2014年6月20日

第55回 最初の衝撃

 「最初の衝撃」ということばを最初に用いて知られている作家(もしくは批評家・哲学者)は、エドマンド・ウィルスンだったかしら?

 いま正確には思い出せないのが恥ずかしい。たぶんまちがっているだろうけれど調べている余裕がない。

 ともかく、前回で触れた『コミックス・ジャーナル』というアメリカのコミック研究誌が、「最初の衝撃」ということばをテーマに、描きおろしの短編マンガを著名な世界のマンガ家たちに依頼したことがある。

 そのとき、このことばの由来についての説明をした文章がついていたが、それをいま私は探しだせない。

 依頼に応じて作品を描いたマンガ家たちのなかには、いまは南フランスに住むアンダーグラウンド・コミックスの先駆者であるロバート・クラムもいたし、私が翻訳した『パレスチナ』というルポルタージュ・コミックスの作者であるジョー・サッコもいる。

 そして日本からは、いま小学館の月刊誌『IKKI』に『火事場のバカIQ』を連載している榎本俊二さんなどがおいでだった。

 「最初の衝撃」を、どうとらえるかはそれぞれのマンガ家の自由で、例えばジョー・サッコは、ナポレオンの行軍のとき、川の激流を馬で渡って無駄死にさせられた兵隊のエピソードを描いていた。

 そのときわかったのは、世界的なマンガ家のロバート・クラムだろうが新人だろうが、原稿料は一ページ百ドルということだった(私は作家に連絡・仲介しただけなので、掲載誌をもらっただけ)。なるほど、それは公平だが、こうした試みは『コミックス・ジャーナル』が紙媒体として元気だったときの話で、いまはネット・マガジンになってしまっている。



 それはそれとして、私にとっての「最初の衝撃」は、小学4年生のときに起きた。

 理科の時間でも、山田先生は「生物」などを受けもっておられた。カロリーとか栄養などについての説明が、教科書に載っている。

 あるとき山田先生は、食べものの栄養について調べて、それを一種のかんたんなレポートにして提出しなさい――と言われた。いろいろなことは教科書に載っているから、それからなにかまとめてもいいし、ほかになにか調べた結果を書いてもいい……。

 そんな課題(というほどたいしたものではないが)が出された。

 いろいろ調べて文章や表にして、ともかくなにか仕上げる生徒たちのなかで、私はかんたんな手法をとった。

 ニンジンやキャベツなどの野菜を、それが含むビタミンの種類に区分けして、それぞれの野菜を色エンピツで描いた。

 もともと教科書に出ている図表がもとになっているから、自分で特に調べた結果ではないのだけれど、カラーで野菜を描いたところが他の生徒とちがっていた。

 「あ、絵がうまいな」と仲間にほめられて、私は内心、得意になった。そして自分のレポートを手にした生徒たちは、先生のまえにならんで、ひとりひとり先生に講評してもらう。

 私の番が来た。

 山田先生は、私の用紙をとりあげると、じっと見た。そして、なにも言わない。「ううむ、ううむ」とうなっている。

 なにも言われないので、おかしいなと思った私は、無邪気に「どうでしょうか」と、よせばいいのに、きいてしまった。

 先生は、私の顔を見なかった。

 先生はちょっと横を向き、ごく低く、つぶやくように言われた。「最低」

 その瞬間、私はすべてをさとった。

 私はすぐ、その場を離れた。なんと自分は馬鹿なのだろう。教科書にあるように野菜を分類して、カラーで描いたことに、なんの意味もない――その当然のことをさとって、私は冷や水をあびせられたような気分になった。顔は蒼白になっていただろう。先生の言われたことの正しさに打ちのめされてしまった。

 「どうだ、先生にほめられたろう」という仲間に、私はあいまいに答えるしかなかった。まわりの生徒たちには、先生のひとことは聞こえなかったのだろう。



 このときのことは、いまでもありありと覚えていて、決して忘れたことはない。なにか自分が思いあがりそうになったとき、この先生のことばのおかげで、私はわれに返ってきた。最低。そのとおりなのだ。ただ、そう言われたとたんに、われに返ることができただけ、幸いだったと思う。

 これが私にとっての、いわば「最初の衝撃」であった。これに類した体験が、ほかにまったくなかったわけではないが、いまここに書くことはできない。

 それにしても、小学4年の生徒に「最低」ということが出来たこの理科の先生を、立派な人だったと後になってつくづく思うようになった。子どもの書いたものだからと、「きれいな絵だね」などと余計なことを言わずに、ただひとこと「最低」とつぶやいたのである。

 『宇宙戦争』を、あたかも講談でも語るように、子どもの気持ちをつかんで話してくれた先生は、教え子に本気で対していたことが、後になって良くわかってくるのだった。

 小学校では、もうひとり理科の先生がいた。

 生物や栄養学ではなく、物理のような科学を担当される女の先生である。

 SFに目ざめ、天文学などに興味を持っていた私は、このタチバナ先生の授業も好きだった。この先生が、あるときロケットの原理について説明されたことがある。

 「ロケットは、噴射で空気をけっとばして飛ぶのです」

 「あ、まちがいだ」とすぐ私は思った。それが正しければ、ロケットは真空では飛べないことになる。ロケットは、むしろ、その噴射によってロケット自体をける反動(反作用)で飛ぶのである。

 『動く実験室』や『科学グラフ』など、子ども向けの科学雑誌を愛読していた私には、ロケットの原理など、とっくに知っていた。もちろん「先生、ちがいます」などとは言わず、私は黙って授業を楽しんでいた。





*第56回は6/27(金)更新予定です。