を集中させていると、見えてくるのである。<br />
<br />
いつも思うのだが、このようにして目をつぶって見ているイメージを録画しておいて、あとで見ることができれば、どんなにおもしろいことか――と、私は子どものときから思い続けてきた。<br />
<br />
<br />
<br />
以上、記してきたことは、夢のはなしではない。夢は眠っているときに見るが、これは目を閉じて、そのなかでなにかを見つめようという試み、遊びなのである。<br />
<br />
ただ目をつぶっているだけの状態だと、見えている世界は暗いのだが、それを明るくする方法を、小学生の頃に発見した。<br />
<br />
まぶたの上を、指でぎゅっと押すのである。<br />
<br />
すると、うす闇のようなその世界が、黄色く見えてくるように感じる。<br />
<br />
それを私は、チーズの谷間と思うようにした。<br />
<br />
チーズ色の峡谷が、まぶたのなかにひらけてくるのである。そのチーズの谷は深く、その谷を私が歩いていくとしたらどうだろうか――と空想する。<br />
<br />
子どものとき考えたのは、そのチーズの谷を、ウォルト・ディズニーのアニメーション映画のキャラクターたちが歩いていく姿だった。<br />
<br />
その場合、ミッキー・マウスやドナルド・ダックではなく、昆虫たちなのである。<br />
<br />
私は『ウォルト・ディズニーズ・コミックス』というコミックブックを、家の近くの世田谷・下北沢の古本屋で、一冊十円ほどで買っていた。それには、いろいろなディズニーのキャラクターが活躍するマンガが載っていたが、ミッキーやドナルド以外のマンガで、私が興味を持ったのは、昆虫たちが活躍するマンガなのだった。<br />
<br />
それはアメリカ映画の西部劇のような世界で、昆虫が腰にガンベルトを巻き、ピストルを抜いて撃ったりする。それが私には、とてもふしぎな印象で、例えば家の庭の草むらで、虫たちがこのマンガのようなことをしていたら――と空想してしまうのだった。<br />
<br />
もちろんカラーのマンガだから、虫たちはさまざまな色彩がにぎやかで楽しい。<br />
<br />
たぶんディズニーのコミックスだから、この昆虫世界のマンガも、短編アニメがもとになっているのでは――と思うのだが、アニメ自体は見たことがない。<br />
<br />
そして私は、目をつぶって、指でまぶたを押すと、闇のなかがチーズのような色になって、その谷間、その起伏のなかにディズニーのコミックスで見たマンガ化された虫たちを歩かせてみたくなるのだった……。<br />
<br />
<br />
<br />
目をつぶって、そのまぶたを指で強く押すのは、もちろん目には良くないと思うから、そんなに長くは押していないけれど、しかしこの方法で、私は子どもの頃に、自分のまぶたのなかにひそむ劇場を発見したのだった。<br />
<br />
まぶたのなかの想像の劇場、もしくは映画館、もしくは秘境は、いまでも変わらず存在するが、同じイメージがくり返されることはない。<br />
<br />
こうした視覚のひとり遊びは、子どもならだれでも発見するものだと思うのだが――まさか、私ひとりではないだろう。<br />
<br />
それにしても、目をつぶったひとみのなかの世界には、立体感と遠近が明白にある。<br />
<br />
例えば、『キャプテン・アメリカ』のコミックスの生みの親であるコミックブック・アーティストのジャック・カービィの作品には、宇宙魔神ギャラクタスや、惑星上に建造する奇妙で巨大な機械装置、惑星エネルギー吸収機などが描かれる。<br />
<br />
私は彼の描くそうしたメカニズムを、うっとりと楽しんできた。いまは亡きカービィは、やはり幻視の人だったと思う。彼は、自分のまぶたのなかに、独自の世界を持っていたのではないか。<br />
<br />
私は知らず知らずのうちに、自分のまぶたのなかの秘境にも、彼の作品の影響を受けてきたのかもしれない――とも思うのだ。<br />
<br />
<br />
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgtnJLEsJiRdg5RcnWO40jpac_xvdSuULoL6rwQdOFzVx3mDIGjq5CNogYQclS7skrt8gDFfKu_6Sjp1QgyYgVGZb534IXgRv7lmF8BkwpxzCUsqs4rfQQGD1zrkXbIGnXg9oL4aOeh4tOy/s1600/%23061.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgtnJLEsJiRdg5RcnWO40jpac_xvdSuULoL6rwQdOFzVx3mDIGjq5CNogYQclS7skrt8gDFfKu_6Sjp1QgyYgVGZb534IXgRv7lmF8BkwpxzCUsqs4rfQQGD1zrkXbIGnXg9oL4aOeh4tOy/s1600/%23061.jpg" height="371" width="400" /></a></div>
<br />
