2014年12月12日

第78回 バットマンを描いて国際基督教大学に入る

 新宿高校3年の社会科の時間に、なにか調査をしてレポート発表をするという課題があった。ひとりではなく、誰かと組んでテーマを決めて取材するのである。

 どうして彼女と組むことになったのかよく覚えていないのだが、私は吉永玲子さんという同級生と一緒に、女性問題について発表することになり、彼女と話し合った。そして、ふたりで労働省だったか、婦人少年局へ出向き、そこの女性の責任者にお会いし、いろいろお話をうかがった。私たちがあまりに熱心だったので「なにか論文でも書かれるのですか」と、その女性の局長に言われたほどである。私たちは、ごくまじめな高校生なのだった。

 クラスの前で発表をしたとき、例によって私は早口で、長く喋りすぎて汗をかき、恥ずかしくてたまらなかった。吉永さんのほうがずっと落ち着いていた。彼女とは高校卒業以来、会ったことはない。

 ずっと後の1970年代のことだが、報知新聞社が報知映画賞を設けたとき、映画評論家でもあった私は審査員のひとりとなった。そして、ある年の報知映画賞の主演女優賞に、吉永小百合さんが選ばれた。授賞式の日、小百合さんにお会いした。「私は都立新宿高校で、あなたのお姉さまと一緒で、社会科のレポートをふたりで作ったことがあります」と私が話しかけると、「姉はいま、東京都の仕事で高い評価を得ているんです」と誇らしそうに彼女は言った。つまり玲子さんは、私と一緒にレポートを作ったときの方向に、その後進まれたことになる。



 都立新宿高校は卒業したが、東京大学文科の入試に失敗した私は1年浪人し、四ツ谷の予備校に通った。あまり楽しい1年ではなかったが、四ツ谷の古本屋をよくのぞき、新宿の安い映画館によく通った。

 また東大を受けるのか――と迷っていたとき、「大学の四年間全体が東大の教養学部みたいな大学があるよ」と教えてくれたのは、新宿高校の友達である牧師の息子だった。

 興味をそそられた私は、入学試験の書類を貰いに三鷹からバスに乗って、友人がすすめる国際基督教大学(ICU)に出かけた。まず、武蔵野の自然のなかにあるキャンパスの広大さに驚いた。図書館の建物も立派だ。なによりもD館と呼ばれる学生会館のトイレが広くてきれいなことに感心。すばらしい、私はこの大学にぜひ入ろうと思った。



 私が応募した人文科学科の入学試験では、文章と質問が印刷された問題用紙と答案用紙とが配られた。自然科学の論文や英語のエッセイなどもあった。難しくはなかった。答案用紙に答えを書くと時間が余った私は、問題用紙の余白に、私はエンピツでスーパーマンやバットマンの姿を描いた。特にバットマンをいろいろと……。

 筆記試験に通り、面接のときはアメリカ人らしい先生たちが並び、いろいろ質問された。「私は児童文学に興味があり、ロバート・マイクル・バランタインの『さんご島』(The Coral Island)などが好きです」といった話を英語でした。

 バランタインはスコットランドの作家で、少年向きの『毛皮集めの少年たち』(The Young Fur Traders)というカナダの開拓時代を描いた作品が有名。講談社の世界名作全集には、当時『さんご島』の抄訳が『さんご島の三少年』のタイトルではいっていた。そうした本を、私は小学生時代に夢中で読んでいたものだ。



 無事に入学し、新入生たちへのオリエンテーションの場が設けられた。なにしろ新1年生は130人、全学生合わせて600人足らずの大学だから、初めから家族的な雰囲気がある。上級生の案内で新入生がいくつかのグループに分かれ、自己紹介をし合う。小さなキャンディやチョコレートなどが皿に盛られてテーブルに置いてある。チョコレート好きの私が、ついチョコレートの包みばかり取ると、隣の女の子が私の手を押さえてたしなめた。

 「入学試験のとき、時間が余ったので、問題用紙にバットマンなどマンガを描いてました」と話すと、「あら、あなただったのね」と言ったのは、新入生の世話をしていた四年生の女性である。彼女は試験場のアルバイトをしていて、問題用紙を回収する役目をしていたのだった。「よく覚えているわ」と、彼女は笑った。

 こうした雰囲気のなかで、私の大学生活は始まったのである。



 普通、大学には中学や高校のようなクラス分けはない。だが、全体が教養学部である国際基督教大学では、当時1年生の全員にフレッシュマン・イングリッシュ(Freshman English)という必須科目があり、発音・作文・会話などの英語の授業を受けなくてはならなかった。

 それがクラスAからHまで8クラスあり、ひとクラスが18人程度。その構成は1年間変わらないから、英語の基礎クラスでは、まるで中学や高校のように、同じクラスの者がすぐに仲良く打ち解けてしまうのである。

 18人が、細長い教室に横一列に並んで座り、発音その他を教える先生がひとり、みなの前で黒板を使って話をする。

 「みなさん、来週から鏡を持ってきてください」と発音の先生(日本人)が言う。小間物屋で売っている小さな手鏡が必要だという。女性がバッグに入れているようなその鏡は、当時30円で売っていた。それを持って発音のクラスに出る。自分の口の動きを自分の目で見るためだ。

 まるで幼稚園じゃないか――と私は思った。





*第79回は12/19(金)更新予定です。