2013年5月24日

第4回 初めてマンガ映画を見る

 夜の家は、恐かった。

 私が育った世田谷の代田の主屋は、大きかったのだろう。夜、ひとりでトイレに行くための廊下が、幼児の私には、ずいぶん長く感じられた。左側が外にむかったガラス戸で夜は雨戸が閉まっている。右側が和室がならぶ障子。そのあいだの廊下を歩いていかなくてはならない。

 もちろん電灯をつけるのだが、そのあかりでガラス戸のガラスに映っていて、光のなかに吸いこまれていきそうなのに、まわりは暗くもある。もっと小さい頃は、母に連れられてトイレに行ったのにちがいないが、もちろん記憶にはない。

 ガラス戸の外の雨戸については、思い出がある。朝になると、雨戸をしまわなくてはならない。どこの家でも雨戸があり、それを動かして、戸袋に収納しなくてはならない。廊下の角に戸袋があり、木の雨戸を一枚づつなかにきちんといれていく。

 ところが私の家では、角に戸袋がなかった。廊下はそこで直角に曲って続いており、その角で雨戸は、雨戸が走る木の筋のうえでくるりと回転する。そのコーナーの上と下に小さな車がつけられていたのだろう。雨戸はくるりと90度まわって、次の廊下に移動し、そこをすべって、そのさきにある戸袋のなかに収められていく……。

 子どもごころに、家の角で回転する雨戸がおもしろくて、雨戸をしまうときによく手伝ったものだし、自分でもしまえるようになっていた。どこの家にも雨戸はあったが、角にくると雨戸がくるりとまわるように設計されている家は、ほかに見たことがない。

 もちろんいまでは、アルミサッシできちんと固定されているから、雨戸のある家はなくなっているし、庭に面した縁側やガラス戸というものも過去のものになりつつあるかもしれない。

 あるとき、家の前の道を少しあがったところでひとりで遊んでいると、ポツンと雨がひと粒落ちてきて、私に当った。私は大きな木の下にいたので、見あげると、木の葉の緑の繁るなかから、いきなり雨がざあっと降ってきた。夕立ちである。でも私には、木が雨を降らしたように感じてびっくりした。私はあわてて、雨のなかを道を走って、家の門をあけ、玄関を通らずに庭にまわると、縁側のガラス戸のなかに、母がなにか縫いものをしている姿が見えた。

 私は下駄をもどかしく脱ぎすて、ガラス戸をあけてなかにとびこむと、母のひざにとびこんだ。母は泣いている私を抱きしめ、手ぬぐいで髪をぬぐい、なにか言って私をあやし、なぐさめてくれた――幼児のころの母について、このなんでもない出来事が、最も強い思い出となっている。

 私はあまり丈夫な子どもではなかったようだ。ときどき母に連れられて、医者のところへ出かけた。私の家の主治医は、渋谷のミネ先生(フルネームは覚えていない)で、井の頭線で渋谷に出かけるのは楽しかった。診察を受けて帰るときは、必ず渋谷の駅近くの高野フルーツパーラーの2階で、リンゴをすったものを食べさせられた。ガラスの皿で出されたすったリンゴを、私はスプーンで食べた。リンゴはからだにいいとミネ先生が指導したのだろう。私がカゼなどをひいて寝こんでいると、ミネ先生は車で往診に来た。助手が必ずいっしょに来ており、治療が終ると、母はお湯をいれた洗面器を用意していて、先生は手を洗った……。

 そうだ、家の庭には、こいのぼりをあげるポール(柱)があって、5月にはこいのぼりが空にひるがえっていたことがあるような気がする。私は5歳になっていたのか? 父親がいないのにこいのぼりがあがっていたとすると、どこかさびしい気がする。

 私が生まれて初めて見た映画は、アニメーション、つまり、当時でいうマンガ映画であった。




 母に連れられて映画館で見たのだから、それは渋谷の映画館だったにちがいない。まず覚えているのは、巨大な工場のなか飛行機が作られている画面だった。ニュース映画だったのだろう。それからマンガ映画を見たのだが、男が歌をうたいながら、いや、歌声にあわせながら、包丁で大根などを切っている場面を覚えている。

 ああ、あれは『フクちゃんの潜水艦』(1944)という27分ほどの海軍省後援のアニメーション映画だったのだと思いあたったのは、ずっと後になってのことだった。この映画のなかで、アラクマさんというキャラクターが、潜水艦のなかで食事のしたくをする場面があり、彼が流れ作業のように歌のリズムにあわせて大根などを切っている場面は楽しく、私の思い出に残っているのだろう。

 「フクちゃん」というマンガのキャラクターを1936年に新聞連載マンガの主人公として生みだし人気を得たマンガ家・横山隆一(1909-2001)は、私の父の友人で、いっしょにインドネシアに従軍した仲である。

 そんなこともあって、母はこの映画を見に連れていってくれたのかもしれない。この映画が東京で公開されていたころ、横山隆一氏は、ひと足さきに日本に帰っていたかもしれないが、私の父は、なおジャカルタにいた。もちろんそんなことは、私はなにひとつ知らなかった、というよりも意識になかった。

 映画『フクちゃんの潜水艦』の主題歌を歌っていたのは俳優の古川ロッパであり「船底いっぱい荷を積んで……」と歌うその歌詞を、ずっと後に鎌倉の横山家に出入りするようになったときに、横山夫人がよく歌ってくださったものである。横山隆一氏が再婚したこの夫人は、この映画の主題を完全に記憶しており、私がおぼろげに、断片的にしか覚えていない『フクちゃんの潜水艦』のイメージを鮮明にしてくださるのだった。

 『フクちゃんの潜水艦』は国策映画にはちがいないが、日本の潜水艦が魚雷を打ちこむ敵の軍艦の姿がアメリカのフランクリン・ローズヴェルト大統領の顔になっている――などということは、後になって思いあたったことで、幼児の私にはなにもわからなかった。

 「あの映画を子どものころに見て、潜水艦のなかでの食事の場面が楽しくて、海軍に行ったらあんな食事ができるんだ――と、ぼくの兄は海軍に志願したんですよ」
と私に語ったのは、後に親しくなったマンガ家の一峰大二氏である。




〔 追記 〕
第1回の連載に登場した<額留め>について、正しくは<額座布団>というのだと、松本真人さんからご指摘がありました。感謝します。今後も、私の記述のなかの誤りや不正確な点、思いちがいなど、みなさんからお教えいただけると助かります。




*来週の掲載はお休みです。第5回は6/7(金)更新予定です。