<br />
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</div>
ディズニーの新しい長編アニメが来るたびに、小学校のクラスで見に行った。<br />
<br />
『白雪姫』に続いて『ピノキオ』や『バンビ』が公開され、いずれも日本語字幕での上映だったが、むしろそのほうが英語のセリフや歌が味わえて楽しかった。<br />
<br />
私の父は、アメリカで発売されていた『白雪姫』『ピノキオ』『シンデレラ』の歌のサウンド・トラック盤のレコードを買ってきた。当時、東京の有楽町(現在、ザ・ペニンシュラ東京というホテルが建っている場所)に、アメリカン・ファーマシーという、アメリカのオモチャやロリポップ(キャンディ)などのお菓子、レコードや絵本などが売っている店があった。そこで父は、いろいろなものを買っては、子どもたちのおみやげにしていた。<br />
<br />
私がもらったものに、例えばベーブ・ルースの腕時計がある。時計の文字盤にアメリカ大リーグのホームラン王の写真がカラーで印刷されていた。とっくに失くしてしまったが、いま持っていればたいへんな値打ちものだったかもしれない。<br />
<br />
ディズニーアニメのレコードは、ベークライト製のSP盤だったから、ケースにはいった三枚セットはずっしりと重い。『白雪姫』『ピノキオ』『シンデレラ』を、各三枚、裏表をプレイヤーでかける。一面三分ほどの長さで、『白雪姫』の「私の願い」や「ハイ・ホー」、『ピノキオ』の「星に願いを」や「ジミニー・クリケットの歌」、『シンデレラ』の「ビビディバビディブー」や「舞踏会の歌」など、いつもきいて楽しんでいた。<br />
<br />
サウンド・トラック盤なので、映画のセリフもちょっとはいっていて、アニメの場面を思いうかべることができた。それをきいて、子どもたち三人は育ったことになる。<br />
<br />
新しいディズニーアニメが公開されると、必ず手塚治虫のマンガが刊行された。<br />
<br />
手塚治虫の描きおろしのマンガ単行本は、ディズニーアニメの内容のままではない。『ピノキオ』には、アニメにはないがコッローディの原作にある裁判場面なども加えられており、マンガとして内容に深みがあるので読みごたえがあった。ディズニーの画風を自分のものにしている手塚治虫だったが、ストーリー構成が新鮮で、ディズニーのアニメとはかかわりなく楽しむことができた。<br />
<br />
巻頭に四色刷りのページがあり、森の夜明けの美しさをディズニーアニメの印象を生かして描いた手塚治虫の『バンビ』の場合も、アニメにはない部分が描きこまれていた。<br />
<br />
『バンビ』のアニメでは、山火事が起きて、バンビの母子は逃げまどい、母鹿が「バンビー!」と叫んでバンビを探して走る場面に、私たち小学生の観客は、涙を流した。<br />
<br />
その後しばらく、私のクラスではバンビごっこが流行した。成城学園には、大学から小学校のほうに歩く途中に木の繁った斜面があり、私たちは「バンビー!」と叫びながら、斜面を走りまわって遊んだものだ。<br />
<br />
その頃、新潮社から『世界の絵本』という子ども向けの絵本のシリーズが出ていた。『スタンレー探検記』『フランダースの犬』『おさる博士』といった絵本をどんなに私は楽しんだことか。<br />
<br />
ディズニーの『バンビ』もこのシリーズで出たが、2種類あった。そのひとつ『バンビ』は、小学生向けの大判の絵本で、森の夜明けの場面などが美しい色調で、アニメのセルを生かして描かれていた。<br />
<br />
もう1冊、A5判のハードカバーの絵本『子鹿バンビ』も出ていた。こちらは少し高学年向きで、文章も多く、同じディズニーの絵本なのだが、絵の描きかたが違っている。小学生当時の私は、大判の『バンビ』のほうが好きだったが、いまでは高学年向きも悪くないと思っていて、2冊とも持っている。<br />
<br />
その頃、成城に住んでいた同級生の女の子が、アメリカで出たディズニーの本を持ってきたことがある。<br />
<br />
『三匹のこぶたとその他の物語』(Three Little Pigs and other stories)というそのハードカバーの本は、ディズニーの長編アニメではなく、シリー・シンフォニーと呼ばれていた短編のシリーズを紹介した内容だった。<br />
<br />
表題の『三匹のこぶた』のほか『みにくいアヒルの子』『アリとキリギリス』『丘の風車』そのほかディズニーがアニメ化したお話が、すべて美しいセル画をたくさん収録して語られているのだった。<br />
<br />
私はひと目で魅せられてしまい、その同級生に頼みこんで、その本を借りた。その後、返さなくてはいけないと思いつつ、返さないでいた。<br />
<br />
10年ほど前、成城学園初等科の白樺組のクラス会があったとき、彼女も出席していた。私はおそるおそる長いあいだ借りっぱなしだったディズニーの本のことを話すと、「あら、そんなことあったかしら」と、彼女はすっかり忘れていた。<br />
<br />
そんな次第で、宝もののようなその本を、まだ私は持っている。<br />
