2013年9月13日

第18回  68年後の私の小学校

 8月25日の日曜、この日は空は曇り空で、異様に暑い今年の夏でも、ややしのぎやすい。かつての疎開さきの家のあった場所を訪ねるなら今日だと思い、朝9時すぎに家を出る。

 空中写真や埼玉県さいたま市西区大字指扇周辺の地図で見て照合し、おおよその場所の見当をつけていた。東京と埼玉県を結びつける埼京線の西大宮駅で降りる。このJRの路線は、もともとは川越線と呼ばれていたので、現在の地図にもそう記されていることが、道をきこうと駅員に話しかけたとき、彼が渡してくれたA4サイズの地図のコピーを見てわかった。もっとも、この西大宮駅も私が疎開していた頃にはなかったはずだ。

 「ああ、指扇小学校は近いですよ」駅員は地図の場所を示した。「西大宮駅の北側に出て、ほぼ線路沿いに西へ(大宮寄りに)戻ると、(途中ごちゃごちゃするが)少し広い道に出るので、それを北に歩くと右に小学校がある……」

 その通りだった。5分も歩くと木のしげみの上に、小学校とおぼしき建物がつき出て見える。少し広い道に出て北へ歩くと、道路の東側、やや高くなった場所に、さいたま市指扇小学校の正門があり、日曜日なので門は閉められている。もちろんコンクリートの教室や、体育館らしき建物があり、左に行くと小学校の北門がある。

 小学校といま来た少し広い道のあいだには、いろいろな建物ができている。むかしは、学校のまわりはすべて田圃(たんぼ)だった。ほんの少し高い学校の門からは、畑や田圃がひろびろと見え、道は舗装されていない、ただの土の道で、さまざまな草が生えていた。

 当時の小学校の建物は木造で、正門の柱には「指扇国民学校」と木の看板に墨で記されていたことを覚えている。それはほどなく「指扇小学校」と変わるのだが…。

 風景は変わったが、位置関係は同じである。私は学校の写真を門の外から撮り、もとの道に戻り、さらに北へ歩きつづける。この道を、私は毎日通っていた時期があるのだ。道はすぐ、国道16号線、高架になっている西大宮バイパスの下をくぐる。どんどん歩いていくと、道の西側には、ずっと後に出来た指扇北小学校という分校があることがわかる。なおも20分ほど歩いていくと、高木というバス停近くの交差点に出た。



 大宮駅から平方(ひらかた)行きのバスは、このあたりに停まる。その通りを横切り、さらにちょっと北へ行くと、収穫期をむかえる稲が青あおと広がり、黄色い稲穂が垂れている。そこから細い道が北に続き、その正面に見えているなにもないような場所が、私がかつて住んでいたことのある石川の本家のあった場所のようだ。

 その右隣に石垣があり、古い長屋門と思われる家の入口がある。いまもあると石川栄子さんからおききした石川の分家に違いない。すでに実っている水のなくなったたんぼのあいだに、分家への道がはっきり伸びている。

 私は稲のあいだを歩く。表札を見て、さいたま市西区中釘と確認し、ここが分家の門だとわかる。いかにも古く厚い木の門に、黒い鉄の締め具がついている。門は開けてあり、そのあいだに車がとめてある。私は門の写真を撮り、なかにはいった。門の右側は道具置場のようで、左側もそんな感じだが、もとは人が住める部屋があったのだろう。まさに長屋門なのだ。正面に家の玄関がある。

 私が少しうろうろしていると、玄関があいて女の人が出てこられた。私はあいさつをして、石川の栄子さんからそちらのことはうかがっています…と、いろいろ説明する。彼女が分家9代目の当主・石川幸利氏夫人の勝代さんだとわかった。「いま主人は寄合いに出ておりまして」と言いながら、玄関のあがりがまちにすわるようにとうながされる。

 話しているうちに、家系図があると持ってこられる。巻物となっている家系図が2巻ある。玄関からなかの部屋に写真などが飾られているのが見える。私が興味を示すと、部屋に案内してくださった。このあたりの大きな空中写真があり、石川栄子さん宅で見た写真が、ここではさらにはっきりしている。

 郷土史の研究をしている人たちがいて、写真を撮りに来られる人も少なくないとのこと。石川家の分家はいくつもあり、このあたりには長屋門がいくつか残っていると知る。「おとなりの本家は、なにも残っていません。私がここへ嫁いできたとき、すでになかったですね。でも、本家のお墓はあります。ご案内しましょう」

 ちょっと雨が降ってきた。私は持参の傘をデイバッグから出す。途中、本家のあった場所に近寄る。空中写真で白っぽい空白のように見えたのは無理もない。そこはテニスコートになっており、左側に「西大宮テニスコート」と記した小屋のようなものがある。コートのむこう側は駐車場だ。そのさきは、かつては深いやぶ(林)になっていたのが、いくつも家が建っている。

 バス通りのほうに歩いていくと東側に錠のかかった門がある。そのとびらを開くと、それが石川本家の墓地なのだった。

 墓石が数十も並んで、キリストの石像もある。中央のひとつにマリア像が。クリスチャンとなった石川きよさんの墓のようだ。さらにこの墓地に隣接して、石川の分家の墓地があった。




*第19回は9/20(金)更新予定です。 


■講演情報■

漫画はどのようにして生まれたか 西洋と日本

[日時]2013年9月20日(金)~10月18日(金) ※毎週金曜 19:00~20:30
[場所]明治大学 中野キャンパス交流ギャラリー
講師:宮本大人、佐々木果、小野耕世
※全5回講座/定員50名/受講料8,000円

↓全5回連続講座の1回に小野耕世さんが登壇されます。

「アメリカ初期新聞漫画の世界」 講師:小野耕世

[日時]10月4日(金) 19:00~20:30
[場所]明治大学 中野キャンパス交流ギャラリー


●東京女子大学比較文化研究所主催公開講演会
『海外マンガの中の日本女性 「ヨーコ・ツノ」の場合』

[日時]2013年10月28日(月) 10:55~12:25 ※開場10:40
[場所]東京女子大学 24301教室
※申込不要/無料/定員150名