2014年2月28日

第40回 火事を見に行く

代沢小学校時代の最大の出来事は、火事を見に行ったことである。

 私は小学校の二年で、二歳下の弟は、まだ小学校入学の前だったように思う。

 ある日の午後、代沢小学校の前の道で弟といっしょにいたとき、カンカンカン……と鐘を鳴らしながら消防自動車が走りぬけていくと、おとなたちと子どもたちが、それを追って走り出したのである。

 「火事だ」という人びとの声にせかされるように、私と弟も走り出していた。なぜ走り出したのか、いま思い返してもわからない。勢いというものだろう。なぜか、走る人びとにあおられるように、弟と私も走っていた。

 消防自動車は、下北沢の方向からやってきたのだから、私たちは南の方へ向かったことになる。ともかく走った。

 どのくらい走ったか、ともかく息を切らして走り、先に行くおとなたちを追っていった。ときには走れなくて歩いたかもしれないが、とにかく進んでいった。

 火事騒ぎに巻きこまれ、そっちに行くしかないような気がしていたのか、ひたすら走った。

 そしてともかく、目的地と思われるところに来たのだった。

 町のなかに人垣が出来ていて、消防自動車が放水していたが、火事がどのようなものだったか覚えていない。おとなたちの人垣のうしろで、私の弟は背伸びしてもなにも見えないような場所にいたのだろう。

 煙が見えたような気もするが、遠くから走ってようやくたどりついたのに、その嬉しさなどなかった。

 まわりを見ると、知っている人はひとりもいない。代沢小学校の前では何人か友だちもいて、いっしょに走り出したように思うが、その仲間の姿はない。彼らは途中で疲れて帰ってしまったのだろうか?

 たどりついた火事の現場がどこなのかもわからなかった。いまになって、あの町は三軒茶屋なのだとわかる。つまり私たち兄弟は、下北沢から三軒茶屋まで走ってきたことになる。

 さて、騒ぎがおさまっておとなたちが帰り始めると、とたんにあたりはさびしくなる。弟はいるけれど、ひとりぼっちという気分。

 帰らなければならない。

 ただ、ほとんどまっすぐ道を走ってきたような気がするが、さて帰るとなると道がわからない。

 行きと帰りでは、たとえ同じ通りでも風景が違って見えるものだからである。

 とにかく弟の手をひいて、歩き始める。

 たぶん、こっちの方向だと思って歩いていく。

 川がある。来るときはなかったような気がする。それとも知らず知らずに橋を渡っていたのか?

 弟は泣きだしてしまう。困った。

 こういうとき、だれかおとなに道を聞けばいいのだが、その頃の私には、そんなかんたんなことが出来なかった。人に道を聞くのが恥ずかしいのである。

 でも、弟が泣いても、私が泣くわけにはいかない。このまま日が暮れてしまったらどうしよう…。結果的には、子どもふたりが道に迷っているようなので、心配して声をかけてくれたおとながいたのかもしれない。

 とにかく私の記憶では、泣いている弟の手をひいて、なんとか帰ってきたのだった。何時間かが経っていたはずで、代沢小学校が見えてくると、ようやくほっとした。

 私たち一家が八畳ひと間を借りて住んでいる家にたどりついたが、もちろん母は行方不明になっていた私たちをとても心配していた…。

 無事に帰ってきたから良かったものの、あのときもしなにか起きていたら――と、後になって思う。まあ、その後おとなになってから、世田谷の代田の家から三軒茶屋まで歩いて行ったこともあるのだから、たいした距離ではない。

 だがこれは、私にとっては代沢小学校時代最大の、そして私と弟のその後の関係を通じても、最大の出来事だったように、いまでも思うのだ。

 あんなに途方にくれてしまった経験はない。それ以後、火事騒ぎがあっても見たいと思ったことはない。



 火事のはなしを書いていて、いまハッと気づいたことがある。

 私は子どものときから、眠っているときは夢を見ることが多い。モノクロームの夢を見る人もいると聞くが、私の場合はいつもフルカラーだ。

 その夢の内容には、いくつかのパターンがあるのだが、そのひとつは<道に迷う>という夢だ。

 どこかの町にいて、それは日本というより外国らしい場所のことが多いのだが、道に迷ってしまうのだ。似たような場所を行き来しながら、場所がわからなくなってしまう。私のいた場所、その出発点にどうしてもたどりつけなくなってしまう――そんな夢。

 迷ってしまう場所の風景も、何通りかあって、それが少し違ったふうに夢のなかに現われる。だから私には、夢のなかでの馴染みの風景というのが、いくつかある。

 そうした夢の町のなかで、私はいつも迷ってしまうのだ。その場所へは、列車に乗って行くこともあるし、日本のどこかの海辺で泳いでいることもある。

 その夢のなかに出てくる人たちにも、馴染みになってしまう場合もある。ともかく、どこか異郷にいて、そこで迷ってしまう。だが、異郷でありながら、そこはどこか夢のなかでは知っている場所でもあるのだ。

 なぜ迷子になる夢ばかり、くり返して見るのだろうか――いま、小学校二年のときに、弟と火事を見に行って迷子になった記憶を書いてみながら、ことによったらこの事件が、私の夢の原点になっているのかもしれないと思うのである。

 夢のなかにいると、ある場所にどうしてもたどりつけないもどかしさを感じることがある。夢のなかでだけ何度も訪れ、馴染んでいながら、毎回少しずつ変わっている人びとと風景。知っているが知らない人たち……。

 彼らは、何度会っても初対面なのだろうか。



*第41回は3/7(金)更新予定です。


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