<br />
昨年、ディズニーのシリー・シンフォニーのDVD(日本での著作権が切れている)を、東京・新橋駅の売店で見つけて買ったが、全5枚あったうち『三匹のこぶた』を含むディスクだけ買いそこねてしまった。どこかで売っていないかしら。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiuaqrbRh99h8g_HLPRpfztWlSW-ppnraHLKJvQzOE-ki9tIF8Q9S_kfSeG9GyRoZC7sBCYgFyr679SB0UeEoa1vcPr6sTwQAKizUpkDg6qI7CITVNKatMQHJGp9nsY8ZPXnXCBdrGyxuLU/s1600/%2523060.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiuaqrbRh99h8g_HLPRpfztWlSW-ppnraHLKJvQzOE-ki9tIF8Q9S_kfSeG9GyRoZC7sBCYgFyr679SB0UeEoa1vcPr6sTwQAKizUpkDg6qI7CITVNKatMQHJGp9nsY8ZPXnXCBdrGyxuLU/s1600/%2523060.jpg" height="232" width="400" /></a></div>
<br />
<br />
<hr style="border-top: 2px dotted #ff9d9d; width: 100%;" />
<br />
<span style="color: #444444;">*第61回は<b>8/1(金)</b>更新予定です。 </span>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-72649549497902816322014-07-18T12:00:00.000+09:002014-07-18T12:00:06.143+09:00第59回 世界一の美女はだれ? 成城学園初等科に通っていた時期は、子どもたちの話題の多くをディズニーの長編アニメが占めていた。<br />
<br />
まず、最初の長編『白雪姫』がある。<br />
<br />
その頃の外国映画は、アニメだろうが劇映画だろうが、子ども向きであっても、すべて日本語字幕版で、それがあたりまえだと思っていた。ディズニーアニメでは日本語吹き替え版が上映されるのは『ダンボ』からである。<br />
<br />
だから『白雪姫』は、英語の音声を耳にしながら、画面の翻訳字幕を読んでいたが、そのことに抵抗はなかった。クラスのみなが先生に引率されて見に行ったが、どこの小学校でもそうしていたのではないか。映画館は有楽町にあったスバル座である。<br />
<br />
映画館では、プログラムとは別に、アメリカのリトル・ゴールデン・ブックから刊行されていた四角い子ども向きの絵本『白雪姫』の日本語翻訳版も売られていた。映画のセルを使用した美しい本で、それを買ってもらった――ということは、母もいっしょに見にきていたのかもしれない。いまでもこの本は持っている。<br />
<br />
クラスで映画を見に行ったあとは、国語の時間にその感想を書くことが多かった。好きなことを書いていいと言われると、見てきたディズニーの映画について書きたくなってしまう。<br />
<br />
私は感想というよりも、自分だったらこういうストーリーにしたいと、『白雪姫』のお話に自分の勝手な空想をつけ加えた。それにはミッキー・マウスやドナルド・ダックも出てくるのである。<br />
<br />
そしてけっこう長く書いてきたあとで、「先生、このストーリーをどう思いますか?」と記し、そのあとに答えを書くような余白をつけた。すると国語担当の馬場正男先生は「きみの書いてきたストーリーの感想か、それともディズニー映画の感想か?」と、逆に質問を記して、提出したノートを返してきた。<br />
<br />
私はうっかり、どちらについての感想を先生に求めているのか、質問にはっきり書いていなかったのだった。<br />
<br />
この小学校の授業の方法がいかに自由だったか、この例でもわかるだろう。私は自分のノートにずいぶん勝手なことを書いて、先生に見せていたことになる。<br />
<br />
『白雪姫』を見たあと、この映画に刺激を受けて書いた、ミッキー・マウスたちが登場する『白雪姫』の物語がどのようなものだったか、すっかり忘れてしまった私だが、このアニメについて忘れていないことがひとつある。<br />
<br />
『白雪姫』は、かんたんに言えば、「世界一美しいのはだれか」と魔法の鏡にたずねると「それは白雪姫です」と答えられてしまった女王が、自分が世界一の美女でありたいために、白雪姫を殺そうとするお話である。<br />
<br />
『白雪姫』を見たとき、私は小学校三年だった。そして、たしかに白雪姫をかわいいとは思ったが、女王よりも美しいと、ほんとうに思ったのだろうか。女王がお城の窓をあけて白雪姫を見る場面があったと思うが、そのアイシャドウをつけた表情に、ちょっと私はどきりとした。<br />
<br />
