2014年11月28日

第76回 火星の地主になる

 私が映画というものを、映画館ではなく試写会で初めて見たのは、新宿高校時代だった。

 それは『禁断の惑星』(1956)というアメリカのSF映画で、なぜ高校生の私に試写状が来たのかというと、私はすでに日本宇宙旅行協会の会員になっていたからだ。

 原田三夫という科学啓蒙家は、『子供の天文学』という本でよく知られており、小学生時代に私はその本はもちろん、野尻抱影による『月の世界』『星の世界』(これには小松崎茂がカラーの口絵を描いていた)なども読んでいた。

 それで原田三夫氏が日本宇宙旅行協会という団体を作ったとき、私は会員になった。『宇宙旅行』という機関誌が送られてくるようになる。SF映画『禁断の惑星』を配給するMGM日本支社は、この協会の会員を招待する試写会を催したのだった。

 会場は銀座のヤマハホールで、私は夕方に学生服姿で出かけた。成城学園では紺の背広が制服だったが、都立高校に入学してからは黒い詰襟の学生服に、白線が二本入った新宿高校の制帽をかぶって通学するようになっていた。

 ヤマハホールに入るのも初めてなので緊張した。後に自分が映画評論家になり、日常的にこのホールに出入りするようになるとは、その頃はもちろん想像していないし、学生服姿の者はほかに見当たらないような気がして、恥ずかしかった。

 上映前に話術の名人として知られる徳川夢声が舞台に立ち、「私もこの映画を見るのにわくわくしています。徳川惑星ですな」と話をして笑わせた。空が緑色の惑星に、ロビイという名のロボットが登場するこの映画はすばらしく、いまでも私がこれまでに見たSF映画のベスト5に入る。惑星の住人が滅びたあとに、彼らの残留思念が残っていて、地球からの探検隊を襲う――という知的な着想がすばらしく、これを超える本格的なSF映画は『2001年宇宙の旅』(1968)まで待たなくてはならなかった。

 新宿高校のクラスでも、私がこの種の映画や本が好きなことは自然に知られていた。銭田(ぜにた)という同級生はサッカー部に入っており、私がサッカー好きなのを知って親しくなった。

 今では珍しくないが、なにしろ彼は自分でサッカー・ボールを持っているのである。「サッカー・ボールを貸そうか」と、夏休み前に彼は私に言った。私の家の近くに妹が通っていた公立の代田小学校があり、広い校庭があって、休みのときは誰でも入れそうなので、私は夏休みにそこでサッカー・ボールを蹴って、ドリブルの練習ができるのではと思ったことを、彼に話したからだった。

 私は、彼からボールを借りた。

 しかし、いろいろな事情から、結局私は小学校でサッカーの練習をする機会が無いままに、夏が終わってしまった。せっかくボールを借りたのに、と申し訳なかった私は、ボールにちょっとだけ庭の泥を付け、「役に立ったよ。ありがとう」と、秋の新学期にボールを返した。

 その銭田が、ある日、映画『禁断の惑星』の日本公開時のポスターを持ってきて、私にくれたので、びっくりした。

 「家の近くの映画館でこの映画を公開していたから、頼んでポスターを貰ってきたのさ」と、彼はニコニコして言う。

 嬉しかった。ブロンド髪の美女(アン・フランシスが演じた)を抱き上げて、惑星アルティア4に立っているロボットをデザインしたこのポスターを、私は今でも持っている。

 銭田君の親切がきっかけで、ポスターの魅力に目覚めた私は、例えば小田急線の世田谷代田駅に貼ってあったジェームズ・ディーン主演の映画『ジャイアンツ』のポスターをこっそりはがして持ち帰り、しわになっていたのでアイロンをかけて伸ばすようなこともあった。



 私の高校時代に、渋谷駅の東急ビルの屋上に、五島プラネタリウムが完成した。ドイツのカール・ツァイス社製の投影機は、それ自体がどこかロボット恐竜のように見え、私はその「星の会」の会員になった。

 月会費150円で、毎月特別の上映会があった。その会では、野尻抱影先生が着流し姿で登場し、投影機を自由自在にぐるぐる動かし、キリスト誕生時の星空や、通常の投影では見せない太古の星空を再現されたこともある。あこがれの野尻先生の姿を目にしたのは、このときだけだ。

 その野尻先生が、原田三夫氏の日本宇宙旅行協会が火星の土地を売り出したときに「不真面目だ」と反対されたとあとで知った。原田氏としては一種の冗談のつもりだったようで、もちろん私も火星の土地を購入した。

 すると火星の地主である証明書が送られてきた。火星を大きくカラーで描いた絵が印刷してあり、私の名前と火星の土地の所有区画名が書き込んであった。

 そして火星の地主たちが、望遠鏡で火星を眺め、自分の所有地を覗こうという会が、日本宇宙旅行協会で主催された。会場はヤマハホールの屋上である。

 またしても私は出かけた。設置された望遠鏡の前に会員たちは行列し、順番に覗いた。ぼんやりなにかが見えたが、火星だかなんだか私にはわからなかった。配られた殻付きのピーナッツ(落花生=火星)を私も食べたが、ほんとうに学生服姿の高校生は私ひとりで恥ずかしかった。

 大事にしまっておいたはずの火星の土地の権利書を、いつのまにか無くしてしまったのが、今でも残念でならない。





*第77回は12/5(金)更新予定です。