2014年8月8日

第62回 ふたつの『少年探偵団』

 私が成城学園初等科に途中入学したのは、小学3年のときだった。たぶん夏休みが終わっての秋だったのではないか。

 そして、その年の冬、正月に、母は私を連れて、クラス担任の馬場正男先生の家に、あいさつにうかがった。

 寒い日だった。

 馬場先生の家は、小田急線の成城学園前駅のひとつ新宿寄り、祖師ヶ谷大蔵駅から、少し歩いたところにあった。まだまわりに田んぼがあった。

 先生の家にあがっても、私は恥ずかしく、固くなってしまい、ほとんど口がきけなかった。

「耕世くんは、どんな本を読んでいるかね。おもしろかった本があるかい?」

「『少年探偵団』です」

と、私はすぐに答えた。

「ああ、あれはおもしろいだろう」

と先生は笑顔になった。

「ええ、とてもおもしろいです」

と私。

 このやりとりで、私はすっかり気が楽になった。これで、先生と呼吸が合った……。

 と、ここまで書いてきて、勘ちがいする人がおいでかもしれない。小学生がおもしろがっている『少年探偵団』というからには、それは江戸川乱歩の少年探偵シリーズの、あの有名な一冊にちがいないと。

 もちろん私は、江戸川乱歩の少年探偵三部作『怪人二十面相』『少年探偵団』そして『妖怪博士』を、すでに読んで、熱中していた。これらの三作を、江戸川乱歩がすでに戦前に書いていたことに、あとになって私は驚く。

 その三部作は、戦後になって光文社から再刊されていて、それを私は読んでいたのだが、まるで最新刊のように感じて楽しんでいた。古い作品とはまったく思っていなかったのは、私と同世代の子どもたちも同様だったろう。そのあとに『大金塊』という作品もあるが、これには怪人二十面相は登場しないので、私は別に考えている。

 そして、戦後になって書かれた少年探偵シリーズの最新作は、戦後になって光文社が創刊した『少年』という月刊誌に連載が始まっていた。『青銅の魔人』というのがその新作である。都会の夜中、じゃらじゃらと音をさせながら(なぜかこの怪人は、からだのあちこちに、円形の懐中時計をぶら下げていて、それがぶつかって音をたてるのだ)青銅の魔人、つまり機械人間が徘徊する場面から物語は始まる。

 『少年王者』という絵物語で人気を得ていた山川惣治という画家が、この物語のイラストレーションを描いていて、それは見事なものだった。

 「ぼくの原点はね、山川惣治の絵物語『少年王者』と、あの『青銅の魔人』ですよ」と、後に私に語ったのは、画家の横尾忠則氏である。

 戦後、新しく始まった江戸川乱歩による少年探偵シリーズは、『青銅の魔人』が1年で連載を終えると、翌年にはすぐ次の連載が始まるほど人気を得て、何年も書き続けられていく。

 しかし、山川惣治がイラストレーションを手がけたのは『青銅の魔人』だけで、そのためもあって、私にはこの作品がとりわけ印象深い。このシリーズは、連載が終わると、すぐ光文社から単行本になり、再刊された最初の三部作にも増して人気を得ていたのだった。

 だから、馬場先生も、男の子が必ず読むといってもいい江戸川乱歩の『少年探偵団』のことは当然ご存知だったはずだが、このとき先生と私が話題にしたのは、江戸川乱歩の本ではなかった。

 私たちが話していたのは、エーリヒ・ケストナーの少年小説のことだった。

 この有名な本は、正しくドイツ語の原題を訳せば、『エーミールと探偵たち』となるのだが、私が最初に手にした小松太郎訳のこの本のタイトルは『少年探偵団』となっており、新潮社から出ていた。

 A5判背クロース装のハードカバーのこの本を、私は夢中になって読んだ。表紙には、歩いて行くひとりの紳士のあとを、子どもたちが集団で追いかけている街角の絵が描かれている。

 まさしく、怪しいおとなを追っている少年探偵団の姿なのだ。

 初めてこの本を読んだとき、世のなかにこんなにおもしろい本があったのか――と、私は驚き興奮した。目を開かれるような思いだった。江戸川乱歩の『少年探偵団』も、もちろん私は楽しんだ。江戸川乱歩は、少年たちを子どもあつかいしないで描いていたことで、小学生の心をとらえていたからだ。

 しかし、エーリヒ・ケストナーの『少年探偵団』は、江戸川乱歩のそれとは比較にならない――と言ったらおかしいかもしれないが、はるかに深く私の心をとらえた。

 ケストナーの文章の軽やかさ、伸びやかさ、そして描写される1930年代のドイツの子どもたちとその家庭、都市の描写は、私をまったく新しい世界に連れていってくれたのである。

 そこにはすばらしいユーモアがあったし、それを見事に描いたウォルター・トリヤーという画家の上品なイラストレーションが、またすばらしかった。

 小学三年の正月、担任の馬場先生を訪ねたとき、話題となった『少年探偵団』といえば、この本しかなかった。






*第63回は8/15(金)更新予定です。


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