女王はやがて、魔法で自分をみにくい老婆に変え、毒のリンゴを持って白雪姫を訪ねる。でも、女王の姿でいるとき、その顔は妖しく美しく見えた――というより、どんな女性が美しいのか、はっきりした考えなどない子どもの私にも、女王の妖しさは感じられたのである。<br />
<br />
この思いは、私が成長するにしたがって強まってきた。だが、ディズニーの『白雪姫』を見て、白雪姫の美しさを疑い、女王のほうが美女だという感想(映画評)を、いままできいたことがない。<br />
<br />
ところが、数年前にオーストラリアの絵本作家で『アライバル』という128ページのことばを用いないグラフィック・ノヴェルを描いて、世界的な評価を得たショーン・タン氏にインタビューしたときのことだ。自分の絵本『ザ・ロスト・シング』を監督としてアニメ化し、アカデミー短編アニメ賞を受賞するほどアニメに関心の高い彼は、『白雪姫』を子どもの頃に見たときのことを、こう語った。<br />
<br />
「あの女王には、なにか妖しいものを感じた。子どもが見てはいけないなにかが、女王にはあるような感じがして、ぞくっとしたんだよ」<br />
<br />
ショーン・タン氏の感想に、私はわが意を得た思いだった。<br />
<br />
それで少し前に、『キネマ旬報』でディズニーアニメの小特集があり、原稿を頼まれたとき、そのことを私は書いた。「『白雪姫』の魔法の鏡はまちがっていた。世界一の美女はセクシーな女王でいいのである。白雪姫は、単に気だてのいい、かわいい小むすめにすぎない」という意味のことを書いたのだが、これは反感を買うかもしれないと思っていたら、「自分も同じ気持ちだった。それを初めて書いてくれた映画評論家がいた」とそれを読んで言った人がいる。<br />
<br />
まあ私は、ディズニーが、世界最初といわれる(実際には南米で、それより早く長編アニメが作られていたようだが、作品が残っていない)『白雪姫』(1938)のなかで、さまざまな意味で、非常に過激なことを試みていたということを、言いたかったにすぎない。あの女王は、ディズニーがこれまでに描いた唯一のセクシーな女性であり、『白雪姫』は、優れて官能的なアニメでもあったのだ。<br />
<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgHhsMokG0MsAYTwUJISaVPK4nmNrcaeGr6NveoEP7qTUJdZO7ah0LvHu91ss2Xcs33-VYwEg-d1R5pDcmLe4S9Mk43tVH6XNm2FEi5fRkUJHsYrKW5Kdh7PIbmFtQxuSB84aY45IqK7AIj/s1600/%23059.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgHhsMokG0MsAYTwUJISaVPK4nmNrcaeGr6NveoEP7qTUJdZO7ah0LvHu91ss2Xcs33-VYwEg-d1R5pDcmLe4S9Mk43tVH6XNm2FEi5fRkUJHsYrKW5Kdh7PIbmFtQxuSB84aY45IqK7AIj/s1600/%23059.jpg" height="320" width="295" /></a></div>
<br />
<br />
<hr style="border-top: 2px dotted #ff9d9d; width: 100%;" />
<br />
<span style="color: #444444;">*第60回は<b>7/25(金)</b>更新予定です。 </span>
Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-13510166943000505532014-07-11T12:00:00.000+09:002014-07-11T12:00:00.388+09:00第58回 ニワトリたちと犬の運動会 1950年代の初めごろは、東京のあちこちに家庭菜園があり、野菜を育てていたし、ニワトリなどを飼っていた。<br />
<br />
父が建てた新しい家の庭でも、トウモロコシなどを育てていたが、北側の物置のそばには、鶏小屋もあった。<br />
<br />
そこで白色レグホンを五羽飼った。<br />
<br />
もちろんタマゴを得るためである。<br />
<br />
はじめは、ちゃんとタマゴを産んでもらうために、瀬戸物でできた抱かせタマゴを、金網ばりの鶏小屋のなかに置いたのを覚えている。ニワトリに、タマゴを産む練習をしてもらうために、そういうものがあったのだ。<br />
<br />
ニワトリのエサは、菜っ葉をきざんでぬかをまぜたものを母がやっていた。<br />
<br />
そのうちニワトリたちはタマゴを産むようになる。小屋の戸をあけて、そっとそれをとってくるのは、子どもの役目だった。メンドリたちは、タマゴを産むときに鳴き声をたてるが、毎朝、私や弟は、メンドリの様子を見ながら、まだ暖かいタマゴをとってくるのだった。<br />
<br />
そして、小屋のとびらをあけて、ニワトリたちを出して庭を散歩させた。運動のためだ。ニワトリたちは、木の枝についている虫などをめざとく見つけて食べたりした。<br />
