2013年6月14日

第6回 晴れた日に空中戦を見る

 幼児たちの遊びを仕切っていたお姉さん株の女の子(といっても、もちろん子どもなのだが、私にはずいぶん年上に見えた)が、私の腕に細い竹の棒かなにかを押しつけて、「痛いといったらアメリカ人よ」と言ったのは、日米戦争の末期だった。

 日本はアメリカに敗け、追いつめられていたからこそ、逆にアメリカ人なんか弱い、日本精神こそが最後には必ず勝利すると、おとなたちは思いたがっていて、そうした風潮は、子どもの遊びにも及んでいたことになろう。

 食べものも不足していた。母は、家の庭にサツマイモを育てていて、それを掘って、ふかして食べるのは、むしろごちそうだった。〈乾燥タマゴ〉というものを、売りに来た人もいる。キャラメルの箱よりちょっと大きな箱に、黄色の小さなかたまりが詰めてあった。それがどの程度、ほんとうにタマゴから作られたものなのか、いま思うと怪しい気もするが、母がそれをひと箱買ったことは記憶している。

 空襲があるので、庭に防空壕(シェルター)を作る家も増えていた。母も、家の庭に防空壕を作らせた。そういう仕事は、春さんという出入りの大工というか庭師の人に頼んでいた。春さんの作ってくれた防空壕は、土を掘り返した長方形の穴の壁を、竹でおおって崩れないようにしたもので、それは当時の標準の防空壕だったのではないか。木板で土の壁をおおうより、竹のほうが強度があるのだった。

 そこに母と私と弟の家族3人のほか、女と子どもだけの家を心配してか、母の未婚の弟(つまり、私の叔父さん)も私たちの家に泊まりこんでいることが多く、彼もいっしょに防空壕にはいることもあった。

 その頃になると、女中のアキヤは実家に帰されていたのではないか。アキヤといっしょに防空壕にはいった記憶はない。

 空襲があるときは、ラジオで敵機の編隊がどの方面から接近しつつあるかを知らせる放送があるのだが、そうした予告はだいたい遅すぎるのだった。

 ともかく空襲警報のサイレンがひびいてくると、私たちは家からとびだして防空壕にはいる。もちろん灯火管制が敷かれていて、夜は電球をすべて消し、必要ならわずかにローソクを小さく灯していた。そして、いつ警報のサイレンが鳴っても庭に出られるように、寝間着などはつけずに、すぐ外に出られる服装をしていた。

 防空壕のなかに身を寄せあうようにして、息をひそめるようにじっとしている。その上には、木の板にわらを敷いて土を少しのせたようなおおいを乗せ、外からは庭の一部のように見せるようになっている。

 そして空襲解除のサイレンが鳴ると、おおいをあけて外に出る。

 防空壕から出て、夜の庭に立って空を見ていると、さまざまな音がひびいてくる。日本軍の高射砲が、アメリカのB29爆撃機を地上から砲撃している音が、近く、また遠くからきこえてくる。あるとき、なにか小さな金属の破片が、回転しながら私たちの頭上を、かなり低くいくつも飛んできて、驚いたことがある。なにか忍者が使う十字手裏剣のような、ひらたい歯車のようなものだった印象がある。

 「高射砲を射つときのなにかの部品だ」というようなことを、叔父さんはわけ知り顔に言っていたが、ほんとうかどうかわからない。ともかくアメリカ軍のものではないだろう。その物体が、庭にいた私たちの誰にも当たらないではるか頭上を飛びすぎていったのは幸いだった。

 そうした体験は、恐ろしい思い出のはずなのだが、ともかく無我夢中だったので、怖いという実感は、あまりなかった。ほんとうの怖さをまだ知らない年齢だったのだろう。

 昼間、外に出ていて、晴れた青空に空中戦を見ることもあった。あきらかに日本の戦闘機が、アメリカの戦闘機と戦っているのが見えるのである。それはグラマン戦闘機だったのだろうか。アメリカの飛行機が墜落するときもないわけではなく、戦闘機の機銃の発射とともに小さなけむりが見え、ほとんど音もなく落ちていく飛行機を私は見ていたことがある。

 1945年の春で、すでに東京の空は戦場になっていた。母の弟はふたりいて、私の家に来ていっしょに防空壕にはいったりしたのは、下のほうの弟だった。上のほうの弟は、これもあとで知ったのだが、中島飛行機に務めていた技師で、零式戦闘機の部品を作る仕事にかかわっていたとのことである。

 「あのころ、私も空中戦を見たことがあるよ」

 と、ずっと後に私がおとなになってから、戦時中の空中戦を見たはなしをすると、上の叔父さんも、自分の思い出を話してくれたことがある。

 「そのときは、東京駅のホームで、なかなか来ない電車を待っていたんだけど、空を見ていると空中戦があった。アメリカの戦闘機がやられて、煙をはいて落ちていくと、ホームにいた人たちが拍手していたよ」

 戦時中の東京の空は、工場なども稼動していなかったから、きれいに澄んだ青空だった日も多く、遠くの空中戦は、まるで夢のなかの出来事のように見えるのだった。





*第7回は6/21(金)更新予定です。