2014年5月16日

第51回 アメリカ軍に接収された家と電車

 秋田君の家は、戦時中の空襲を受けなかったので、大きな西洋館と芝生の庭はそのまま残っていた。それをアメリカ軍に目をつけられたのだろう。

 もっとも〈接収〉ということばの意味は、今だからわかっているが、小学生のころはなにも知らなかった。

 あるとき、秋田君の家に行って庭に出ていると、となりからブロンド髪の男の子がはいってきた。私たちより小さい子だったから、幼稚園児くらいの年齢だったろう。

 その子が両手をひろげると、秋田君も同じことをする。おかしいなと思ったが、彼は私にも同じことをしろ、という合図をする。

 よくわからないが、私も両手をひろげ、アメリカ人の男の子といっしょに、ブーンと言いながら芝生を走りまわった。

 男の子は、ヒコーキごっこをして、いっしょに遊びたかったのだ。私は、ばかばかしいと思ったが、秋田君は、ひどく彼に気をつかって、とにかく彼にさからうな――というしぐさをしていた。

 日本は連合軍の占領下にあるのだから、その家族の意向にさからってはいけないと、秋田君は自分の親から言われていたにちがいない。そのアメリカの男の子の両親の姿を私も見たかもしれないが、よく覚えていない。

 占領軍に接収されて、部屋の柱や床の間をペンキで塗られてしまった家もあったとは、後になって知ったことで、私自身が知っているアメリカ人に実際に接収された家は、この秋田君のところだけだ。

 そして、子どもにも占領軍の存在がわかる事実が、少なくとももうひとつあった。私は小田急線に乗って学校に通っていたのだが、駅で待っていると、ときどき時刻表にはない電車が通ることがあった。

 だいたい1輌か2輌の短い電車なのだが、駅にとまるのを見ていると、なかはほとんどがらがらだった。ふつうの電車のように、電車前面に例えば〈小田原行き〉とか〈新宿行き〉などの表示板は出ていない。

 この特別な電車の前には、白く丸いプレートがかかっていて、そこには〈進駐軍専用車〉と日本語で記され、円形のまわりには同じことが英語で記されていた。

 その英語の表示を覚えようとして、私は一時期たしかに覚えたつもりだったが、いまは忘れてしまっている。占領下日本についてのなにかの資料で見たような気もするが、きちんとメモしておくべきだった。もし、この正確な英語表示をご存知のかたがおいでだったら、どうかお教えください。

 もちろん〈進駐軍専用車〉の車輌が走っていたのは、小田急線だけでなく、東京の(いや全国の)鉄道路線を走っていたのだろう。

 出勤時間帯の電車は混んでいても、進駐軍関係者しか乗れないこの電車は、いつもがらがらで、駅にちょっととまると、だれも乗り降りしないまま、そのまま動きだすのだった。日本人のおとなも子どもも、駅のプラットフォームで、それをただながめていた……。

 私が1963年に大学を卒業し、NHKに勤めるようになってから、この<進駐軍専用車>について、おもしろい話をきいたことを記しておこう。

 私がNHK教育局の通信教育部で、テレビの英会話番組を担当しているときのことだ。同じ部署に、宇佐見さんという人がいて、彼は国際基督教大学での私の先輩だった。彼はアメリカ英語のテレビ番組を担当し、私はイギリス英語を担当していた。

 宇佐見さんの父親は、長いあいだアメリカに住んでいた人だという。

 「おやじには、いつもはらはらさせられるんだよ」と、宇佐見さんが私に言ったことがある。

 アメリカにいるとき彼の父は、床屋にはいると、さきに待っている人がいるのに、さっさと頭を刈ってもらってしまったことがあるという。さきに来て待っていたアメリカ人の若者が「なんだあのおやじ」とぶつぶつ文句を言っているのをきいた宇佐見さんの父親は、散髪が終わると、その連中にむかって「お若いの。わしはきみらが子どものときからこの街にいてな……」と、いろいろ話をして、アメリカ人の若者たちを煙にまいたそうだ。

 その人の、占領下の東京でのこと。

 電車を待っていると〈進駐軍専用車〉がやってきた。ドアが開く。すいている。すると宇佐見さんの父親は、息子を連れてさっさと乗ってしまった。

 あわてた息子が「おやじ、これは日本人が乗っちゃいけないんだよ」と言っても、平気で座席にすわってしまった。

 やがて白いヘルメットをかぶったMP(進駐軍の警察)の男ふたりが乗ってきて、車内の巡回を始めた。

 そして宇佐見さん親子の前に来ると言った。

 「これはUSアーミー(アメリカ陸軍)の関係者しか乗ってはいけないんですよ」

 「知ってるさ」(I know)と父親は言った。

 「わたしはUSアーミーだよ」

 そして彼は、身分証明書をとりだすと、MPに見せた。

 そこには宇佐見(Usami)と、名前がローマ字で記してあった。USアミである。

 ふたりのMPはそれを見ると笑って、なにも言わずに行ってしまった……。実話である。

 もし旧日本軍の憲兵だったら、こんなときどうしただろうか。私はアメリカ人のユーモア精神が、やはり好きだ。マンガには、それが詰まっている。





*第52回は5/23(金)更新予定です。