<br />
彼らをまた小屋にいれるために、ニワトリを追わなくてはならない。コッコッコと鳴くメンドリたちを、私は小屋のほうへと追っていく。<br />
<br />
五羽いるうち、やや小さめなメンドリが、なんだか元気がない。ほかのメンドリたちにつっつかれるのである。ニワトリの世界にもいじめがあるのだということを、私は初めて知った。<br />
<br />
それは珍しいことではなく、複数のニワトリを飼っていると、そのなかで序列ができ、下位と見なされたニワトリをくちばしでつつく――その順列をペッキング・オーダーというのだと知ったのは、ずっと後のことである。<br />
<br />
いじめられるニワトリがかわいそうなので、なんとかかばおうとするのだが、それはどうしても無理で、結局、いちばん弱いニワトリは、あるときぐったりとなって小屋のなかで死んでいた。「かわいそうだね」と私たち子ども三人は悲しみ、妹は泣きだしてしまった。そのニワトリは、庭に穴を掘って埋めた。<br />
<br />
ニワトリたちがいるときに、犬を飼っていたこともある。<br />
<br />
子犬でもらってきたので、元気に庭のなかを走っていた。その姿はとても愛らしい。<br />
<br />
ところが、ニワトリたちを小屋から出して遊ばせてやる時間に、子犬も庭をかけまわっていると、ニワトリたちは犬を追っかけるのである。<br />
<br />
小さい犬だから、馬鹿にするのだろう。ニワトリたちは、子犬を追いかけて、くちばしでつつこうとする。犬はニワトリが近づくと、逃げるようになった。まるでニワトリたちと犬の運動会である。<br />
<br />
しかし、犬の成長はニワトリより早い。ニワトリはそんなに巨大化しないが、子犬は小さくても、どんどん大きくなる。いつのまにか、メンドリの大きさをしのいでしまうのである。<br />
<br />
そうなると、今度は犬のほうがニワトリをおどろかして吠えたりする。今度はメンドリたちが逃げる番だ。<br />
<br />
しかし大きくなった犬は、ニワトリがしかけてくれば別だが、自分からニワトリをいじめたりはしない。つまり、メンドリたちは相手が弱そうだと、それにつけこむのだった。<br />
<br />
その犬とは別の犬だったと思うが、まっ黒い雌犬を飼っていたことがある。クロと名づけてかわいがっていたが、ある日、外に散歩に連れていったとき、今でいう環状七号線の道路で、野犬捕獲人につかまってしまった。<br />
<br />
母も私も弟もいっしょで、声をかけたのに飼い主の目の前で犬はつかまってしまい、いくら「うちの犬です」と言っても、ききいれてもらえず、そのまま車のうしろの台にクロを乗せていってしまった。首輪もつけていたのにである。そのころは、野犬狩りの人たちが、よく道を行き来していたものだ。<br />
<br />
私たちは、その車を追って走った。もちろん追いつけなかったのだが、あとで野犬を収容している場所があると母が調べて、そこに行くと、クロはほかの犬たちといっしょに収容されていた。野犬はつかまると、すぐ処理されてしまうといわれていたが、幸いにクロは無事で、事情を話してひきとった。<br />
<br />
そのときは母も子どもたちも、嬉しかったものだ。飼っている動物をなくすと、ほんとうに家族を失ったような気持ちになることも、このとき初めて経験したのだった。必死になって、野犬狩りの車を追い、息を切らして走ったあのときは、家族を連れもどさなくては――という気持ちで、涙が出た。無実の死刑囚を寸前に救出したような気分。<br />
<br />
それからずいぶん経ってのことだが、ある日クロは、ひとりで家の縁の下にはいって、出てこなくなった。心配して私がのぞきこむと、ううう、とうなった。<br />
<br />
やがてわかったのだが、クロは子どもを生んでいたのだ。9匹もの赤ちゃんを生み、飼い主が近づくとうなったのは、母親の本能だったのだ。<br />
<br />
お母さんはたいへんだなあ――と、犬を見て私は学ぶのだった。<br />
<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiFfUiWzt139VBX_pr83zpV3Mxl50CV-tlp5wkJVFm1YxFMuVNkZ93WCSjOuV47Z4nzwDx-601hWee2JDMHCuNV8R9KZIy_6y4knFNbPRntL2snuFlfnw-C9ovkHQv_CwcNVIadoYSFZdRr/s1600/%23058.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiFfUiWzt139VBX_pr83zpV3Mxl50CV-tlp5wkJVFm1YxFMuVNkZ93WCSjOuV47Z4nzwDx-601hWee2JDMHCuNV8R9KZIy_6y4knFNbPRntL2snuFlfnw-C9ovkHQv_CwcNVIadoYSFZdRr/s1600/%23058.jpg" height="336" width="400" /></a></div>
<br />
<br />
