2013年6月21日

第7回 B-29爆撃機の墜落


 私は、B29爆撃機が墜落するのを見たことがある。

 1945年にはいると、日本軍は占領していた南方の島々を失っていた。サイパン島もそのひとつだが、アメリカ軍はサイパンの飛行場をすばやく整備、そこからB29爆撃機の編隊が日本に向かうようになる。サイパン島を発ったB29は、日本に近づくと富士山を目標に、そこから進路を東にとり、東京に飛ぶのだった。

 B29は、プロペラを4つつけた大型の爆撃機で、超空の要塞(Superfortress)と呼ばれていた。それ以前にアメリカ空軍が使っていたB19は、空の要塞と呼ばれていたのだが、それを改良した世界最大の爆撃機だった。それを阻止する日本の迎撃機も工夫されていたようだが、巨大な爆撃機は、そんなものは歯牙にもかけないように、ゆうゆうと編隊を組んで東京上空に現われるのだった。

 ある夜、私たちが防空壕から出て夜の庭にいると、なにか巨大な銀色に輝くものが、こちらにむかって空から迫ってくるではないか。

 あまりに大きなそれは、まるで空全体をおおってしまうように見えるほどで、ゆらゆらと揺れるように、いや、映画のスローモーションのように、低空を近づいてくるのだった。そのとき、空気を裂く大きな音がしたのかどうか、はっきりしない。音響はあったはずだが、音よりもその物体の大きさに圧倒されていた。煙も吐いて高度を失いつつあったのだろうが、翼が(月の光を浴びてか)銀色に輝いている。

 それがぐいぐい近づいてくる。私の家に、いや、私自身に向かって落ちてくるような気がした。ぶつかるのでは、と息をのんでいたとき、それは私たちの頭上を越えていった。方向としては、渋谷のほうから近づいてきたそれは、私たちをとびこえ、かなり近くに落下したはずである。

 自分にぶつからなくてよかったと、私は思ったものだ。そんなに巨大な飛行体を近くで見たことなどなかった私は、距離の感覚がつかめなかったのだろう。

 どこか近くに落下したのなら、耳をつんざく爆発音と衝撃があったのにちがいないが、それは覚えていない。ともかく翌日になって、B29が落ちたと思われる方向に、まわりの人びとといっしょに歩いて行った。

 私の家は、現在の環状七号線から150メートルくらいひっこんだ住宅地にあったが、行って見ると、現場は環状七号線の道路を越えて、風呂屋があるあたりだったようだ。まわりはすっかり破壊されていた。それはかなり広範囲にわたっていたが、B29爆撃機の機体がどうなっていたかは、これも覚えていない。当然、搭乗のアメリカ兵たちは死んでいただろう。

 そんなふうに、巨大なB29爆撃機も、日本軍の夜間戦闘機に撃たれて墜落することもあったのである。総数として、何機くらいが撃ち落されたかは知らないけれども……。

 この事件が新聞記事になったかどうかは知らない。いや、新聞はちゃんと発行されていたのだろうか。私にとっては大きな出来事だが、B29の墜落くらいでは、2ページしかない1枚だけの当時の新聞では、記事にもならなかったのかもしれない。

 幼児のころの新聞の記憶としては、母が字を教えてくれた思い出と結びついているだけである。私が最初に覚えたのは〈の〉というひらがなだった。これはわかりやすかった。それで新聞を目にすると、私は〈の〉の字を見つけては、そのたびに母に知らせたものだ。「ほら、これが〈の〉の字だね」

 そう言うと「この子は字を覚えだしたわ」と、母が嬉しそうな顔をしてくれたのを思い出す。そのほか、幼児向きの絵本かなにかを与えられて見ていたはずなのだが、それについては覚えていない。


 B29爆撃機が墜落した事件の記憶がよみがえったのは、戦後になってから、手塚治虫の描きおろしマンガ単行本『地底国の怪人』(1948)を手にしたときである。

手塚治虫『地底国の怪人』(講談社)

 大阪の不二書房から刊行されたこの長編マンガは、まず、飛行機の墜落場面から始まる。2ページ見開きで、巨大な旅客機が、煙を吐いて落下していく画面に、私は息をのんだ。

 その旅客機は、画面の左から右に向かってゆっくりと、ゆうゆうと落ちていくような印象があった。なぜかというと、その画面に音響を示すことばは、まったく無かったからだと思う。ふつうのマンガなら、こうした場面には〈グオー〉といった音響を書き加えるだろう。無音なのがかえって効果的で、いかにも巨大なものがスローモーションで空を落ちていくような迫力があった。

 それはまさに、私が夜空を墜落していくB29爆撃機を見たときのイメージに重なっていたのである。大音響があったはずなのに、私はそれを意識していなかった……。まるで、夢のなかでふしぎな体験をしているような気分……それが、手塚治虫のこのマンガの冒頭に、正確に描かれているように感じたのだった。




 『地底国の怪人』のその次のページでは、墜落した旅客機の爆発シーンが描かれる。ふつうなら〈ドカーン〉とでもいう音響を書きこみそうなものだが、手塚はここでも、なにも音はつけ加えていない。それでももちろん、私たち子どもの読者は、その1ページを占める絵に、大音響を感じとっていたにちがいない。

 手塚治虫は、この本の前に、先輩マンガ家の酒井七馬と組んで生みだされた『新宝島』(1947)によって、後にマンガ家となる藤子不二雄(藤本弘と安孫子素雄のふたり)や石ノ森章太郎、そして私たち少年読者のこころをすでにとらえていたが、『新宝島』の後に刊行された『地底国の怪人』こそ、後に手塚治虫がしばしば語っているように、真に手塚らしさを示したマンガ作品であった。

 音響効果を示す文字(オノマトペ)をあえて用いないというのも、子ども向けのマンガとしては画期的なことであり、そのことにまず私は気がついたのだが、そのほかさまざまな面で、『地底国の怪人』は、第二次世界大戦後の新しい日本の(というよりも、世界の)物語マンガの新機軸を示していたと、私は信じている。

 だが、それは後のはなしであり、私はまだ空襲下の東京にいたのだった。



*第8回は6/28(金)更新予定です。