2014年4月4日

第45回 マンガのキャラクターが乗り移る

「小野くんのくだらないマンガ」

 それが、なぞなぞの答えだった。

 前回に記したように、私は小学三年で、成城学園初等科に途中入学した。そこで、私の内部にそれまでくすぶっていたものが、いっきに解放された感がある。

 マンガの本を持ってきても先生に少しも叱られることのないこの小学校で、私はそれまで以上にのびのびとマンガを読むようになったし、自分でマンガを描くようになった。

 クラスの新聞に、四コママンガの他、体育の時間に走り幅跳びをしているクラスメートの姿を描いたりした。

 そのとき、跳んでいる男の子の両足が、まっすぐそろっていなくて、片足がひざからちょっと曲がっているように描いた。変化をつけてみたのである。

 絵のうまい生徒は私だけではない。私が見て、うまいなと思う女生徒がいた。彼女は、両足をそろえて跳んでいる男の子の絵を描いた。

 クラスで、ちょっとした論争が起きた。「小野くんの絵は、両足がそろっていない」という生徒がいた。いろいろ意見が出たあと、担任の馬場正男先生は「そんなにきちんと足はそろえにくいだろうから、片足がちょっと曲がっているのが自然なのじゃないかな」と言われた。

 それで私の絵のほうが良い――ということになったのだが、やがて私は「走り幅跳びでは、両足をそろえて跳ぶのが本当で、正しい」ということを知り、恥ずかしく思ったことを覚えている。

 馬場先生は国語(文学)の先生で、スポーツには詳しくない。それで両足をそろえて跳ばないほうが自然だと思われたのだろう。いまでもそうなのだが、基本的にはスポーツが苦手な虚弱児童だった私は、両足がそろっていないほうがおもしろいような気がして、そう描いてしまったのだった。

 そうした恥ずかしい思いは小学生時代だけでも数えきれないほどあるが、そのすべてを覚えてはいない。

 ただ私がマンガを描くことはクラスでおもしろがられていて、例えば遠足に行くと、そのときの様子をあとでマンガに描いたりした。それをクラスの仲間が教室の壁に貼ってくれたことは、何回もある。

 遠足といっても、遠い場所へ行くのではない。例えば、成城学園駅から小田急線に乗って、少し先の柿生(かきお)という駅で降り、あたりを歩いてくるだけのことだ。

 その頃の小田急沿線は、たんぼや畑ばかりで、いま柿生の駅を電車で通ると、すっかりきれいに都会化されていて、むかしここに遠足に行ったなど想像も出来ないほどだ。

 クラスの仲間たちが集まっているマンガもよく描いた。へたくその絵だから、似顔絵というほど生徒たちの顔は似ていない。

 成城学園らしいのは、私のクラスのひとりに、ドイツ人とのハーフの女の子がいたことだ。両親のどちらか(たぶん母親)が日本人だったと思うが、長身で亜麻色の髪が目だち、顔の彫りが深く、目が大きかった。

 浅井那知子さんというその同級生は、自分の主張がはっきりしていて、いっしょにいて楽しかった。クラスの人たちの集合マンガを描くとき、私は彼女だけ、仲間たちの集まっているはるか上空を飛行機に乗って飛んでいる姿に描いた。そして、飛行機の窓から顔を出している彼女に「わたしドイツに行くのよ」という吹きだしをつけた。

 まあ、そん落書きのようなマンガを鉛筆で描いていたのである。だからクラスのひとりが、なぞなぞを出して、それはなにかを当てさせる遊びをしたとき、なんだろうと思って聞いていたら、最後にその答えが「小野くんのくだらないマンガ」というものだったことがあった。

 それを聞いて、まわりの生徒たちは笑ったが、私が恥ずかしかったのはもちろんである。そして、その通りだと思った。

 ただ、下手くそでもなんでも、マンガを描いていると気持ちが楽になるのである。

 まだテレビのない時代だから、子どもたちの話題は新聞の連載マンガやマンガ単行本、そしてラジオで聞く落語や漫才などだった。もちろん長谷川町子のマンガ『サザエさん』は人気があり、最初の単行本――といっても横長の絵本のような体裁のうすい大型の本だったが、それはまだ下北沢の家で間借り生活をしていた頃、父が最初に買ってきたのを読み、夢中になった。

 この最初の『サザエさん』の本は、判型が書店に並べにくく、まったく売れなくて返本の山だったことは、長谷川町子自身が語ったり書いたりしているので、いまでは良く知られている事実なのだが、父はその最初の『サザエさん』の本に、早くも注目していたことになる。

 また、横山隆一の『フクちゃん』というマンガも、クラスで人気があった。フクちゃんは、なにかを指さすとき、だれもがするように右手のひとさし指をのばして向けるのだが、そのとき親指も立てるのが特徴だった。それで私が、そうとは意識しないで、思わず親指を立てて指さすと「あっ、フクちゃんの指だ!」と、すぐ仲間に言われた。

 つまり、指でピストルを撃つときと同じしぐさなのだが、そうしたマンガのなかのキャラクターの動作が、私の日常の動きに乗り移っていたのである。






*第46回は4/11(金)更新予定です。