2014年4月18日

第47回 手塚治虫の時代が始まる

 成城学園の小学生だった頃、本が好きな私が夢中になって読んでおり、全作品を読んでいた作者がふたりいた。

 ひとりはマンガ家の手塚治虫であり、もうひとりが子ども向けの科学小説(まだSFということばはなかった)の作家・海野十三だった。

 その前に、マンガ家では横井福次郎がいたが、彼はあまりに早く、36歳で結核により急逝してしまう。日本の敗戦直後、再刊された講談社の月刊誌『少年クラブ』に、横井福次郎は100年後の2047年の地球を舞台にした冒険科学漫画物語『ふしぎな国のプッチャー』を連載していた。

 このなかに、十万馬力のロボット・ペリーが登場するが、このペリーが後の手塚治虫による十万馬力のロボット・鉄腕アトムを誕生させる原点であることは、小学生の読者であった私には、すぐにわかった。

 横井福次郎の急死により、『ふしぎの国のプッチャー』の地底国編は中断されてしまう。それは友人のマンガ家・小川哲男が引き継いだが、人気は持続せずに終わってしまった。横井の『プッチャー』は、地底国に潜入したプッチャー少年の場面で終わっていた。彼は透明マントをかぶっていたので姿は見えないはずだったが、それが火で燃えてしまい、プッチャーの姿が銃をかまえた地底人の前にさらされてしまうのである…。

 「ああ、プッチャーはどうなるのだろう、と僕はとほうにくれてしまった」

 と後に私に語ったのは、私と同じくプッチャーのファンだったイラストレーターの和田誠氏である。

 「小川哲男がその続きを描いたけど、とたんにおもしろくなくなってしまった。横井福次郎の絵には独特の雰囲気とふくらみがあって、上品で絵を見ているだけで気持ちが良かった。他のマンガ家の絵には、あの豊かなふくらみがなかった。横井福次郎だけが描けた豊かさだったんだよ」

 私もまったく同感である。

 この『ふしぎな国のプッチャー』の強い影響のもと、手塚治虫が未来の地球の物語を後に『おもしろブック』に連載したのが『旋風Z』である。透明マントのかわりに、透明な布地を身につけると姿が見えなくなるカメレオン・ガーゼを手塚治虫は考案して描いている。

 講談社の関連会社である光文社が、『少年クラブ』に対抗する『少年』という月刊誌を創刊。これには江戸川乱歩による戦後最初の少年探偵シリーズである『青銅の魔人』が山川惣治のさし絵とともに連載され、やはり私を夢中にさせた。同じように『青銅の魔人』に魅せられたひとりに、画家の横尾忠則氏がいる。「私の原点は、『青銅の魔人』と山川惣治の絵物語『少年王者』ですよ」と、横尾氏は後に私に語っている。

 この新雑誌『少年』に、横井福次郎の新連載があったことを知っている人は少ないのではないか。

 その『パチンコ島の冒険』という横井の長編マンガ物語は、その第一回が載っただけで、作者は亡くなってしまった。詳しくは覚えていないのだが、主人公の青年が海に出て、ある島にたどり着く。船が遭難したのだったかもしれない。主人公は、島を仕切っている海賊のような男に会う。ふたりの会話があり、海賊のような男の正体はなにか――と問うところで、連載第一回は終わってしまう。

 私は、そのふたりのやりとりを読みながら、この海賊のもとの職業は、きっと新聞記者にちがいない――と思った。

 その確信は、いまでも変わっていない。それで間違いないと私は思っているが、作者が亡くなり、海賊男の秘密は、ついに不明のままだ……。

 そして、日本における本当の意味での本格的なSFマンガの先駆者である横井福次郎の急逝とともに、手塚治虫の時代が来るのである。

 まだ20歳そこそこの手塚治虫のマンガの画力は、横井福次郎には及ばなかったのは当然だが(横井の絵は、海外マンガの影響を強く受けたものであることを私は感じとっているが、ここでは触れない)、横井作品にはない魅力が、手塚にはあった。

 横井福次郎は、すでに名を成したおとなのマンガ家として、おとな向きの優れた恋愛マンガを描いていた。なまいきにも小学生の私は、例えば横井の『エミコの時計は何故進む』といった、男女の機微を描いた優れたマンガにも、強く惹きつけられていた。

 手塚治虫には、この種のおとなの味わいを持つ作品は無理だったが、彼の子ども向けのマンガのなかには、女性に対する青年らしい気持ちが反映されていて、それが小学生の私にとって、他の児童マンガにはない手塚治虫だけの持つ〈香り〉となっていた。

 とりわけ手塚の『月世界紳士』(手塚治虫漫画全集に収められている改訂版ではなく、1949年刊行の最初の描きおろし単行本)に登場するサヨコという月世界人の女性には、惹きつけられた。

 『月世界紳士』の最初の単行本の表紙の夜空の青むらさき色の色彩は、別の単行本『魔法屋敷』の表紙の青むらさき色に通じるのだが、なんとセクシーな色彩だろうと、小学生の私は、その色彩の妖しい魅力に、うっとりとして見ていて飽きなかった。





*第48回は4/25(金)更新予定です。