<hr style="border-top: 2px dotted #ff9d9d; width: 100%;" />
<br />
<span style="color: #444444;">*第59回は<b>7/18(金)</b>更新予定です。 </span>Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-22684989516266190492014-07-04T12:00:00.000+09:002014-07-04T12:00:02.788+09:00第57回 新訳版『リトル・ニモ』のためのマンガによる序文 前回、家で飼っていた最初のネコであるポンについて書いた。<br />
<br />
しかし、ネコを飼うということは、家にネズミがいたからでもある。アジア太平洋戦争後から1950年代の木造家屋には、多かれ少なかれネズミがいたのではないだろうか。天井があれば、ネズミがいてもおかしくはない……。<br />
<br />
と書いてきて、別のネズミのことを思う。私が翻訳したアート・スピーゲルマンのグラフィック・ノヴェル『マウス』および『マウスⅡ』(いずれも晶文社)のことだ。<br />
<br />
アウシュヴィッツのユダヤ人収容所を生きぬいた自分の父のことを、マンガによるノンフィクションとして描いた『マウス』は、物語マンガを新しい次元にひきあげる結果となった。彼はそのそのコミックスのなかでユダヤ人をネズミに、ドイツ人をネコの姿に置きかえて描いた。人間たちを単に動物化するのではなく、動物の仮面をつけたマスク・プレイのようにも見える描き方をしたのは、すばらしい着想だった。<br />
<br />
そのアート・スピーゲルマンが敬意をはらってきた世界最高のコミックスは、ジョージ・ヘリマンによる『クレイジー・キャット』と、ウィンザー・マッケイによる『リトル・ニモ』だった。<br />
<br />
私が彼と初めて会ったのは、1980年の東京でだったが、ものの10分もしないうちに、私とスピーゲルマンは『リトル・ニモ』やカール・バークスによる『ドナルド・ダック』のマンガについて話しこんでいて、すぐに意気投合した。<br />
<br />
私は1976年に、『リトル・ニモ』の日本で最初の翻訳を試みたが、すでに絶版となってしまった私の『ニモ』の本は、古書値があがってしまい、10万円近い値段で買ったファンもいる(私自身も、定価と同じ4,500円で売っているのを古書店の目録で見つけ、注文して買ったこともある)。<br />
<br />
それは、150ページほどの本だったが、今後改めて翻訳をし直して、400ページ以上になった『リトル・ニモ』の集大成を出すことになった。<br />
<br />
8月上旬に小学館集英社プロダクションから刊行される予定だが、この新しい日本語版のため、だれか『ニモ』を良く知っている人に序文を寄せてほしいという気持ちになった。それにふさわしい人は、アート・スピーゲルマンしかいない――と、私はすぐに思った。<br />
<br />
だが、私がスピーゲルマンにそれを依頼したのは6月の初めだった。<br />
<br />
「うーん、いまはもうれつに忙しくて、秋まで仕事が手いっぱいなんだ」と彼は返事をしてきた。「しかし、ひとつ思いついたことがある。ぼくは1986年、ウィンザー・マッケイの研究家として知られるジョン・キャナメイカーによる評伝『ウィンザー・マッケイ その生涯と芸術』という本が出たとき、USAトゥデイという新聞に頼まれて、書評を書いたことがある」と言う。<br />
<br />
それは、文章ではなく見開き2ページにまたがるコミックス形式の書評なのだった。マンガのコマのなかに、ネズミの顔をしたスピーゲルマンが登場し、吹き出しのなかで、いかにマッケイがすばらしく、その代表作である『夢の国のリトル・ニモ』が、どれほど画期的なマンガの技術を開発していったか、時代背景を説明しながら語っていくのだった。<br />
<br />
『リトル・ニモ』の画面を引用しながら、スピーゲルマンは、世界マンガ史上に輝く『リトル・ニモ』の世界を、プロのマンガ家の目を通して論じているのである。具体的でわかりやすく、マッケイとその作品の魅力を読者になんとかして伝えたいという情熱が、この2ページにあふれていて、その熱意が読む者をつつみこんでしまう。<br />
<br />
<br />
<br />
「だから、この書評マンガの吹き出しのなかのセリフを、一部、きみの日本語版の『ニモ』の本に向くように書き直して、それを序文にするというのはどうかな」<br />
<br />
とスピーゲルマンは言ってきたのである。<br />
<br />
実は、このマンガ形式の書評は、アメリカの出版界で非常に評判がよく、1997年にアメリカで刊行された『リトル・ニモ傑作選』のなかにもスピーゲルマンによる解説の形で再録されているほか、フランスで刊行された『リトル・ニモ』についての研究集成の本にも(仏語訳されて)再録されている。<br />
<br />
さらに2010年に刊行された、スピーゲルマンが『マウス』をめぐる自分のコミックスへの道筋をふり返って語った『メタ・マウス』という分厚い本のなかにも収載。<br />
