2014年10月10日

第70話 天守閣のような旅館

 もっと早く書いておくべきだったかもしれないが、成城学園小学校には成績表がなかった。だれも自分の学校での成績など知らずに六年間を過ごすのである。

 だがもちろん、だれがどのくらい「勉強ができる」のかは、自然にわかってくるものだ。私はとにかく本を読むのが好きで、だから文章を書くのが好きだった。国語の教科書の章ごとに、学習者の子どもたちへの問題などが出ている。それに私は、さっさと答えを書いて先生に渡した。その教科書の課題を終えてしまうと、先生は次の学期の教科書にとりかからせてくれた。

 夏休みの宿題というものはあったけれど、私は最初の三日間ほどで終えてしまい、あとは好きな本を読んでいた。よく夏休みの宿題が終わらないという人の話を聞くと、不思議な気がした。自然観察ではカイコを押入れで飼った。家の近くに桑の木があり、毎日桑の葉をとってきてカイコに与える。カイコが桑の葉を食べる音がほんとうに聞こえるのだから、その食欲はすごい。〈蚕食〉ということばの意味を実感した。また、カイコを手のひらに乗せると、その冷たい感触が気持ちよかった。

 小学校のとき夢中になった本は、エーリヒ・ケストナーの作品のほかに、新潮社の日本少国民文庫で出ていた吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』、『シートンの動物記』、ジュール・ヴェルヌの『海底二万哩』、そのほか馬場先生がクラスで読み聞かせしてくれた竹山道雄『ビルマの竪琴』と、藤原てい『流れる星は生きている』が忘れ難い。



 そして小学六年のとき、岩波少年文庫が創刊された。最初の1冊はロバート・ルイス・スティーヴンスンの『宝島』で、ケストナーの『ふたりのロッテ』も出て、私はこの文庫を夢中になって読んだものだ。

 しかし、子ども時代に最も熱中したのは、やはり手塚治虫のマンガだった。いまでもこの頃の手塚マンガをくり返して読んで飽きることはない。私が、ケストナーの『飛ぶ教室』の主人公マルティン・ターラーにたとえたT君もそうだった。彼は後に医者になってアメリカで学位をとった。何年か前の小学校の同窓会で久々に会った彼と「あの頃、ぼくらは手塚治虫からあらゆることを学んだなあ」と話したものだ。私たちにとって手塚マンガは、子どもの読者をちょっと背伸びさせてくれる知的な楽しみであり、学校の教科書以上の教科書でもあった。



 小学校の同級生に黒川という男がいる。彼は俳優の黒川弥太郎の息子だ――と言っても、この俳優を知る者も、いまでは少ないだろう。私が実際に黒川の父親の映画を見たのは、ずっとあとのことだった。大映で渡辺邦男が監督した映画『忠臣蔵』(1958)で演じた大目付の役が忘れ難い。彼は長谷川一夫が演じる大石内蔵助ら四十七士が、討ち入りのあと泉岳寺に向かうのを馬上でむかえるのである。彼は『命を賭ける男』(1958)という時代劇でも長谷川一夫と共演している。また、東映に移ってからの内田吐夢監督の映画『宮本武蔵 般若坂の決斗』(1962)でも見事な好演ぶりだった。目にちからがあり、時代劇にぴったりの役者だった。「黒川弥太郎は『鞍馬天狗 鞍馬の火祭』にも嵐寛寿郎の天狗と対決する剣鬼・櫻町胤保(さくらまちたねやす)を演じてすごかったし、後の第二東映の映画では清水の次郎長を演じて良かったよ」と、私に語ったのは映画好きのマンガ家・バロン吉元である。

 黒川の成城の家に遊びに行ったこともあるが、父親の新しい美人の奥さんが、子どもの私たちに気を遣ってくださったのを覚えている。黒川も目のぱっちりとした美少年だったが、後に僧侶になり、さらにアイスホッケーの試合の審判をするようになったと、頭をそった彼に同窓会で聞いて驚いたものだ。



 成城学園小学校六年のとき、卒業旅行があった。伊豆の長岡への一泊旅行で、そのとき泊まったのが大和(やまと)館という旅館だった。手塚マンガや海野十三の本をすべて持っている金持ちの同級生Yの父親が経営する大きな旅館で、広大な庭と空にそびえるような別館があった。その別館の贅をこらした石づくりの階段を、友だちと一緒に下から登ってみたが、いつまでたってもてっぺんに着かない。いったい何階(いや何十階?)建てなのかわからないほどで、疲れきってしまったものだ。

 伊豆・長岡では江川太郎左衛門の生家を見学し、大黒柱というものを初めて見た。ほんとうに太い一本の木が屋敷の中心に高く伸び、家全体を支えているのである。それから太郎左衛門が造った反射炉を見た。黒船に対抗するための大砲の砲弾を作った炉だ。



 この旅行に私は二冊の読み物を持っていった。一冊は中央公論社版の『決定版 鞍馬天狗 第12巻 角兵衛獅子』 、もう一冊は旺文社から出た世界名作絵物語シリーズ(つまり、アメリカの教育的コミックブック)の『白鯨』である。いまでも私にとって、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』というと、このコミックスの印象が強く、メルヴィルは私の最も好きなアメリカの作家となっていく。メルヴィルの短編『書記バートルビー』は、H・G・ウェルズの『塀にある扉』と共に、世界名作短編小説のベスト5に入る傑作だと私は信じている。

 そして、『角兵衛獅子』があまりにおもしろかったので、これ以後、私は大佛次郎による『鞍馬天狗』シリーズは、すべて読むようになる。手塚マンガと同様、いまでも折にふれて読み返している。

 Yの父親はその後経営に失敗したようで、大和館はもはや存在しない。あの天守閣のようにどこまでも上に伸びていた大和館別館を登っていったことを、まるで夢のように感じる。あんな広大なパノラマのような旅館を、その後見たことがない。友人のYももはや故人である。



 また、小学六年のとき、私はメガネをかけた。教室の最前列にすわっても、黒板のチョークの文字が、はっきり見えなくなってしまったのである。父が、彼の知っている銀座のメガネ店に連れて行ってくれて、メガネを作った。視力は両眼とも0.2だった。原因が本の読みすぎであることは明白だった。いまではメガネをかけている幼児も見かけるが、当時クラスでメガネをかけたのは私ひとりだったから、とても恥ずかしかった。「小野がメガネをかけてきた」と作文に書いたのが、私と対決(というほどでもないが)したことのあるKだったのを思いだす。


 成城学園小学校の卒業のとき、生徒全員が三省堂のコンサイス英和辞典を受けとった。もちろん生徒の父兄がその費用を出していたのだろうが、これが私が初めて手にした英和辞典で、その後大学生になり、社会人になってからも役に立っていた。この辞書で引いたことばには赤エンピツで印を付けていったが、最後には印のないページがなくなるまで、私は愛用したのである。



*第71回は10/17(金)更新予定です。


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