2014年7月18日

第59回 世界一の美女はだれ?

 成城学園初等科に通っていた時期は、子どもたちの話題の多くをディズニーの長編アニメが占めていた。

 まず、最初の長編『白雪姫』がある。

 その頃の外国映画は、アニメだろうが劇映画だろうが、子ども向きであっても、すべて日本語字幕版で、それがあたりまえだと思っていた。ディズニーアニメでは日本語吹き替え版が上映されるのは『ダンボ』からである。

 だから『白雪姫』は、英語の音声を耳にしながら、画面の翻訳字幕を読んでいたが、そのことに抵抗はなかった。クラスのみなが先生に引率されて見に行ったが、どこの小学校でもそうしていたのではないか。映画館は有楽町にあったスバル座である。

 映画館では、プログラムとは別に、アメリカのリトル・ゴールデン・ブックから刊行されていた四角い子ども向きの絵本『白雪姫』の日本語翻訳版も売られていた。映画のセルを使用した美しい本で、それを買ってもらった――ということは、母もいっしょに見にきていたのかもしれない。いまでもこの本は持っている。

 クラスで映画を見に行ったあとは、国語の時間にその感想を書くことが多かった。好きなことを書いていいと言われると、見てきたディズニーの映画について書きたくなってしまう。

 私は感想というよりも、自分だったらこういうストーリーにしたいと、『白雪姫』のお話に自分の勝手な空想をつけ加えた。それにはミッキー・マウスやドナルド・ダックも出てくるのである。

 そしてけっこう長く書いてきたあとで、「先生、このストーリーをどう思いますか?」と記し、そのあとに答えを書くような余白をつけた。すると国語担当の馬場正男先生は「きみの書いてきたストーリーの感想か、それともディズニー映画の感想か?」と、逆に質問を記して、提出したノートを返してきた。

 私はうっかり、どちらについての感想を先生に求めているのか、質問にはっきり書いていなかったのだった。

 この小学校の授業の方法がいかに自由だったか、この例でもわかるだろう。私は自分のノートにずいぶん勝手なことを書いて、先生に見せていたことになる。

 『白雪姫』を見たあと、この映画に刺激を受けて書いた、ミッキー・マウスたちが登場する『白雪姫』の物語がどのようなものだったか、すっかり忘れてしまった私だが、このアニメについて忘れていないことがひとつある。

 『白雪姫』は、かんたんに言えば、「世界一美しいのはだれか」と魔法の鏡にたずねると「それは白雪姫です」と答えられてしまった女王が、自分が世界一の美女でありたいために、白雪姫を殺そうとするお話である。

 『白雪姫』を見たとき、私は小学校三年だった。そして、たしかに白雪姫をかわいいとは思ったが、女王よりも美しいと、ほんとうに思ったのだろうか。女王がお城の窓をあけて白雪姫を見る場面があったと思うが、そのアイシャドウをつけた表情に、ちょっと私はどきりとした。

 女王はやがて、魔法で自分をみにくい老婆に変え、毒のリンゴを持って白雪姫を訪ねる。でも、女王の姿でいるとき、その顔は妖しく美しく見えた――というより、どんな女性が美しいのか、はっきりした考えなどない子どもの私にも、女王の妖しさは感じられたのである。

 この思いは、私が成長するにしたがって強まってきた。だが、ディズニーの『白雪姫』を見て、白雪姫の美しさを疑い、女王のほうが美女だという感想(映画評)を、いままできいたことがない。

 ところが、数年前にオーストラリアの絵本作家で『アライバル』という128ページのことばを用いないグラフィック・ノヴェルを描いて、世界的な評価を得たショーン・タン氏にインタビューしたときのことだ。自分の絵本『ザ・ロスト・シング』を監督としてアニメ化し、アカデミー短編アニメ賞を受賞するほどアニメに関心の高い彼は、『白雪姫』を子どもの頃に見たときのことを、こう語った。

 「あの女王には、なにか妖しいものを感じた。子どもが見てはいけないなにかが、女王にはあるような感じがして、ぞくっとしたんだよ」

 ショーン・タン氏の感想に、私はわが意を得た思いだった。

 それで少し前に、『キネマ旬報』でディズニーアニメの小特集があり、原稿を頼まれたとき、そのことを私は書いた。「『白雪姫』の魔法の鏡はまちがっていた。世界一の美女はセクシーな女王でいいのである。白雪姫は、単に気だてのいい、かわいい小むすめにすぎない」という意味のことを書いたのだが、これは反感を買うかもしれないと思っていたら、「自分も同じ気持ちだった。それを初めて書いてくれた映画評論家がいた」とそれを読んで言った人がいる。

 まあ私は、ディズニーが、世界最初といわれる(実際には南米で、それより早く長編アニメが作られていたようだが、作品が残っていない)『白雪姫』(1938)のなかで、さまざまな意味で、非常に過激なことを試みていたということを、言いたかったにすぎない。あの女王は、ディズニーがこれまでに描いた唯一のセクシーな女性であり、『白雪姫』は、優れて官能的なアニメでもあったのだ。






*第60回は7/25(金)更新予定です。