<br />
つまりこの作品は、書評として以上に、『ニモ』についての優れた解説マンガとして、独立した価値をもつものとされてきたのだった。<br />
<br />
そして、これまでの再録では、吹き出しのセリフは初出のまま一語も変えていなかったのだが、今度の日本語版『ニモ』の新訳のため、それを少し変えてみようというのだった。<br />
<br />
改訂版の出来ばえはすばらしかった。絵はまったく同じだが、吹き出しのセリフに手を加えたことで、デジタル化が進む最新の出版事情も反映しており、現在の日本のマンガ読者が、とりわけ楽しめる内容になっている……。<br />
<br />
と説明するよりも、ともかく来月上旬に刊行される私の新訳版『リトル・ニモ』と、アート・スピーゲルマンによるカラーのコミックス形式の序文を、どうか読んでほしい。詳しいことは、読んでからのお楽しみなのだから。<br />
<br />
「セリフの一部の修正に、まる二日かかったよ」とスピーゲルマンは語る。「これじゃ、新しく序文を書いたほうが楽だったかな」<br />
<br />
世界マンガ史上の〈文化遺産〉と言っていい『リトル・ニモ』のマンガに、マンガによるすてきな序文が寄せられたことは、なによりも嬉しい。<br />
<br />
<br />
<br />
さて次回は、私の子ども時代の家で飼っていたニワトリたちのことを話そう。<br />
<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg2oduH8vMnvZWDeCKl6S0vwEvylM2zcHgO0t1f5BCpSZ-18APiD97wcgnmOT77Tipm-vBXwnnm2mVLEvS1Qi0M3kXtRC7buHbAax3OVSQ6MjcPq0qC7OptMOt4csnHQAoUVGpbvD_67_pz/s1600/%23057.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg2oduH8vMnvZWDeCKl6S0vwEvylM2zcHgO0t1f5BCpSZ-18APiD97wcgnmOT77Tipm-vBXwnnm2mVLEvS1Qi0M3kXtRC7buHbAax3OVSQ6MjcPq0qC7OptMOt4csnHQAoUVGpbvD_67_pz/s1600/%23057.jpg" height="233" width="400" /></a></div>
<br />
<br />
<hr style="border-top: 2px dotted #ff9d9d; width: 100%;" />
<br />
<span style="color: #444444;">*第58回は<b>7/11(金)</b>更新予定です。 </span>Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1692466853678284177.post-1352594636437655492014-06-27T12:00:00.000+09:002014-06-27T12:00:01.424+09:00第56回 ポン・ギー 小学校のクラスでの日々について書いてきたが、忘れないうちにその頃の私の家の様子について記しておこう。<br />
<br />
戦争から帰ってきた父が、焼け跡に新しく建てた家は、正確にはもとあった家の焼け跡ではなく、道路をへだてた、その向かい側の土地に作られた。<br />
<br />
もともと戦前から私が住んでいた地所は借地で、向かい側の二百坪ほどの土地が、小野家が持っていた地所であり、人に貸していたのである。戦前は、そこに五軒の家があり、中心に井戸があった。<br />
<br />
だから改めて、自分の地所に家を建てたことになるが、よくその井戸で、しばしば呼び水をしながらではあったが水くみをしたものである。井戸のそばに小さな池をつくり、そこに金魚をいれたものだ。<br />
<br />
敷地の東側、垣根と門がある方から、四畳半の居間と台所と風呂場があり、続いて8畳間と縁側があり(そこまではたたみの和室)、そして玄関を渡るとさきに8畳の洋間があって、そこが父の仕事場であった。<br />
<br />
この洋間には二階というほどではないが、天井部屋があり、階段ではなく脚立(きゃたつ)を立てて登り、天井にある四角い切り口のとびらを押しあげて、そのせまい部屋にはいることができた。<br />
<br />
父の仕事場はあるが、本格的なアトリエは、まだ建っていない。<br />
<br />
だから敷地に余裕があった。東から西へ伸びる建物の南側は広い庭になり、北側の風呂場のそばには物置きが作られ、余った場所にはイチヂクの木が育っていた。<br />
<br />
道路に面した東側に門があり、門柱には丸い外灯が乗っていて、だいたい昼間は、その外灯のそばに、ネコが一匹すわっていた。<br />
<br />
それが最初に飼っていたネコで、よくある灰茶色の縞のはいった雄ネコで、ポンという名は父がつけたのだった。<br />
<br />
その門には緑色の木のとびらがついていて、左右に開き、閉じるときは木の角棒をわっかに通す。<br />
