2014年10月24日

第72話 最初のゴジラ映画

 「あっ」

 サッカーのゲームではよくあることだが、私は足を奪われて倒れてしまい、右手をグラウンドに突いてしまった。激痛が走った。

 それでも立ちあがってゲームを続け、少し痛いけどすぐ直ると思って家に帰った。ところがそれから二か月近く経っても、痛みがとれない。右手の調子がおかしい。

 母も心配して、渋谷にある接骨院(いわゆる骨つぎ)に連れていかれた。その医院の先生は、じっと私の右手を見て、台の上に乗せた。そして、私の手をさすりながら、一瞬、手刀で私の腕を打った。

 目まいがして、吐き気がした。このとき先生は、私の右手の骨を折ったのだ。いや、サッカーのゲームで手を突いたとき、私は右手首の骨を折ってしまったのだが、そうとは思わず放っておいたので、折れた骨が間違った位置で、またくっつき始めていたのである。

 それを見てとった〈骨つぎ〉の先生は、手刀で私の腕の骨を折り直し、正しい位置に付くようにしたのだ。右腕に薬を塗られ副木をあてられ、首から包帯で吊られた姿で学校に行くと、級友たちは驚いた。

 私は恥ずかしくてならなかった。柔道かなにかの練習で投げられて骨折したのならともかく、サッカーで骨折なんて、どこかみっともないではないか。なぜ骨折したのか、人に説明するのが私は嫌だったが、しかたがない。

 それから二か月くらい、私は渋谷の接骨院に通うことになった。その先生は年配の人だったが、もともと柔道をやっていた人なので、話もおもしろくて私はとても好きになったものだ。

 これが中学二年のときのことだった。サッカーで私が倒れたときは、たいしたことはないと判断していた体育の先生は、責任を感じたようで、しきりにすまながって、その学期の私の体育の成績を5にしてくれたのには笑うほかなかった。

 ともかく右手が使えないので、エンピツなどがうまく握れず、学校でノートをとるのに苦労した。それで社会科の先生なども、少し私に同情したふしもあるが、やがて骨もちゃんとくっついた。私のサッカー好きは変わらなかったから、またサッカーを続けたが、あんな怪我をするなんて、私の手の突き方の下手なことが口惜しまれ、恥ずかしかった。

 でも相変わらず基本的にはスポーツはダメで、野球は嫌いだった。しかし、そんな私の引っ込み思案な性格を見抜いていた担任の(モールス信号の)英語の先生は、あるときクラス対抗の野球の試合のとき「小野、おまえ監督やれ」と命じた。

 私もびっくりしたが、クラスの仲間たちはもっと驚いたろう。でも、やるほかない。といっても級友たちは私のことは良く知っているので、形だけ私を立てて、勝手にゲームを進めていった。それでかまわない。試合は初めこちらのチームが勝っていて、勝利を9分9厘手中にしたと思ったとき、こちらのピッチャーが乱れて、結局19対4の大敗を喫した。思いあがったり油断をしてはいけないと思い知らされた。私は飾りだけの監督だったけれど、無視されながらも仲良くゲームをしてくれたクラスメートたちに感謝していた。



 私の本好きは、さらに進んでいた。

 成城学園前駅の北口には吉田書店が、南口には成城堂書店というふたつの本屋があり、学校の帰りには毎日のように寄って立ち読みをした。

 サンデー毎日という週刊誌には、大佛次郎による新しい『鞍馬天狗』の物語『青面夜叉』が連載中で、毎号それを読み、毎日新聞社から単行本になると必ず買った。吉川英治の『新書太閤記』全11巻も、毎日50ページずつ立ち読みして、読了した。

 また、1954年11月、やはり私が中学三年のときに東宝映画『ゴジラ』が公開された。この最初のゴジラ映画は、今年のアメリカの新作『GODZILLA ゴジラ』の公開に先立って東宝により再公開されたが、いま見直してもすばらしい作品である。

 一方、アメリカの新しい『GODZILLA ゴジラ』はどうだったか。

 かなり話題になった映画だが、私はあまり感心しなかった。なにを言いたいのか良くわからない映画である。まず、ゴジラの登場がとても遅い。渡辺謙が演じる日本の科学者の役割もはっきりしない。彼はほとんどなにもしていない。映画のなかを(アメリカ側に尊敬されながらも)、ただうろうろしているだけのようにしか見えない。彼がアメリカ軍の司令官に、核兵器を使わないでくれと頼んでも、相手にされない。司令官は、使おうとする新しい核兵器にくらべれば「1950年代のビキニで実験された水爆などファイアクラッカーみたいなものだ」と言う。

 そうだとすれば途方もない兵器で、映画の最後で爆発したのなら、ゴジラが戦っていたアメリカの沿岸部に、なんの影響もなかったとは考えられない。しかし映画では、核爆発はアメリカ人の若い兵士の目から、幻の閃光のように描かれているだけだ。それに、この映画では日本はアメリカの占領下にあるような印象を受ける…。

 1954年に最初の『ゴジラ』が公開されたとき、私は中学のクラスの新聞に、ゴジラが日本の国会議事堂を襲おうとして、やめて逃げるというマンガを描いた。当時の国会で議員たちの争いがあって、ゴジラは議員たちの暴力に恐れをなして退散するという(中学生らしい)くだらないマンガだった……。





*来週はお休みです。第73回は11/7(金)更新予定です。


■イベント情報■ 

藤原カムイ×小野耕世「ウィンザー・マッケイ没後80年
時代を超えて新しい『リトル・ニモ』の魅力を語る」 
『リトル・ニモ 1905-1914』(小学館集英社プロダクション)刊行記念

小野耕世氏が翻訳を手がけた『リトル・ニモ1905-1914』の刊行を記念して
下北沢の書店B&Bにてトークイベントを行います!
『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』(スクウェア・エニックス)、
『アンラッキーヤングメン』(角川書店) などの作品で知られ、
屈指のニモファンでもある漫画家の藤原カムイ氏とともに、
小野耕世氏が、ニモの魅力を語りつくします。


【日時】
10月25日(土)15:00~17:00 (14:30開場)

【出演】

藤原カムイ(漫画家)、小野耕世(翻訳家)

【場所】

本屋B&B
世田谷区北沢2-12-4 第2マツヤビル2F

【入場料】

1500yen + 1 drink order


チケットの詳細・ご予約は コチラ から