2014年12月19日

第79回 美術部で先生のスカートを描く

 中年の(日本人の)女性の先生が教える発音の授業は、基礎英語の授業のなかで、いちばん厳しかった。テキストはジョージ・オーウェルの『動物農場』で、ペンギン文庫版を買うのだが、私は高校時代に古本屋で50円で買ったアメリカのペーパーバック版を持っていたので、それを持っていった。

 小説の第一章から、何行かずつ順番で読んでいき、厳しく発音をチェックされる。そのとき手鏡で自分の口を見て、舌の動きなどを確認するのである。横一列に並んだ生徒たちが、次々と鏡を見ながら英文を読んでいく――子どもの歌にあるスズメの学校みたいだ。ひな鳥たちが、口を開けてピーチク鳴いているみたい……。

 私はこの授業が苦手で、いまだに英語の発音はうまくない。でも、別の若い先生が教える会話のクラスは楽しかった。大学の非常勤講師であるその日本人女性は、まだ20代の前半だったろう。愛らしい丸顔のこの先生が私はすっかり好きになってしまった。



 大学にはいくつかのクラブがあるが、私はごく自然に美術部に入った。美術部はD館(学生会館)3階の見晴らしのいい角の部屋で、そこから、吉祥寺や三鷹からこの大学の入口まで走っているバスの停留所が見える。大きなガラス張りの部室の外にイスを持ち出し、バス停のあるロータリーをスケッチするのは気持ちが良かった。

 基礎英語のクラスでも一緒で、美術部でも一緒の新入生に、小山修三という男がいた。彼は香川県観音寺市の酒屋の息子で、私のように自宅から通うのではなく、大学の近くの下宿から、主にサンダル履きで通っていた。「革靴を履くと、足が痛くてな」と言う彼に、子どもの頃から靴を履いている私は、びっくりしてしまった。

 これは一種のカルチャー・ショックである。だが、何事にも物怖じせずに、自由に喋る彼のアートに対する考えやふるまいに、私はすぐ魅せられてしまった。

 大学卒業後はカリフォルニア大学バークリー校に留学、考古学を学び帰国すると、国立民族学博物館に勤務すると縄文時代についての権威となり、梅棹忠夫館長の片腕、さらには吹田市立博物館の館長となった小山は、私の大学時代の一番の親友といっていい。

 私たちが入学したとき、大学の美術部は停滞気味だったが、入学後最初の展覧会のため、私はSFマンガのような絵を描いた――地球からの宇宙船が異星に到着すると、そこでは異星人がロックンロールを踊っているという絵である。小山は私より絵(とりわけ人物画)がうまく、英語の発音もずっと良かった。



 さて、若い女性の英語の先生の話だが、ある日私は、先生がはいていたスカートの柄がとてもきれいだったので、ノートにスケッチした。そして、次の美術部の作品展示のとき、「ミス・カネマツの素敵なスカート」(先生の名は兼松弘子だった)という題の絵を出した。描いているうちに先生のスカートの柄は、私の空想と共に、より華麗に自由にひろがっていく……。

 「小野さん、見たわよ!」と先生は、私を見ると、けらけら笑いながら言った。

 またあるとき、授業の途中で先生が突然笑い出してしまったことがある。私は一列に並んだ生徒のなかで、窓際の一番端に座っていた。冬の寒い日で、窓ガラスが蒸気で曇っている。私がそのガラスに、指でマンガを描いていることに気がついたのである……。



 大学の本館2階中央にホールがあった。私はその壁面を使って、思い切って絵の個展をしたことがある。英語の時間に、学生たちが隣の女性にラブレターをこっそり渡したり、紙ヒコーキを飛ばしたり……などの学園風景をたくさん描き、美術部の部室にあった額に入れて並べたのだった。

 「ほんとに小野さんが描いてるとおりね」と、兼松先生は、また笑った(私が卒業するとき、そうした絵はすべて兼松先生に差し上げた。先生からはすてきなスケッチブックをいただいたことを覚えている)。

 美術部の部室に、私と小山はウィスキーなどを持ち込んで、こっそり飲んだりした。酒が好きというよりも、大学生らしい無邪気な反抗心があったからで、大人の真似をしてみたにすぎない。だが、ウィスキーの空き瓶が見つかって、ある日、部室に行くと「キャンパス内ではアルコール厳禁」という意味の英語の貼り紙がされていたこともある。D館の責任者である先生が怒ったのだった。

 ところで、この美術部の二年先輩の女性は、『マッカーサーの二千日』などの著書で知られる袖井林二郎先生の奥さまの孝子さんである。昨年だったか、袖井先生の出版記念会に顔を出したら、「小野さん、あなた美術部の部室に、アメリカの雑誌『PLAYBOY』のヌードのピンナップ写真を貼っていたでしょ。D館の管理の先生が、かんかんになって怒って、大変だったんだから」と私に言われた。

 そんなことをしたのだろうか? よく覚えていない。しかし私が英語版の『PLAYBOY』をよく買っていたのは確かだし、映画『OK牧場の決斗』(私は「ICUの決斗」という絵を描いて展示したこともある)や『荒野の七人』のポスターなどを映画館や映画会社の宣伝部などから手に入れて、部室にやたらに貼っていた私だから、女性のヌード・ピンナップを貼っていたとしても不思議はないなと思った。





*第80回は12/26(金)更新予定です。