<br />
その門から家の玄関まで、コンクリートを敷いた道が庭を通っている。<br />
<br />
その道の南側は、初めトウモロコシ畑になっていた。<br />
<br />
つまり、1945年夏の日本の敗戦後は、食糧難のために多くの家が家庭菜園を作り、なにか作物を植えていて、それは珍しいことではなかった。<br />
<br />
わが家ではトウモロコシを育てていたが、そこにヒマワリを植えていた時期もある。<br />
<br />
そして、門の左右にのびる緑色にぬった木の垣根には、バラの木が植えられ、バラのつたが巻きついていた。門の北側には別の植木もあったし、南側には柿の木も育っていた。<br />
<br />
また、玄関の近くには、シュロの樹が二本植えてあった。写真を見ると、私が小学生のころの二本のシュロは、私の背よりも小さく低いのだが、私が大学生のころには、見あげるような高い樹に育ち、植木屋がはしごをかけて葉を切るほどになるのである。<br />
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そのほかツバキの木や、モクレンの木、かんきつ類の木(よくアゲハの幼虫が葉を食べていた)、ツツジなど、いろいろな木が植えてあった。<br />
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そうした家の様子は、道を行く人たちからは、すっかり見えていたにちがいない。<br />
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よく家をへいで囲って、なかを見えないようにしている家があるが、父はそれを嫌った。<br />
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「マンガ家の家だから、明るくなくちゃな」と、外から見える開放的な家にしたのだった。<br />
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こうした家での子どもの仕事のひとつに、雑草とりがある。夏は、ひどい草いきれのなか、私は麦わら帽子をかぶり、隣家の境に近い場所で、草とりにはげんだ。<br />
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隣家のおじさんも、やはり草とりをしているのが見えた。手と鎌をつかって、汗だくになって草をとっていく。<br />
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あるとき庭の草ぼうぼうの一帯を茶の間から見ていたら、ネコのポンがいる。<br />
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ポンがなにをしているかというと、ヘビと争っているのだった。草のなかからかま首をもたげたヘビに、ポンが爪を立てて挑戦しているではないか。<br />
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つまりその頃は、世田谷の住宅地にも、ヘビがいたということなのである。もちろん毒ヘビなどではなく、ごくふつうの青大将なのだろうが、わが家のネコは、門柱にうずくまっているばかりでなく、堂々とヘビともけんかしていたのだ。<br />
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「ポンのやつ、爪をかくすということを知らないんだ」と、父はこの元気なネコをかわいがっていた。<br />
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そして秋になると、わが家の庭は、コスモスの花でいっぱいになる。門から玄関に続く道の両側に、コスモスの花は、空中に浮くように見事に咲き誇っている。<br />
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そこを、まだ二歳にならない私の妹が歩いていると、コスモスの繁みに隠れていたポンがとびだして、妹の手をひっかくのだった。<br />
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「ポン・ギー」と言って、妹は泣きじゃくった。「ポンがギーッと手をひっかいた」という意味である。妹の手当てをしながらも、そんなポンを、家のものはみなかわいがっていた。ポンは、小さな妹を襲って遊んでいたのである。<br />
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だが、わが家の動物は、ネコだけではなかった。<br />
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<span style="color: #444444;">*第57回は<b>7/4(金)</b>更新予定です。 </span>Unknownnoreply@blogger.com