2014年2月21日

第39回 手塚治虫があこがれていた横井福次郎

光文社が〈長編漫画〉シリーズの第一冊として刊行した横井福次郎の『冒険ターザン』を、私がいち早く読んでいたのは、この描きおろし単行本が、著者から私の父のところに送られてきていたからだった。

 横井福次郎と私の父・小野佐世男は、1930年代からのマンガ家仲間であり、戦後いち早くマンガ家の横山隆一などが〈漫画集団〉を結成したとき、父も戦争中インドネシアのジャカルタで同じ家に住んでいた横山に請われて、そのメンバーになった。横井福次郎は、もちろん漫画集団の中心をなすマンガ家のひとりだった。

 たぶん父よりもずっと私のほうが『冒険ターザン』に夢中になったのだろう。いまでも著者サイン入りのボロボロになったその本を持っている。

 『冒険ターザン』は、手塚治虫の『新宝島』など、大阪の出版社から出ていたマンガ本とはまったく違っていた。

 まず作者は若い新人ではなく、戦前から日本のマンガ界ですでに有名なマンガ家であった。出版社も講談社から分かれた大手の光文社で、『冒険ターザン』は白黒印刷だがきれいな上質紙を用い、表紙のデザインも上品だった。いわゆる俗悪出版社とは一線を画した品格があり、では内容が気どっているかというとそんなことはなく、巧みなストーリーテリングと流れるような描線で、私のこころをとらえてしまった。

 ターザンは、アメリカの作家エドガー・ライス・バロウズが1911年に生みだしたキャラクターで、このジャングルの王者は映画で人気を得ていたし、アメリカでは1929年から新聞連載マンガになっている。

 日本でも、いい加減なターザンのマンガ本が戦前に出ていた可能性があるが、横井福次郎のターザンは彼のオリジナルだった。アメリカの原作では、ターザンはイギリスの貴族グレイストーク卿の息子だから、イギリスの貴族なのだが、横井版ではアメリカ人という設定で、彼の母親探しが物語の軸になっている。

 アフリカに始まるこのマンガの風景や自然描写は美しく、ターザンが「わはははは……」と最初に笑う場面で、「このマンガ、初めからおもしろいや」と私の弟が思わず言ったほど、子どもの気持ちをつかむ魅力があった。

 ターザンの冒険には、アフリカにあるウラニウム鉱を狙う世界的陰謀団がからみ、最後に原子爆弾が秘密結社の島を爆破してしまうあたりには、当時の日本の児童文化状況が反映されていた(これについて私は「思い出の『原子力時代』――戦後1950年代までの児童文化状況の一側面」という論文を、早稲田大学20世紀メディア研究所刊行の研究誌『インテリジェンス』11号〔2011年3月〕に発表したことを記しておこう)。



 『冒険ターザン』は大成功を収めて版を重ね、横井福次郎は続いて『ボックリ坊やの冒険』や『痛快ターザン』を刊行、光文社の〈長編漫画〉のシリーズを軌道に乗せていく。

 『痛快ターザン』では、なんとターザンが敗戦直後の日本にやってくる。彼は、日本の戦災孤児たちを、このマンガのなかで救おうとする。さらに月へ飛行する〈光速ロケット〉の構想がこの物語のなかで言及され、横井福次郎の日本におけるSFマンガの先駆者としての姿が示される。

 横井福次郎は、128ページの長編描きおろしマンガを一週間で仕上げてしまうほど筆が早く、編集者は「横井先生は一週間で一冊描きあげてしまいますよ」と言って、他のマンガ家たちにハッパをかけたという。

 そしてもちろん、SFマンガの作者としての横井福次郎は、『少年クラブ』に『ふしぎな国のプッチャー』という百年後の地球を舞台にした物語マンガを1947年から連載していた。そのなかに十万馬力のロボット・ペリーを登場させており、これが手塚治虫の十万馬力のロボット・鉄腕アトムの発想に繋がったことは間違いないだろう。

 手塚治虫が、どれほど横井福次郎にあこがれ、尊敬していたかは、彼の自伝そのほかの文章のなかに明らかだ。例えば手塚治虫は、後に『旋風Z』というマンガを連載したとき、これは横井福次郎の『ふしぎな国のプッチャー』に感化された作品であると語ってもいる。

 つまり、アメリカのコミックブックを別とすれば、子どもの頃に私が最も熱中し、いまもその影響のなかにあると言っていい日本のマンガ家は、手塚治虫と横井福次郎のふたりなのである。

 横井福次郎のサイン入りの『ふしぎな国のプッチャー』の単行本も、私は持っていたのだが、それはもはやバラバラになってしまっている……。

 横井福次郎の『ふしぎな国のプッチャー』や『冒険児プッチャー』は、復刻版が出たり、再録されたことがあるが、『冒険ターザン』と『痛快ターザン』は復刻されたことはない。

 恐らく、「ターザン」というキャラクターがアメリカの著作権保有者の了解なしに使用されているのも理由のひとつなのだろう。

 手塚治虫にも『ターザンの秘密基地』という初期の描きおろし単行本があるが、手塚治虫漫画全集などではターザンの名は出さず、『シャリ河の秘密基地』のタイトルで再刊されている。






*第40回は2/28(金)更新予定です。