2013年10月18日

第23回 これが初恋なのかしら

 「先生、小野さんがいじめるんです」

 疎開さきの小学校で、私はたしかによくいじめられていたのだが、同じクラスの女の子にそう言われてしまったことがある。

 別にその子をいじめようとしたわけではない。私にはその女の子がかわいく思えたのだ。そうした気持ちを、どう表現したらいいか子どもにはわからない。とまどってしまうのだが、彼女と親しくなりたい、さわってみたいという気持ちになったのにちがいない。

 その子に近づいて、服にさわってみたりすることが、せいいっぱいの気持ちの表しかただった。といって、「きみが好きだ」などとは、とても恥ずかしくて言えない。

 それが、なにか女の子にちょっかいを出しているようなふるまいになって、もちろんそうとは思いもしない彼女は「先生、小野さんが…」と訴えたのだった。

 先生にたしなめられたことは覚えているが、先生にしても私がその子が好きなので、いじわるめいた行動に出たとは気づかなかったろうと思う。気づかれたら恥ずかしくて逃げだしてしまったはずだ。

 これを初恋と言っていいのかどうか、よくわからない。彼女の名前も覚えていない。とにかく私の目から、かわいい子のように思えたのだ。後になって、好きな相手にいじわるをすることは子どもの世界にあるということを知って、あのときがそうだったなと思うのだが、そうした経験は、そのときだけだった。



 疎開さきでは、東京にいたときよりも季節を感じていた。トンボが飛んでいたり、青あおと成長した麦畑の麦に手を触れながら走るのは、気持ちがよかった。

 その麦や稲の茎が黒くなっているときがあって、するとその部分は病気になっているのだと教えられた。茎のその黒い部分をとると、笛になるのだということも知った。私は麦笛を吹いて道を歩いていったものだ。

 またキュウリが実ってくると、若いキュウリを枝からとって、とげとげを手でとって、そのまま食べることもあった。味噌をちょっとつけると、とったばかりのキュウリはおいしかった。

 コンニャクの木というのも、いなかに来て初めて見た。コンニャクの木は、土から生えた部分がふくらんでいて、それがコンニャクになるのだった。

 栗ひろいもしたし、西瓜畑では西瓜が熟すのをカラスが狙っていることも知った。そろそろうまく熟れるかな――と思っていると、翌日には、すでにカラスに食べられてしまっているのをよく見た。

 カラスにつつかれた西瓜が、赤い実をさらけ出しているのは、なにか西瓜がかわいそうだと感じた。

 西瓜の手ごろな大きさのものをもらって、そのとびだしたつるの部分を持ち、ぶらぶらさせて歩いていると、つるが切れて西瓜が地面に落ちて割れてしまい、それを見ていた近くのおとなたちに笑われたこともある。

 稲が刈りとられると、それを脱穀する必要がある。石川本家のとなりの家で、収穫期になると脱穀する様子を私は毎日のようにのぞいていて退屈することはなかった。モーターがあって大きな扇風機がまわり、穂から切りとられた稲の軽いもみがらが飛ばされて、米粒の実だけが下に落ちる――それを脱穀というのだと思うが、ベルトでモーターがまわるのを見るのは、子どもにはおもしろかった。

 脱穀機がぶんぶんうなりをあげてまわっている。稲束を持った男が、穂さきを機械に向けてさしだす、そのタイミングのとりかたに技術があるようだった。ともかく、なにか機械が動いているのを見るという機会が私には珍しかったのだった。

 そうした農家の収穫期には、一種のお祭りがあった。夜になると、わらで作ったみののようなものでからだをおおい、顔に鬼のマスクのようなものをかぶったおとなが、子どもをおどろかすイベントがあった。

 「トーカンヤ、トーカンヤ…」という歌声がひびき、まさに水木しげるのマンガに出てくるような男が、「悪い子はいねえか、悪い子はいねえか」と言って、踊るようなしぐさで外から入ってきて、目の前に迫ってくる。それは子どもには恐ろしい体験だった。

 それは東北地方に伝わる「なまはげ」のような風習だと、これも後で知ったのだが、それが埼玉県の農村にも伝統としてあったのだ。それは一度きりの体験だったが、ほんとうに恐ろしかった。いまでもこの風習が続いているかは知らない。石川家の分家を訪ねたとき、そのことをきくのは忘れていたのだった。

 その他、イナゴも食べたけれど、どのように料理されたものか(焼いたのか煮たのか、あるいはつくだにになったものか)はっきりは覚えていない。

 とにかく、東京からやってきたひ弱な男の子は、親の苦労も知らずに、元気に育っていたことになる。



*第24回は10/25(金)更新予定です。 


■講演情報■

●東京女子大学比較文化研究所主催公開講演会
『海外マンガの中の日本女性 「ヨーコ・ツノ」の場合』

[日時]2013年10月28日(月) 10:55~12:25 ※開場10:40
[場所]東京女子大学 24301教室
※申込不要/無料/定員150名