2013年10月4日

第21回 宮崎アニメをふり返る

 いま公開中の作品『風立ちぬ』を最後に、宮崎駿氏は長編アニメの製作から引退するという。もちろん残念だけれども、ということは、まだ短編アニメなら作るのではないか――という希望が私にはある。

 彼はこれまでにも、三鷹の森ジブリ美術館で上映する短編を、いくつか作ってきた。その全部を見てはいないが、少なくとも私は二本見ていて、その出来ばえに感心している。ひとつは「となりのトトロ」でおなじみのねこバスの話で、ねこバスたちが住む町があって、その町の景観と住民たちの様子があまりに楽しげで、いつもながら作品のなかに包みこまれてしまう。10分ほどの短編だから内容に無駄がないが、こんなにていねいに作られ、美しく笑いに満ちた短編作品は、ずいぶん費用もかかっているはずだ。ジブリ美術館の居ごこちのいい劇場で宮崎駿監督の短編アニメを見るのは、日々を生きていくうえで、最もぜいたくな時間のひとつに数えられよう。どの短編にも、アニメーションとしての楽しみのエッセンスがつまっている。

 長編作品については、彼は『風の谷のナウシカ』以来、子どもはもちろん、おとなをも巻きこんでアニメーションの楽しさを男女の別なく、全世代の人たちに知らしめてきたのだった。もちろん、ジブリ時代以前の作品もすばらしいが、劇場公開長編アニメの空間を、いっきにひろげたのは、ジブリ時代にめざましい。



 私は一度だけ、宮崎駿氏にインタビューしたことがある。台湾の映画評論家の女性から連絡があり、宮崎監督に取材したいと言ってきた、80年代から90年代にかけて、私は侯孝賢(ホウ・シャオシェン)や楊德昌(エドワード・ヤン)といった台湾の映画監督と親しくなり、台北にもよく出かけていた。当然、台北の映画評論家とも知りあっていた。

 当時は東京・吉祥寺にあったジブリのスタジオに電話して鈴木敏夫氏に話すと、宮崎氏と1時間のインタビューを承諾していただいた。通訳はこちらにもいますよ、と言ってくださったが、行きがかり上、私も通訳として同行した。その映画評論家は英語を話すのである。

 スティーヴン・スピルバーグ監督の『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』(1984)が公開された頃だった。

 「あの映画の初めのほうで、いきなり東洋人を射ち殺す場面があるでしょう? ああいうのは、ほんとうに嫌ですね」

 と宮崎氏は話しはじめた。宮崎映画でおなじみの飛行シーンのすばらしさについては、「ディズニーの長編『ピーター・パン』でピーターやウェンディたちが飛行していると、下から海賊フック船長の撃つ砲弾がとんでくるシーンはすばらしい。あの映画の飛行シーンにはとても刺激を受けましたよ」などと話をうかがった。

 このインタビューの録音テープはどこかにあるだろうが、いま内容の詳細は思い出せない。あの頃だからこそ、私でもたやすく取材が出来たので、いまではとても難しいだろう。でも、その後この台湾の映画評論家に会うたびに「あのときはありがとう」と言われる。最近では昨年3月、香港国際映画祭で彼女にばったり会い、中華そばの店で軽い食事をした。

 私はジョン・ラセターを中心とするディズニー/ピクサーの長編アニメ、例えば『トイ・ストーリー3』などをすばらしいと思うが、彼らは長編アニメを出だしとなかば、終りのクライマックスなど、初めに柱を立てて構成し、作っていく。

 だが宮崎監督は、映画の結末がわからないまま長編をスタートさせる。そのため、長編アニメという一種の<生命体>のありようが、世界の他のアニメ作家と違う呼吸を示す。つまり、製作スタジオの何百人もの人たちがかかわっているのは当然としても、なおこれは宮崎駿個人の作品だということがわかる。しかもアニメ業界の主流であるCG立体アニメではなく、基本的に二次元の作品として、独創とともにマンガ映画の伝統(セルはとっくに使われなくなったが、往年のセルアニメの感覚)が生きている。

 だから、作品によっては構成に乱れを感じることがある。例えば『崖の上のポニョ』(2008)の場合、ポニョが激しく泡だつ波の上を走るのを見ると、ああ、これこそアニメーションの本質だと嬉しくなってしまう。そうした「これがアニメーションだ」と思わず言いたくなるシーン(瞬間)が、随所にあるのだ。

 そして、なによりも『ポニョ』に描かれた母親と息子の関係は(その互いのことばづかいに象徴されているのだが)アニメに限らず、これまでの日本映画にはなかったものだと私は直感した。いかにも新しいのである。

 ポニョの自己主張する幼児というキャラクターも新鮮だ。この魚の精のような女の子のエネルギーが私を圧倒する。

 『となりのトトロ』には、姉妹が出てくる。下の女の子はまだ小さくて、駄々をこねたり泣きわめいたりする。90年代の初めにオーストラリアのシドニーで、アメリカと日本のアニメについてのシンポジウムが催され、私が日本からの発表者として招かれたことがある。そのときジブリの許可を得て『となりのトトロ』が上映された。それを見たオーストラリアの女性研究者が「あの妹のほうの女の子は、わたしの子どもの頃そのままだわ。わたしもあんな子だったのよ」

 と私に言ったことを思い出す。

 よく走りまわるあの小さな妹は、波を走るポニョにちょっと似ていなくもない。彼女が成長すると、ことによったら『風立ちぬ』の主人公で飛行機設計家の青年をいつも気づかい、「ニイニイさま」と言って、どたどたと走りこんでくる妹の姿につながるかもしれない。

 メカニズムに陶酔する男たちのあいだで(そして戦争には機械メカニズムが不可欠なのだが)医者をめざす妹が、いちばん人間らしい行動を示す。この妹の存在によって『風立ちぬ』という長編アニメはバランスをとっているのである。こうした女性の描きかたは、宮崎駿ならではのものだろう。

 フランスに第二次大戦中の戦闘機パイロットを描き続けているロマン・ユゴーというBD作家がいる。宮崎駿の『紅の豚』のコクピットなど飛行機描写は実に正確だと感服していた彼は、いま第一次大戦のパイロットたちの物語を描いているところだが、『風立ちぬ』についての意見をききたいものだ。



*第22回は10/11(金)更新予定です。 


■講演情報■

漫画はどのようにして生まれたか 西洋と日本

[日時]2013年9月20日(金)~10月18日(金) ※毎週金曜 19:00~20:30
[場所]明治大学 中野キャンパス交流ギャラリー
講師:宮本大人、佐々木果、小野耕世
※全5回講座/定員50名/受講料8,000円

↓全5回連続講座の1回に小野耕世さんが登壇されます。

「アメリカ初期新聞漫画の世界」 講師:小野耕世

[日時]10月4日(金) 19:00~20:30
[場所]明治大学 中野キャンパス交流ギャラリー


●東京女子大学比較文化研究所主催公開講演会
『海外マンガの中の日本女性 「ヨーコ・ツノ」の場合』

[日時]2013年10月28日(月) 10:55~12:25 ※開場10:40
[場所]東京女子大学 24301教室
※申込不要/無料/定員150名