2014年5月9日

第50回 『バットマン』のとりこになる

 バットマンが歩いてくる。

 だがその表情は、夢遊病者のように、うつろだった……。



 成城学園小学校は、マンガの本を持ちこんでも、先生はなにも言わなかった。だから教室の休み時間は、生徒たちによるマンガ本の交換会のようになった。そこに私は、古本屋で買ったアメリカのコミックブックを加えたのだったが、それにはきっかけがあった。

 1949年(昭和24年)、私が小学四年のとき『スーパーマン』という月刊誌が登場したのである。アメリカで出ている『スーパーマン』のコミックブックの日本版だった。

 アメリカ版と同じように、全ページ四色刷りのその雑誌は、最初は父が買ってきてくれたのだが、私の目にはまぶしく、すぐに魅了された。

 コミックス社という新しい日本の出版社がアメリカの出版社と契約して創刊したその第一号には、当然のことながらスーパーマンの生いたちを描いたマンガが巻頭に載っていた。

 しかし、創刊号は『スーパーマン』のコミックスが中心で、『バットマン』は載っていなかった。『バットマン』は、第二号に初めて載った。それは「フランケンシュタインのほんとうの話」という物語で、私はたちまちに惹きこまれてしまう。

 時間催眠術によって過去の世界へ運ばれたバットマンは、フランケンシュタイン博士の城に行き、怪物に出会うが、自分も怪物化され、ロボットのように博士の命のまま動きだす――という内容。詳しくは私の本『世界コミックスの想像力 グラフィック・ノヴェルの冒険』(青土社・2011年刊)をごらんください。

 このストーリーに夢中になった私は、クラスで出していた鉛筆書きによる新聞の下のほうに、このバットマンのコミックスを手描きで模写して、連載し始めたほどだ。だが一回に四コマ分ほどしか内容が進まないので、完結する前に新聞が終わってしまった。

 しかし、私に共鳴して『スーパーマン』の雑誌を買ってくる同級生も出てきた。日本語版だから、とにかく小学生にも読めるのが嬉しかった。

 アメリカのコミックブックは、私の家から歩いて行ける下北沢の古書店に積まれていたし、成城学園駅南口そばの店にも売られていた。だから私は、学校の帰りによくこの店に寄って買った。だいたい値段は一冊10円だが、店によっては20円とか5円のこともあった。小学生のこづかいでも、少しは買えるのである。日本語版の雑誌『スーパーマン』は、一冊60円だった。

 もちろん『スーパーマン』や『バットマン』ばかりでなく、『ミッキーマウス』『ドナルドダック』などのディズニーのコミックスや『ポパイ』などもあった。そうした古本を私は学校に持っていっていたから、教室は手塚治虫などの日本のマンガ本のほかに、カラフルなアメリカのコミックブックでにぎわった。

 また、日本語版の『スーパーマン』を出していたコミックス社は、同時に動物たちを主人公にしたユーモラスなコミックブックを、大判ハードカバーで上質紙を用い、『アメリカからきたゆかいなどうぶつたち』というタイトルで刊行した。

 一冊160円だから、かなり高価な本だ。なにしろアメリカのコミックブックより、はるかに立派な本なのである。収録されているのは、すべてDCコミックスから出ていた動物マンガ『キツネとカラス』のシリーズのほか、山岳地帯で活躍する人命救助のセント・バーナード犬を主人公にした『勇敢なバーナード』などの短編を集めたものだった。

 そのころはスーパーヒーローもののほかに、動物を主人公にしたコミックスも人気があって、DCでは多くのタイトルを刊行しており、私も古本屋で買ったから、いまでも何冊か持っている。スーパーヒーローものと比べると、まあ幼児向きでもあるので、ストーリーも単純で英語がよくわからなくてもお話がなんとかたどれた。

 コミックス社では、続いて『ゆかいなどうぶつたち2』を刊行した。いま思うと、子ども向けのマンガ本としてはかなり高価なこの本を、親はよく買ってくれたと感謝のほかない。2冊とも何度も読み返したのでぼろぼろになり、表紙もとれ、中身の何ページかが家に残っているにすぎない。

 ともかく、アメリカでも出ていない動物マンガの豪華版を刊行した日本の出版社があったのである。


 私と同じようにアメリカのコミックブックに興味を持ち、仲良くなった同級生に秋田君がいる。

 彼の家は小田急線下北沢駅の北口から少し行ったところにあり、私の家から歩いていける距離なので、よく遊びに行った。その家は住宅地の道の角地にあり、敷地は広大だった。

 庭には芝生が広がっていて、隣の家とのあいだにちょっと仕切りがあるようだったが、それは隣の家ではなく、やはり彼の家の敷地なのだった。つまり、家の半分を<接収>されていたのである。

 そのころの日本は、アメリカ軍を中心とする連合軍の占領下にあった。その軍人たちは日本の家の良さそうなところを接収し、家族とともに住んでいたのだが、秋田君の家は立派な洋館なのでアメリカ人の一家が住むのにうってつけだった。その半分を接収されていたのである。




*第51回は5/16(金)更新予定です。