2014年10月3日

第69話 演劇の舞台に立つ

 私が野球が苦手であることは、何度も書いたが、もうひとつ苦痛なものがあった。音楽、つまり歌をうたうことだ。

 小学校の音楽の時間が、嫌でたまらない。みんなで一緒に歌をうたうときは、なんとかごまかせるが、ひとりで歌うのは耐えられない。女の先生がピアノを弾いて、ひとりずつ順番に歌わせることがある。歌というよりも「ド・レ・ミー・ドー」と音程を発声させるのだが、私は声がうわずってしまう。人前でなにか話したり歌ったりは、恥ずかしくてからだがこわばる。ひとりで歌わされると声が不自然になり、「キーを高くしましょうか」と、先生がピアノを私の声に合わせてくれるのだが、それでも引きつったような声になり、仲間に笑われてしまう。笑われるのも当然だと思うのだが、どうにもならない。

 それに関連して、演劇があった。

 学園祭などの折に、初等科も演劇に参加する。小学四年のとき、馬場先生はクラスの全員を男女別に背の高い順に並ばせた。そして私を演劇のチームに選んでしまったのである。他のクラスから選ばれた生徒たちといっしょに、馬場先生とは別の演劇の先生の指導のもと、学校劇の練習をすることになった。正規の授業を外されて別の場所に集められ、台本を渡された。

 それは『四辻のピッポ』という学校劇の台本で、内容など忘れてしまったが、数年前、『世界少年少女文学全集』(東京創元社刊)の一冊に「世界学校劇集」という巻を古書店で見つけて買ったら「四辻のピッポ」も含まれていたから、かつては有名な子ども向きの演劇だったのだろう。

 私は練習のとき蝶ネクタイを付けられてしまった。あるときその服装のまま、正規のクラスに遅れて行くと「芝居に出るからって浮かれているんじゃない」と、馬場先生に怒られてしまった。浮かれるどころか、恥ずかしいのにしぶしぶ劇の練習をさせられ、それでもクラスにかけつけたのに、ひどい先生だなと思ったが、なにも言わなかった。先生が私を選んだくせに……。

 とにかくそれで役を演じ終えたのだから、うまくいったのだろう。そのあと、学園祭の芝居というと、私が呼ばれるようになった。

 印象に残っているのは『舞台裏』という劇で、これは馬場先生など成城学園小学校の先生方が脚本を書いた芝居だった。

 困ったのは、今度も主役で、そのなかで歌をうたう場面があることである。木の上に登って「村の鎮守の神さまの今日は嬉しいお祭り日。ドンドンヒャララ、ドンヒャララ……」と歌う村の少年の役だ。練習のときは、まあまあだったが、成城学園正門から入ってすぐにある母の館という大きなホールの建物で行われる本番では、心配したとおり歌うときに声がひどくうわずってしまい、生きた心地がしなかった。

 私の二歳下の弟も成城学園初等科に入学していたが、弟の同級生が作文に書いたこの芝居の感想のなかに、こうあった――「小野くんのお兄さんは、芝居はものすごくうまかったが、歌はものすごく下手だった」

 それ以後、私はかなり長いあいだ、弟にこの芝居のことでからかわれることになる。小学六年のとき、もうひとつの劇に出たが、私の相手役は同級生の美少女(というか可愛い女子)で、彼女はおとなになって演劇の道に進み、『EMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ』(だったと思う)という前衛映画にも出演するようになる……などと思い出すのだが、人前に出るのがなによりも苦手の私が、小学校でいくつもの舞台に出ていたとは、自分でも不思議な気がする。




小学校でさらに困ったのは、学級委員に選ばれてしまうことだった。当時は委員長が男子で副委員長が女子(その逆があってもいいのに)なので、いつも委員長になってしまう。投票だからどうにもならないのだが、嫌でたまらない。私はリーダータイプの正反対だというのに……。

 あるとき、クラスの男の子たちが(女子もそうだったかもしれない)「美術の藤原先生の教え方が気にいらない」と言いだした。絵が好きだった私は、特にその先生に反感はなかったが、皆が騒ぎだす。「きみ、学級委員なんだから、先生にクラスを代表して意見を言ってくれよ」

 先生の教え方のどこがおかしいのか、もう覚えていない。美術の時間に「好きなものを描いていい」と言われ、私が大好きだった当時人気の絵物語の作者・小松崎茂を真似て、ロケットが空を飛んでいる絵を描いたら「ううん、こういう絵はねえ……」と顔をしかめられたけれど、別に先生が嫌いではない。

 でも学級委員という立場上、私が先生に話しに行くほかない。副委員長の女子ほか計三人で職員室に行き「先生の教え方が…」と切り出すと、藤原先生はびっくりした。

 それはそうだろう。「きみがそんな考えをもっているとは思わなかったよ」と、先生は私の顔をまじまじと見て言われた。私はクラスを代表しただけで、私自身の気持ちは違っていたのだが、先生は私の考えだと思い込まれたようだった。しかし私は自分の立場を説明することはしなかった。

 この抗議のあとで、先生の教え方が変わったかどうか覚えていない。ということは、特に抗議するようなことではなかったような気がする。たぶん先生は「時代が変わった」と思われたのではないか。私は自分の複雑な気持ちは、だれにも言わなかった。



*第70回は10/10(金)更新予定です。


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