2013年5月10日

第2回 オモチャのスクリーン

 私が額どめの赤い人形たちと〈視覚のたわむれ〉にふけっていた家は、東京の世田谷区代田2丁目(現在は5丁目)にあった。それは、小田急線の世田谷中原駅(現在の世田谷代田駅)と、帝都線(現在の井の頭線)の代田二丁目駅(現在の新代田駅)のあいだにあって、さらに小田急線と井の頭線が交差する下北沢駅にも近かった(つまり、この3つの駅に歩いて行ける距離にあった)。

 ゆるい坂道の途中にあったその家の門をあけてなかにはいると玄関があり、玄関をがらがらとあける。玄関からはいらなくても、右には庭がひらけていて、下駄や靴をぬいで置く石をそなえた縁側から、ガラス戸をあけて、家のなかにはいることができる。その頃は、おとなも子どもも、主に下駄をはいていて、ときどき下駄のはな緒が切れて、母につくろってもらった。

 いや、それは、だれか近所のおじさんがつくろってくれたのか、あるいは女中(お手伝いさん)のアキヤがやってくれたのかもしれない。いま、〈女中〉ということばは死語になっているが、そのころは女中のいる家は(私の知っている範囲では)わりあいふつうだったように思う。

 いわゆるお手伝いさんの意味あいと少しちがうのは、当時の女中さんは、若い女性が住みこみで働くことだった。家庭内の仕事とか料理とか、つまりは結婚まえの女性が知っておくべきことを住みこんだ家で修行するという意味あいがあった。給料が払われるのはもちろんだが、その女性が結婚するときには、その仕度などを住みこみさきの家の主人がひきうけて、すべてをととのえて送り出す――といったことが慣例になっていたと、私は母から聞いたことがある。

 そのころ私の生まれ育った家には、母と2歳齢下の弟と、女中のアキヤと私の4人が住んでいた。記憶がはっきりしないのだが、どうやら私は近くの幼稚園に通っていたようで、その幼稚園の運動会に、母とアキヤといっしょに出かけて、お弁当をひろげてお昼を食べたことがある。

 丸顔のアキヤのことで忘れられないのは、彼女の実家に連れていってもらったことだ。女中奉公をしている彼女は、ときどき実家に帰る休みをとることができて、あるとき、私もいっしょだった。たぶん母が、アキヤの実家へのおみやげなどを用意して、アキヤに頼んだのだろう。きもの姿のアキヤに手をひかれた幼児の私は、それまで遠くまでどこかに行ったことはほとんどない。電車に乗って連れられた彼女の実家が、東京都内だったのか、それより少し郊外だったのかも覚えていない。

 ただ、彼女の実家は、なにか商売をやっていたのか、お店らしいなかに、太いパイプのようなものが走っていて、ふしぎな気持ちで見あげたものだ。何の装置だったのか、お豆腐屋でもないらしいが、おもしろいと思った。そして、たぶんひと晩、私はアキヤの実家に泊まったのではないか。ともかく、記憶にあるかぎり、私がよその家に泊まるのは初めてで、恥ずかしくてアキヤのそばにまつわりついていたにちがいない。

 帰りにアキヤは、オモチャをひとつ買ってくれた。それは紙でできた箱で、正面が横長のスクリーンのような窓になっていて、セロファンに街の風景と人びとの姿が、シルエットで描かれていた。そのセロファンは、箱の右と左のはしで軸に巻きられており、上につき出た小さなハンドルを回すと、絵が左から右に動いていく。箱のスクリーンには、たてに黒い筋(線)がならんでいて、シルエットはそこを通過するにつれてちょっと動いて見えるのだった。風景が移動していく。

 こう書けば、いまでも見かける特に珍しくもない幼児のためのオモチャだが、私はすっかりそのとりこになってしまった。このオモチャにも一般的に用いられている呼び名があるはずだが、私は知らない。このオモチャの横長の箱自体が電車(とりわけそのころどこでも見かけた路面電車)の車輌のようでもあった。乗りものは楽しい。




 これは、日本だけでなく世界じゅうにある子ども向きの単純なオモチャで、軸を巻きもどすと、人やものが逆行進しているように見えるのもおもしろく、ハンドルを巻ききると、また逆に巻いて、何度もそれをくり返した。これはアニメーションにつながるものなのかどうか、シルエットの変形(メタモルフォーゼ)を私に初めて教えてくれた視覚トリックのオモチャとして、すばらしく新鮮な体験だった。

 小さな男の子にとって、ほとんど最初の知的好奇心をそそる一種の科学的なオモチャだったのだろう。箱のスクリーンの小さなシルエットの動きから、さまざまなイメージを空想することができて、いつまでも楽しんでいられた。いまでもこのオモチャを見ると、やさしかったアキヤのことを思い出す。

 壁の上に飾ってある額の下についている小さな額どめが、実際には動いていないのに、じっと見ていると動いているように見えるのは、子どものこころで、それを生きもののように感じてしまうからだろう。動かないのに、自分のなかでアニメ化してしまうのだ。

 日本家屋の天井にある木の板のふし目などを見あげていると、それが生きて動いているような気がしてくる。それは、子どもだけでないかもしれない。服がいくつも重なって、えもんかけにかけられている。それがなにかのひょうしに動くと(外からの風などで)、服のしわの動きのぐあいで、なにかの顔のように(例えばコミック・ブック『スパイダーマン』に登場するグリーン・ゴブリンの顔などに)見えてしまうことは、私にはいまでもある。

 いま、この原稿を書いているのは、あるファミリー・レストランの2階の席なのだが、窓の外にそびえている木の新緑が美しく、その葉が、風になびいている。それを見ていてあきない。ライオネル・ファイニンガー(1871-1956)というアメリカのアーティストが、20世紀の初めに生みだした新聞日曜版のカラー連載マンガ『ウィニー・ウィンクルの世界』は、このように、風景をあたかも放心したように風景を見つめている男の子の心象を、ありのままにすくいとっているのではないか。

『The Comic Strip Art of Lyonel Feininger』




*第3回は5/17(金)更新予定です。