2014年10月17日

第71話 サッカーに夢中になる

 小学校を卒業すると、そのまま成城学園中学校に進んだ。

 中学校の校舎は成城学園の正門に近かったから、最寄駅は小田急線の成城学園前である。クラスには小学校の同級生もいたし、新しい生徒もいた。小学校と違って、今度は普通の学校と同じく、学期ごとに成績がつく。

 それはいいのだが、困ったことに、またしても私はクラス委員に選ばれてしまうのだった。副委員長はしっかりした女子。だから、わかっているある先生は「きみは、女性のクラス委員がいるから大丈夫なんだね」と私に言ったものだ。そのとおりなのだった。

 中学校にはおもしろい先生がいた。まだ戦地から復員(帰国)したばかりの先生もいて、日本史の先生は軍隊から支給されたブーツ(軍靴)を履いて毎日出勤していた。ほかに靴を持っていないようだった。

 また、社会科の向井先生は、授業のなかで中国での戦争体験をいつも話し、生徒たちは夢中になって聞いたものだ。彼は成城学園前駅から学校までのあいだの家に下宿していたので、私たちは駅を出て学校に歩いていく途中、先生の住む家の前で「向井くん、遊びましょ」と、声をかけるのだった。それを、先生が反応するまで続けるのである。

 すると向井先生は、二階の窓を開け、コーヒーカップを手に顔を出し「きみたちねえ、朝から先生を呼ぶのはやめてくれないかね」などと言うのだが、私たちはほとんど毎朝、この行事をくり返すのだった。

 また、美術の先生は美しい日本画を描かれる人だったが、私の絵をよく見てくださった。そして、新東宝が『戦艦大和』という映画を公開すると、興奮して大和について私たちに熱っぽく語るのだった。

 英語の先生は、私のクラスの最初の担任だったが、海軍にいたので江田島の海軍兵学校の思い出をいろいろ話されたし、どういうルートでか、旧海軍から払いさげられた小型の無線発信器を生徒全員に一個ずつ十円で買わせ、モールス信号の練習をさせたのである。

 その先生の時間に、私たちはみな机の上にその発信器を置き、指でト・ツー・ト・ツーとモールス信号を打つ練習をした。そのベークライト製の器具は、とっくに失くしてしまったが、最後にはバネがさびて利かなくなっていた。英語の先生は、海軍仕込みのモールス信号を、生徒たちに学ばせるのに情熱を持っていたのである。

 また、体育の先生のひとりは、広大な成城学園の敷地の一画にある馬場の小屋に住んでいた。つまり、馬に乗る人であった。「アメリカは、ジャズを日本に入れ、日本人を堕落させようとしている」などという話を、この先生は時にしていた。

 そして体育の時間は、私にとって相変わらず苦手だったのに加えて、中学生になってから年に一回、体力テストというものが加わったのである。それには、ボール投げの距離を測るテストがあった。

 普通の中学生は、まあ30メートルとかそれ以上、野球のボールを投げることができる。しかし私は、せいぜい19メートルほどしか投げられない。投球の腕の振り方をちゃんと学んでいないので、いわゆる〈女投げ〉になってしまう。いや、女子でも私より遠くへ投げられる中学生もいたのではないか。

 このボール投げテストのたびに、係員の先生や、私のことをよく知らないほかの生徒たちが首をかしげるのが、私には屈辱的だった。私のような男子生徒がいるなんて信じられないにちがいない……。



 ただ、中学に入ってから好きになった体育の時間の競技があった。サッカーである。

 いまでこそサッカーは日本で非常にポピュラーだが、当時はそうではなかった。サッカーは団体競技だが、野球のように個人がバッターボックスに立ったりしない。私はサイドバックのポジションが好きになった。相手からのボールを、うしろから間隔をぬって走り、奪うことが私にはできた。それも個人技としては目立たないのがいい。

 スポーツが苦手な私も、サッカーのサイドバックでは、うまく動けた。クラス対抗の試合でも、私はすばやく出ていって、ボールを止めたり奪ったりした。「すごい。来るボールをみな、きみが取ってるじゃないか」と、私に言うクラスメートもいた。

 「きみは〈寄り〉がいいな」と、中学のサッカー部に入っている同級生が言った。ボールに向かっていくタイミング、寄り方がいいという意味だ。私は彼に、サッカー部の部員募集のポスターを描いてくれと頼まれて描いたこともある。

 サッカーは、キックオフの時間には、たとえ雨だろうとどうだろうと、定時に両チームが整列しゲームを始めなくてはならないということも、体育の先生が教えてくれて、それも私は気にいった。雨のなかをサッカーで走りまわり、泥んこになって教室に戻ったこともある。サッカーに関する限り、私は体育の時間が好きになった。ボールの来る方向に合わせて、自分のからだを動かすという知的な興奮を私は味わうことになった。オフサイドなど、サッカーのルールや用語は、すぐに覚えた。

 だが、調子に乗っているとろくなことはない。私はサッカーで怪我をしてしまうのだった。





*第72回は10/24(金)更新予定です。


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