2014年7月11日

第58回 ニワトリたちと犬の運動会

 1950年代の初めごろは、東京のあちこちに家庭菜園があり、野菜を育てていたし、ニワトリなどを飼っていた。

 父が建てた新しい家の庭でも、トウモロコシなどを育てていたが、北側の物置のそばには、鶏小屋もあった。

 そこで白色レグホンを五羽飼った。

 もちろんタマゴを得るためである。

 はじめは、ちゃんとタマゴを産んでもらうために、瀬戸物でできた抱かせタマゴを、金網ばりの鶏小屋のなかに置いたのを覚えている。ニワトリに、タマゴを産む練習をしてもらうために、そういうものがあったのだ。

 ニワトリのエサは、菜っ葉をきざんでぬかをまぜたものを母がやっていた。

 そのうちニワトリたちはタマゴを産むようになる。小屋の戸をあけて、そっとそれをとってくるのは、子どもの役目だった。メンドリたちは、タマゴを産むときに鳴き声をたてるが、毎朝、私や弟は、メンドリの様子を見ながら、まだ暖かいタマゴをとってくるのだった。

 そして、小屋のとびらをあけて、ニワトリたちを出して庭を散歩させた。運動のためだ。ニワトリたちは、木の枝についている虫などをめざとく見つけて食べたりした。

 彼らをまた小屋にいれるために、ニワトリを追わなくてはならない。コッコッコと鳴くメンドリたちを、私は小屋のほうへと追っていく。

 五羽いるうち、やや小さめなメンドリが、なんだか元気がない。ほかのメンドリたちにつっつかれるのである。ニワトリの世界にもいじめがあるのだということを、私は初めて知った。

 それは珍しいことではなく、複数のニワトリを飼っていると、そのなかで序列ができ、下位と見なされたニワトリをくちばしでつつく――その順列をペッキング・オーダーというのだと知ったのは、ずっと後のことである。

 いじめられるニワトリがかわいそうなので、なんとかかばおうとするのだが、それはどうしても無理で、結局、いちばん弱いニワトリは、あるときぐったりとなって小屋のなかで死んでいた。「かわいそうだね」と私たち子ども三人は悲しみ、妹は泣きだしてしまった。そのニワトリは、庭に穴を掘って埋めた。

 ニワトリたちがいるときに、犬を飼っていたこともある。

 子犬でもらってきたので、元気に庭のなかを走っていた。その姿はとても愛らしい。

 ところが、ニワトリたちを小屋から出して遊ばせてやる時間に、子犬も庭をかけまわっていると、ニワトリたちは犬を追っかけるのである。

 小さい犬だから、馬鹿にするのだろう。ニワトリたちは、子犬を追いかけて、くちばしでつつこうとする。犬はニワトリが近づくと、逃げるようになった。まるでニワトリたちと犬の運動会である。

 しかし、犬の成長はニワトリより早い。ニワトリはそんなに巨大化しないが、子犬は小さくても、どんどん大きくなる。いつのまにか、メンドリの大きさをしのいでしまうのである。

 そうなると、今度は犬のほうがニワトリをおどろかして吠えたりする。今度はメンドリたちが逃げる番だ。

 しかし大きくなった犬は、ニワトリがしかけてくれば別だが、自分からニワトリをいじめたりはしない。つまり、メンドリたちは相手が弱そうだと、それにつけこむのだった。

 その犬とは別の犬だったと思うが、まっ黒い雌犬を飼っていたことがある。クロと名づけてかわいがっていたが、ある日、外に散歩に連れていったとき、今でいう環状七号線の道路で、野犬捕獲人につかまってしまった。

 母も私も弟もいっしょで、声をかけたのに飼い主の目の前で犬はつかまってしまい、いくら「うちの犬です」と言っても、ききいれてもらえず、そのまま車のうしろの台にクロを乗せていってしまった。首輪もつけていたのにである。そのころは、野犬狩りの人たちが、よく道を行き来していたものだ。

 私たちは、その車を追って走った。もちろん追いつけなかったのだが、あとで野犬を収容している場所があると母が調べて、そこに行くと、クロはほかの犬たちといっしょに収容されていた。野犬はつかまると、すぐ処理されてしまうといわれていたが、幸いにクロは無事で、事情を話してひきとった。

 そのときは母も子どもたちも、嬉しかったものだ。飼っている動物をなくすと、ほんとうに家族を失ったような気持ちになることも、このとき初めて経験したのだった。必死になって、野犬狩りの車を追い、息を切らして走ったあのときは、家族を連れもどさなくては――という気持ちで、涙が出た。無実の死刑囚を寸前に救出したような気分。

 それからずいぶん経ってのことだが、ある日クロは、ひとりで家の縁の下にはいって、出てこなくなった。心配して私がのぞきこむと、ううう、とうなった。

 やがてわかったのだが、クロは子どもを生んでいたのだ。9匹もの赤ちゃんを生み、飼い主が近づくとうなったのは、母親の本能だったのだ。

 お母さんはたいへんだなあ――と、犬を見て私は学ぶのだった。






*第59回は7/18(金)更新予定です。