2014年8月15日

第63回 エーリヒ・ケストナーに夢中

 ご存知のように、いまではドイツの作家エーリヒ・ケストナー(1899‐1974)の子ども向きの本の全集が、岩波書店から出ている。全冊高橋健二の訳だったが、世代が変わって新しい訳者によるものも、同じ出版社から岩波少年文庫版には入っている。

 私が小松太郎訳で最初に読んだ『少年探偵団』は、『エーミールと探偵たち』となって全集に入っている。

 そして『少年探偵団』を読んで以来、同じ出版社から出た『エーミールと軽わざ師』などを、私は次つぎと読んでいくことになる。

 成城学園初等科・白樺組の担任である馬場正男先生は、宮沢賢治を研究しておられたが、海外の児童文学ではエーリヒ・ケストナーの作品を高く評価していた。

 小学校の国語の時間では(それとも別に、読書の時間もあったかもしれない)、先生は市販の教科書だけでなく、独自に編集し、謄写版印刷で製版したテキストを、生徒たちに配っていた。

 そのなかに含まれていた、エーリヒ・ケストナーの『絶望第一号』(これは、『絶望No.1』とか『最初の絶望』などと訳されたこともある)という詩を、先生は生徒たちに読ませた。

 男の子とその母親の悲しみを描いたもので、パンを買いに出かけた少年が、そのお金を落としてしまい、母親といっしょに探したが、ついに出てこない。少年と母親は、黙って家のなかに戻っていく――という内容で、私は涙が出た。

 これはケストナーの詩のなかでも有名なものだが、お母さん子であったケストナーは、子ども向けの小説のなかでも、母親と息子の関係を、とりわけ気持ちをこめて描いている。その理由はケストナーの出生にかかわっていたことが晩年に明らかになるのだが、私もお母さん子だったので、ケストナーの母親へ寄せる特別な想いがよくわかるのである。

 私の父は、忙しく仕事をしており、毎夜遅く家に帰ってくる。小学生の私と弟は、そのときすでに眠っている。子どもたちが朝6時すぎに起きて、顔を洗い、あわただしく朝食をとって学校に出かけるとき、父はまだ熟睡している。だから、父と会話をする時間は、極端に少なかった。

 いやおうなしに、お母さん子になってしまうのである。

 そして、その頃から現在まで、私の真の友は本なのだった。

 「あなたは、本さえ与えておけばいいのね」

と、母は私へよく言ったものだ。

 子どもが本を読むのは悪いことではないから、私が欲しいという本は、母はたいてい買ってくれた。「でも、あんまり本を読みすぎちゃダメよ」と、母は心配した。

 本をよく読む私は、相変わらず運動神経が鈍かった。体育の時間などで野球をする。野球やソフトボールは、私がいちばん苦手なスポーツだったから、野球のときは、いつも外野を守らされた。

 捕球にはグラブが必要で、母は布製(一部が革)のグラブを買ってくれた。しかたなくそれをつけて外野(センター)の位置につくのだが、球が飛んでこないことを、いつも祈っていた。球が飛んできても、いくらグラブをかざしても、うまくとれない。

 いちばん球が飛んでこないであろうポジションが私には与えられるのだが、それでも野球なので、球はときどき飛んでくる。

 だが、たとえ捕球しても、今度はうまく投げられない。

 私の投球がなっていないのは、自分がいちばんよく知っていたので、投げるのがいやだった。でも、みんなのする野球に参加しないわけにはいかない。

 私にとって、野球の時間は苦しかったが、耐えるほかなかった。ボールをとりそこなって、右手の親指を突き指してしまい、治るまでずいぶん時間がかかったこともある。






 私は本の世界にひたっていた。

 ケストナーの本は、ずっと読み続けようと決心していた。どの本も楽しく、失望しないからだ。

 ケストナーは、子ども向けの全集が出ているほどの人気だが、それ以外のおとな向けの本も書いていることも、やがて知るようになる。

 それを読むようになるのは、中学、高校そして大学、つまり私の成長に従って――ということになるのだが、最も早く読んだケストナーのおとな向けの本は、早くから新潮文庫に入っていた小松太郎訳の『ファビアン』である(いまは絶版)。

 ドイツの都市の風俗が乱れ、退廃した時期の人びとの姿を皮肉に描いたもので、中学生の頃にはよくわからなかったその内容は、私の成長とともに何度も読み直して、おもしろさがわかるようになっていく。

 そのほか、諷刺的な短文集『現代の寓話』とか『独裁者の学校』(原題は『独裁者養成所』という意味)といった諷刺戯曲なども翻訳されているが、知っている人は多くないだろう。

 とにかく私は、ケストナーの本が出るたびに、子ども向けだろうが、おとな向けだろうが、すべて買うようになるのだった。


*第64回は8/22(金)更新予定です。


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