2013年5月3日

第1回 踊る赤い人形

 赤い人が踊っている。

 それが、いま思い出せるかぎりの、最初の記憶のようだ。夜、ふとんにくるまれて寝ている。うす暗い寝室のなかで、それでもまだ見えているものがあった。部屋の上のほうに、額がかかっている。横に長い額だ。その額の下側、右と左のはしに、なにか赤いものが見える。ふたつの赤い三角の形。小さな赤い人形のようなものか。じっと見ていると、それが踊りだしてくるように思えてくる。

 その頃、どこの日本家屋にも、そうした額はあって、それは〈額留め〉とでもいう(いまでも正しい名称を私は知らない)小さな三角形のものでとめてあった。まだ4歳にならない男の子の目には、それはなにか、赤いこびとのようなもので、うすい闇のなかで、ゆらゆら動いているように見えるのだった。額には、なにか絵か文字が筆で描かれていたはずだが、それはまったく覚えていない――というよりも、関心がなかった。



 暗がりのなかに、ほかに色彩は感じられなくて、三角形の赤色だけが、いきいきとして見えた。
 ふしぎな体験であることはまちがいなくて、私は毎晩のように、その赤い額留めが踊りだし、壁のうえから寝ている私のそばまで、ひらひら舞ってくるありさまを想像していた。

 1944年ごろではないかと思われるその視覚体験を、ずっと後になっても忘れないでいるのは、そのイメージは、マンガ家・手塚治虫が、大阪で描きおろし、出版されていた単行本、例えば『火星博士』(1947)、『大空魔王』(1948)などに登場する覆面の怪人たちの姿に通じることに気がついたからだ。

手塚治虫漫画全集『火星博士』(講談社)

手塚治虫『大空魔王』
(手塚治虫漫画全集『火星博士』に同時収録)

 1940年代末から50年代初めにかけての日本の子どもマンガのなかには、しばしば覆面の怪人たちが登場する。私が興味をそそられるのは、とりわけ全身を白い服ですっぽりとつつんだ怪人たちだった。その全体は、三角形に近い。その白いコスチュームから両手と両足が出ていて、目が見える。実際には白い服の目の部分に穴があけてあり、そこから目がふたつのぞいているはずなのだが、なんだか白い三角のからだに目がついている――といったデザインが、いかにもマンガらしいばかばかしさで楽しいのである。しかも、口もついていて、怪人がしゃべると口のなかが見えてしまう。

 作者は、怪人どもをうじゃうじゃと登場させて、遊んでいるようだった。怒った目や泣いているような目、時にはいかにも眠そうな目などをした白三角の無邪気な悪人たち。彼らは悪いボスの無能な子分どもなのだ。彼らがマンガのページをかけめぐる姿を、私がどんなに楽しんだことか。

 それは日本だけの現象ではない。例えば、ベルギーのマンガ家エルジュ(1907-1983)の「タンタンの冒険旅行」シリーズのなかの初期作品『ファラオの葉巻』(1934)のなかには、なぞの秘密結社が登場するが、そのメンバーが全身をすっぽり包むコスチュームの覆面の怪人たちで、だからやはり、ややたて長の三角形の姿で集まって秘密会議をひらいたりしている。


『ファラオの葉巻』(福音館書店)

 「タンタン」は、最初は白黒の新聞連載マンガなので、単行本になっても秘密結社のメンバーは白いコスチューム姿だったが、後に単行本がカラー化されると『ファラオの葉巻』の怪人たちの服もカラー化される。タンタンは、怪人のひとりを倒してそのコスチュームを着て結社のメンバーのふりをするのだが、この手法は手塚治虫の初期作品にももちろん用いられている。

 さらに言えば、ウォルト・ディズニーのミッキーマウスの短編アニメは1928年が初登場だが、1930年には早くも新聞連載のコミック・ストリップになっており、後にこのシリーズのなかに、布で全身をおおったファントム・ブロット(Phantom Blot)という怪人が出てくる。ミッキーマウスと対決するこの悪役の場合は黒いお化けなのだが、これも覆面の怪人キャラクターの系譜につながるのかもしれない。

 そして、私の個人的な記憶の原点としては、それは〈額をとめる小さな赤い人形〉のイメージなのだった。(この額留めを、正式にはなんと呼ぶのか、ごぞんじのかたはお教えください)




*第2回は5/10(金)更新予定です。